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(著書から多くを学んだ前門様のお師匠、 中村元先生)
さて、「北伝仏教」から、仏像と荘厳を伴って「経典」を受け入れた倭国・大和朝廷である。従って、天竺・震旦間での文化と言語体系の差異には、当然ながら鈍感であった。 さらには、仏教の発祥地である北部インドや、仏教教団がどういう歴史を辿ったかについても、遅れて知ることになる。 インドでは周知のとおり、インドゥ→シンドゥ→ヒンドゥ、という地域宗教が支配的であり、「仏教徒」は人口の1%にみたない。 袈裟(カシャーヤ)=褐色・赤黄色、遺体を包んだ布をまとい、殺生を制限して食を生存にかかわる分に抑え、法を拠り所として真実の自己を生きる、という仏法。 ESDであり、法の下の平等をいいジェンダー差別からフリーになる方向を提示し、行動主義である仏法悟法の道は、おそらく生産関係や経済構造の激変期において、われわれ真宗者がいう「安心(あんじん)」、煩悩の囚われからの解放、を最大の魅力として一世を風靡したと推測する。 しかし、経済構造が固定しその社会における経済配分が主たる政治課題となる社会では、より多くより強くというベクトルを基調としながら、より少なくより弱くという「社会的弱者」を生み出し固定化し合理化する。 「競争」と「平等」はフーコーがいうよう、その時代の利益配分を前提にくりかえし、言説化されて流布する。ここで重要なのは、既にその構造の中の「平等」をいうことに我々が無自覚であることである。 釈尊が悟り説かれた「人間主義」は、それを最大の拠り所とする「平等」である。他はそれに従うのである。 法蔵因位の18願「設我得仏〜 若不生者不取正覚」に信順する当流は、当然ながら歴史と時空を超えて、「釈尊のサトリ」が仏法であり、それを生きるのが、「釈」の名乗りをするものであるという地点から、外れてはならぬというベクトルである。社会構造と調和するか遊離するかは、社会の側の問題である。法は法である。我々の個の在り方が、「罪悪深重」「煩悩成就」と信知せらるるとは、変わるべきは我々であるということである。 さて、再び問う。釈の名乗りの上で、女性性を記述する「尼」号を誰が必要としているのか。必要である、という方はぜひその論拠を示していただきたい。 |
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