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布教使課程Aで、「夜間中学との交流会」を設定されて、特別講師でガイダンスとまとめを足かけ7年ほど担当している。 「法座の聞き手には文字を読めない人がいる」「妙好人と言われた人に非識字者が多いのはどうしてか」ということから、私は実は「オーラルコミュニケーション」こそが、宗教の本質であることに至ったので、当初はそこをポイントにスカウトされたと思う。また生徒さんたちは相対的だが、社会的弱者が多く、そこには「戦争」「貧困」「差別」という問題があり、それらを当事者から聞かせていただくアクティブラーニングとしても『交流』を設定したわけである。 ではそこから、「教育を受ける意味」「文字を獲得する意味」をどうとらえるかは実は一番大切なことである。 教える側学ぶ側に共通認識が必要である。恩恵ではなただ権利保障・回復ではなく。競争から共同へというベクトルや社会的公正さの実現、そして社会へ参加しつくっていくためのスキルを獲得するという(被差別者において文字は武器だというスローガンを夜中はかがげてきた)展望において、私たちは国連の「adulteducation」とつながり、A・シンがいう「潜在能力」開発、つまり「教育」こそが、地域社会の経済発展を生む、ということを実現してきた。 これらを包括的に提唱されたのが「ESD」である。 したがって、布教使課程A出の私の講義、2コマ6時間は、全てESDにおけるワークショップ(参加型学習)で展開してきている。その際、ESDの理念は仏教徒こそ中心に担えるとういうことを背景として提示している。 宗報で、SDG’sが、築地本願寺で掲げられているのを見て、ESD−Jのメンバーとして感慨深く、かつもっと僧侶会員が増えないかと願うことである |
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