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マルセは孤独だった。在日として日本社会で生き、芸人という道を選択したが、大うけしたりスターになる要素はなかった。
ボクは大阪のステージで、二度生で見た。一度目は「サル」芸だった。思案するサル、といったらいいのか、中年ザルの哀愁が漂う動きだった。おそらく彼は、細部にわたってサルを観察しつづけた。動物園に通い、子ども連れの家族の絵に描いたような幸せに囲まれて、一人サルの心を模索し続けたに違いない。
その孤独感に魅かれた。彼のプライベートはそんなに知らない。でも、綿引洸を彷彿とさせる風貌と、とつとつとした語り口に、20代だったボクは大人の哀しみを感じていた。
その後、小栗康平「泥の河」を語りで聞かせるという、映画を語る芸に展開し、その頃二度目の生ステージを見た。
法話なるものをボクはする。「仏徳讃談」といって、ブッダの素晴らしさを説く。それはつまり人間の理想を語ることであり、浄土教はそのようなブッダに到底なれそうもない人間の業の悲しさや切なさを語り、そして必ず救われてブッダとなる命を与えられ生かされていることを通して、「人間存在」を全面肯定していく、人間賛歌でもある。
マルセのステージは、ボクにとって「法話」だった。そこには、一人のブッダを求めて止まぬ「凡夫」がいた。
彼の姿が消えてどれくらいになるのだろうか。映画の語り芸は、お手軽なレンタルビデオにとってかわられた。しかし、ボクの耳には映画で見たシーンよりも鮮やかに彼の「きっちゃーーん」という叫び声が残っている。姿を消した「河舟」と娼婦の子との淡い交流の思い出。大阪の下町に育ったボクの周りにもたくさんいた水商売の親をもつ同年代の子。或いは三井三池炭鉱闘争の敗残者であり、或いは被差別部落出身者であったり、在日朝鮮人であったり。
映画や小説やほかのどんな芸術より、マルセの叫びはボクの胸に突き刺さっている……。
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