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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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返信: 1837件

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    • 仕事で観れませんのでbookを早速(^^)ノ

      [ 竹光侍2008 ]

      2013/12/1(日) 午後 6:01

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      コピペして記事を作ったら、大事なところが抜けた。印刷の方も抜けた。大失敗です。旧暦十月が神無月で、新暦では十一月なのです。お西は旧暦に遇わせて報恩講をするのでその記事を書いていて内容を変更したので、旧暦の説明が抜けた。失礼しました。

      nazuna

      2013/11/5(火) 午後 7:04

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      言葉から感情を奪えるか?というのがここ数年の私の考察対象です。もっとも論理的な記号は数式であると思うのですが、それでもそれを「美しい」と感じることがあります。もっとも感情的な言葉は、仏教的には「あ」「うん」ですが、むしろ論理性を感じたりする。何が言いたいかというと身体性を我々は前提としているのではないかということ。それを見失う事態が言語活動のなかでどういう時、どういう条件で起きるのかということをずーっと考えています。

      nazuna

      2013/10/3(木) 午前 10:24

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      谷川俊太郎の詩ですか。最後の一行「きみも白髪がふえたね」が素晴らしすぎます。その一言が言えれば、みんな休戦できるんでしょう。

      どうも、ギスギスしてしまうのは、言葉を相手にして、人を相手にしないせいでしょうかねえ。

      single40

      2013/10/2(水) 午後 4:04

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      科学的認識は三段階。武谷三男氏の認識論を板倉聖宣氏から教わりました。マルクス主義の客観的認識論から主体的認識論への展開でした。それを具体化するのが実験。現象の部分でしっかりと再現可能になってこそ「法」です。というようなことを「k説実験研究会」から学びました。そこに、「(夜間の学力)は武器となる文字とコトバを奪い返して、自己を社会化していく営み」であるという、タカノマサオの体験的学習理論が加わりました。これらを総括的にまとめてあるのが、国連のパリ成人教育会議で宣言された「学習権」の定義です。

      nazuna

      2013/9/19(木) 午後 0:03

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      この授業は素晴らしいですねえ。ちゃんと、具体的に「科学」が手触りでわかるようになっていますね。
      私なんぞ、科学理論は、サッパリ頭に残っておりません(泣)
      しかし「科学の考えかた」はいつまでも残って、生きる力になってくれているように思います。
      災害の予想も、たぶん、そういうことでしょうね。天気図を見て「危なそうだな」と思えるようになったら、とてもすごいことだと思います。

      single40

      2013/9/18(水) 午後 5:38

    • こんにちは。

      まさしく「育てて」しまったというべきだと思います。

      [ kouitiz2000 ]

      2013/9/18(水) 午前 0:44

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      およそ宗教というものは、必ず類としての人間と個としての人間の両方を視野に入れています。現在の日本では、この類としての認知が弱い。「私だけが特別」の方だけになるからバランスが悪い。ウチのネコはたぶん、私を「変わった行動と身体パーツをもつネコ」であると認識しているようです。

      nazuna

      2013/9/3(火) 午後 4:03

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      ああ、そうか!「反対はない」のですね。言われてみれば当然ながら、まったく今まで気が付かなんだ。目からウロコでした。

      すると。もしも私が死んで、葬式をやってくれる者がいたら、その者は「類内」と言ってもよいような気がしますねえ。それは、少なくとも私にとっては「類内」でありますわなあ。

      single40

      2013/9/3(火) 午後 2:28

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      例えば「親鸞に帰れ!」という主張を本気で生涯をかけて言説しそのとおり生きるとするなら、既にその立ち位置が「親鸞様同然」でないと、宗教ではありません。勧学だの学長だの名誉教授だのは「名利の大山に迷惑する」のですから。お経にないコトバを使うことを止めるだけでも、今の人暮らしでは「ようせん」という人いっぱいいます。でもあえてやらないと現実は動かないのです。教壇に拘泥するなら教団の現実に如何に批判的でも「共犯」です。その自覚こそ機の深信でありましょう。愚を犯すものとして悲しみ傷み嘆かれたのが親鸞さまでした。「親鸞」を記号化し旗印にした時点で、実は親鸞さまからもっとも隔たった地点に立っていることへの自覚のないままに、後進を導かれてはたまらない、ということです。従って、信楽師による発見や指摘の功績は頂戴し奉事しますが、現在の言説に何の魅力も力も感じないということです。それだけです。

      nazuna

      2013/8/11(日) 午後 5:43

nazuna
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