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昭和初期頃まで「土人」は土着の人の意味だったのに、いつから差別語に変化したのでしょう💦
私なども汚い表現➡大阪なイメージがあり、すんなり収まります😱[ 竹光侍2008 ]
2016/10/21(金) 午後 2:18
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白蓮教団は「定禅」ですから、やはり出家修行して成仏するというラインです。そうすると生身の菩薩やブッダが誕生する可能性があるので、そのご出家に従えば(善知識として仰げば)、在家信者も成仏できることになると思います。しかし大乗においては正像末という時代概念を用いるので、それに従えば、弥勒出世までは「無仏」となります。法然浄土教はこれを前提として、「無仏の時代を支える釈迦法が弥陀法である」と理解しているわけです。他宗と比較することはないのですが、経典理解からいえば、南無阿弥陀仏の称名が唯一行とあり、これを否定するには、浄土教典やその同系統である、涅槃経や般舟三昧経や華厳経やら多数の経典を批判しつくすか無視するしかないことになります。無視したのがノーテキスト主義の「禅」と「法華一乗(ただし成仏のための論理は非提示)」による個人崇拝の日蓮宗です。
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私たちが政治に参加するとは、こういうたゆまない他者への関心と言論での関与を行い、権力の行使にフェアネスを担保し、無用な憎悪を生まない解決を探していことです。決して、選挙で投票することだけではありません。より親和的により具体的に政治課題や社会課題に向き合い自己課題として生きていく人を育てていくこととシンクロして「市民社会」は立ち現れるものであり、どこかに「理想の市民社会」があるわけではありません。「こうあるべき」で裁く発想は、「市民」固定化し、人権と公共性を対立させるだけです。権力に新たな権力をぶつけるという発想であり、それでは「アサーティブネス・非攻撃的自己主張」を基盤とする、対話型のコミュニティを放棄することになります。沖縄の事例は、切迫した状況の上で先鋭化委した課題のp発露です。
私たち浄土真宗の教えをいただくものの言う「報恩感謝の日暮し」から遠ざかっていくことになります。
2016/10/21(金) 午後 3:11