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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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12月

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絶望  谷川俊太郎

 絶望していると君は言う

 だが君は生きている
 絶望が終点ではないと
 君のいのちは知っているから

 絶望とは
 裸の生の現実に傷つくこと
 世界が錯綜する欲望の縄の目に
 囚われていると納得すること

 絶望からしか
 本当の現実は見えない
 本当の希望は生まれない
 君はいま出発点に立っている

 思いではどうにもならない現実。十一月十三日、十月報恩講のご講師であった兵庫県たつの市のGuitar法話の小泉信了師が、急逝されました。布教先のことでした。
 節談説教研究会で、最初に住職の説教を誉めてくださった方でした。巻き戻せるならと願っても、戻らない時の矢が恨めしい。善導大師は「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず」と、自身を通して私たちを御戒めになります。
 生老病死の前で無力な自己を知らされることは、あまりにも苦しく、詩人はこれを「絶望」と呼びます。しかし、それを知るものこそを、正客とされるのが大悲の親さま、阿弥陀如来です。
 小泉師と私との共通の法話、因縁話に、野口雨情の「七つの子」製作秘話があります。詩人になりたいとニート暮らしをする雨情を、資産家の親が心配して娶せ子どもが生まれる。それでも雨情は詩作を諦めきれず実家を離れとある温泉で暮らしつつ文学にふけり、結局そこの女性といい仲になってしまいます。
 子を残して妻は去る。自身の業に苦悶する雨情が、七歳の子に当てて書いたのがこの歌だと言われます。烏は7匹分の卵は産まない。また、7年も巣に子どもがいるわけがない。
 「可愛可愛と 烏は啼くの」とは、子を想う心と自己の欲望に引き裂かれる雨情の絶唱でありましょう。そのように「絶望」する私であるからこそ、南無阿弥陀仏、「だからあなたが大事でならん。離さない」と、常にこの胸に歌われる如来さまの声であります。

12月の行事
☆お朝事 3日 10日 17日 24日
 (31日は除夜でおやすみ)
☆常例 12日(月)午後2時〜門信徒総追悼法要  観経六首引き 花岡静人師(奈良・勝光寺)
☆除夜会 31日(土)午後11時半〜 壽光寺鐘楼
☆元旦会 1月1日 除夜会終了後すぐ 
 正信偈行譜 干支説教(住職)

11月

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   まっかな秋      薩摩忠

まっかだな まっかだな
    つたの 葉っぱが まっかだな
    もみじの 葉っぱも まっかだな
    沈む 夕日に てらされて
    まっかなほっぺたの 君と僕
    まっかな 秋に かこまれて いる
 
    まっかだな まっかだな
    からすうりって まっかだな
    とんぼのせなかも まっかだな
    夕焼け雲を ゆびさして
    まっかなほっぺたの 君と僕
    まっかな 秋に よびかけて いる
 
    まっかだな まっかだな
    ひがん花って まっかだな
    遠くの たき火も まっかだな
    お宮の 鳥居を くぐりぬけ
    まっかなほっぺたの 君と僕
    まっかな 秋を たずねて まわる

 青空がぬけるように高くすんでいて、夕焼け雲はどこまでも茜色に輝く。次第次第に冷えていく日々に合わせて、自然の美しさを感じるのが十一月でしょうか。空の赤が、映しだされたように柿の実にやどり、やがてそれは私たちの「いのち」の紅さを知らせてくれるのです。

 仏教は「今」を問います。この「今」に至る「いのち」の流れを過去世からずっと受けている「今」であると教え、私の「今」が未来を創りだすと、私を貫いて遥かな未来を照らし出し導くのです。そのとき、私は全ての「いのち」とリンクするのです。気が付けば仏と育て上げられる道をすすんでいる私となっている。
 「南無阿弥陀仏」の仏さまは、遥か昔に成仏なされ如来となって、あかあかと現在にはたらき、私を浄土へ摂めとるとこの世へ私を還される。この広大無辺かつ休まれることのないお慈悲のはたらきを、「めぐみ」と信知せられるのが、「阿弥陀=アミータ=無限」というお名乗り。名は体を表す、名体不二の南無阿弥陀仏といただくことであります。
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世相をとらえたり、遊びの世界を描いたりするのも、J-popの歴史に底流としてある、エンターテインメント性の発露。

戦後でいえば、「買物ブギ」「ズンドコ節」等。小林旭御大には、すごい冗談ミュージックがいっぱいある。私的には「自動車ショー歌」絶賛ですが。

それを受け継いだのがかの大滝詠一師匠。まあ、「ナイアガラ」シリーズにはやられました。はっぴいえんど、といえば、細野晴臣師匠にも冗談ミュージックは流れている。

遊び心の音楽。設定がぶっとんでいればそれだけで面白い。「老人と子どものポルカ」「クロネコのタンゴ」「おら東京さいくだ」「麦畑」「およげたいやきくん」等々、実はビッグヒットはこの鉱脈から飛び出す。

「おどるポンポコリン」などアニメの主題歌もそうだ。

オリ・ラジ「パーフェクト・ヒューマン」だって、そうだ。

実は、ももクロは、(というかヒャダインが)この鉱脈がメインだった。だった、というのは、現在はここから幅を広げているからである。しかし、MVに限れば、作り甲斐があると言える。だって完全フィクションだから、創作意欲刺激されますよね。

ということで、私的王道ベスト10曲。

1.「行くぜっ!怪盗少女」(前山田健一) 
 和田誠&Kyon2「怪盗ルビー」を彷彿させる代表曲。変調を繰り返す
2.「GOUNN](只野菜摘&しほり) 
 仏教世界をテーマとしたオリエンタルな世界。
3.「猛烈宇宙交響曲・第七楽章 「無限の愛」」(前山田健一)
 宇宙海賊大活躍というイメージで広がられるシンフォニック・ロック
4.「Z伝説〜終わりなき革命〜」(前山田健一)
 Zになって最初の作品。どんだけ自分スキなんや!と言いたくなるが、これ、東日
 本大震災ショックで沈む「日本」への応援歌である
5.「Z女戦争」(やくしまるえつこ・ティカα名義
 平和を守る戦いを放課後繰り広げて、戦地仲間と合唱コンクールをする約束を契る
 という世界観の歌。ブッとんでます。
6.「MOON PRIDE」(Revo)
 いわずとしれた「美少女戦士セーラームーンcrystal」の世界。5人がセーラー戦士
 と重なって。
7.「『Z』の誓い」(森雪之丞&NARASAKI)
 5人が「ドラゴンボール」のキャラクターに扮して歌うコラボレーション曲
8.「Wee-Tee‐Wee‐Tee](CHI-MEY)
 アメリカのペット「Furby」になって、ファービー語で歌うPOPでキャッチ―なCM
 ソング。きゃりーぱみゅぱみゅ路線の先駆である。
9.「ワニとシャンプー」(前山田健一)
 夏休みを満喫したら、宿題が終わってなくて焦る歌。なんじゃこら、説明不能曲。
 とにかく聞いてください。できればMVで。 
10.「ココ☆ナツ」「サンタさん」 (前山田健一)
 同一ラインで「サンタさん」が冬曲。これも説明不能曲。ただただ「ココココ」と
 いい「サンタサンタサンタ」を連呼する曲です。
 

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巡査部長は「(抗議する人が)体に泥をつけているのを見たことがあり、とっさに口をついて出た」と証言したと、大阪府警監察室。 
             朝日新聞デジタル 10月21日(金)17時57分配信

 20代だから、そういうことだろう。そうすると前記事で述べた、下位概念であったという証言である。汚らしいという感覚が発話感覚。しかし、それが「土人」という学習しなければおそらく使うことがない言葉と連結したのは、上位概念で「機動隊」か「警察」で流通していることは想定しうる。

 前記事で指摘したよう、今この警察官個人を問題にすることではない。また、「抗議側が言葉づかいが悪い」ということでつりあわせる問題ではない。反対し講義する住民の言い分に「理」があり、もちろんヘリポートを建設する米軍やそれを条約から担保する日本政府にも「理」がある。

 前記事で考察したよう、「対立」とは、そこからから学ぶべきことで、対立を不要とする立場や対立を煽る立場ではダメだ。「対立」は、市民社会としてはそれをどう扱うかを学ぶべきことで、先行知見では、
「「対立は悪くない」。一人ひとり意見や経験、立場が違う以上、対立は必ず起こります。対立が悪なのではなく、対立の扱い方を知らない ことが危険なのです。関係性の力は、キーコンピテンシーの一つ。」と理解しています。以下参照。

さて府警監察室報告は、前記事で指摘した知事の問題を明らかにした。沖縄住民中心に米軍駐留に反対する人(これは日本全国から来られている活動家を含む)たちの主張を聞き、一方で国や米軍の論理を聞き、答えを探していくことが、目指すべき社会の方向。

 かつての(今もそういう古いセンスを持ち込む人はあるが)「○○運動」のように、一方的に国や米軍を「悪」としても、具体的利害(殴られたとか襲われたとか沖縄を犠牲にしたという歴史性とか)だけでは、安保や基地問題は解決しない。

 また、国側も「国家意思に従え」というだけでは、市民社会からのコントロールを受けなければ、独裁独断的な暴走を始めて、怪物化してしまいます。リヴァイアサンは人を喰うのですから。

 だからこそ、段階的解決を民主党政権も含めて打ち出した。それが100点だとは言わない。けれど、0点を30点に、30点を60点にと、していく努力を相互でしていくべきだ。0か100かではない。

 繰りかえしだが、メディアや知識人たちが、固唾をのんで地元民と国との意見対立とその解決を待ち、そこへ介入して意見を述べたり調整するという作業が、社会をよりよく動かしていくという価値観である。

 機動隊や警察は、武器と盾をもつ暴力の使用を許された仕組みです。何故それが許されるのかに、法的根拠とそのコンテンツである「市民権、私権、公権の擁護」があるわけです。だから、暴力を装備した「警察」が、暴力を許可されない市民を無条件で敵視したり、レイシズムに加担しないよう、「警察自身」が慎重に冷静に運動しているのです。そいうい警察の自律的なありように賛同しつつ、逸脱を発見し調査し評価して、警察に協力していくことこそが市民性の発露です。

 ところが、松井氏はそういう構造が理解できず、むしろ警察へ、「対立」する一方が権力であるなら、権力に従えというメッセージを無邪気に送った。「相手もひどいことを言っている」というところは、その辺の見物しているおっちゃんの感覚で、自身が権力の行使者であるという立ち位置が失われている。言い換えれば、近所のおっちゃん感覚で「いけ!」という上司であるわけ。

 御苦労さんが逆なんです。事実と立場をふまえて、例えば、

「政府の意志を執行するという重大かつ厳しい任務についている大阪府警の諸君、御苦労様です。基地問題は外交を含む国家の先権事項であるので、行政の問題なのに、現場でそれを反対運動者と諸君らという対立にしていることを申しわけなく思います。それゆえに、一方的に悪役とされるなど、いろいろな矛盾を感じることも多いでしょう。しかし市民を護るという警察の原点を忘れずにいただきたい。この度のことはまことに遺憾でした。若い機動隊員の言い過ぎを、上司として謝罪します。」

 一例ですが、市民社会を構築するために、警察や機動隊員を擁護するということは、こういう言辞であろうかと考えます。

 「武器装備」を許す側ですから、逆らう方も逆らう方だからといって、武器装備が許されない「市民を撃て」と命令する上司であってはならない。何より、大阪府警自体が当惑したでしょう。
 
 最後に、疑問なのは、反対運動側の主張が明確に報道されないことです。従来の沖縄問題のくくりに納めて、個々のケースを追いかけていない、大手メディアの怠慢ではないのかと。また「沖縄での基地反対は何でも正義」ということで、上記のような調停機能も果たさず相手が警察官なら何を言ってもいい、どう攻撃してもいいという、相変わらず「権力を批判するのが存在価値」として、対立の片側にしか立たないのは如何なものか。

 情報を掘り起し伝えることで、提言を生み出すという仕事を、是非行ってほしいところです。


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1903年 第五回内国勧業博覧会 絵はがきから 沖縄等七「土人」、と展示された「アイヌ」の人々
沖縄での機動隊員発言から 
時間的空間的利害的に先鋭化した場面に於いての表現考察


ある若い女は、わたしに言った。 「わたくし、ある毛皮屋にひどい目にあわされましたのよ、預けておいた毛皮に焼きこがしを拵えられて。ところがどう、その店の人はみんなユダヤ人だったんですの。」
 しかし、なぜこの女は、毛皮屋を憎まないで、ユダヤ人を憎みたがるのだろう。なぜ、そのユダヤ人、その毛皮屋を憎まないで、ユダヤ人全体を憎みたがるのだろう。(サルトルの記述から)

サルトルの引用はステレオタイプ化の例であるが、そこから自己に損害を与えるものに、誰でも彼でも「ユダヤ人め!」というシンボライズされた悪罵が出るわけではあるまい。或いは、ひそひそと「あんなひどい失敗をする雇われ人はユダヤ人じゃないお」「そうね、ユダヤ人に違いないわ」というアナロジーが行われるわけではない。

エスニシティやネイションを共有する集団が量的に優位であることを前提にして、つまり「みんながそうアナロジーする、シンボライズする」ということがあって、その量が質、すなわち「ユダヤ人は狡い、汚い。邪悪だ」という価値判断が言語表現と顕現し流通する。その現象がくりかえし立ち現れる時、それを私たちは「レイシズム」と呼ぶ。或いはそれを前提として、政治的社会的に排除或いは優越を行為するされることが再生産される支配概念を「レイシズム」と呼ぶ。

 思想・イデオロギーというものが切り離されて存在するわけではない。それはあくまでも考察対象化したときの符号であるから、行為された現象や個々の表現においてそれらは階層的に考察分析されるべきである。この点で、同様な性質である「ジャーナリズム」の当事者たちが、「差別語」であるとして、既成の通念や用語に依りかかってしか、反応できない貧しさが気になる。


 人の行為を分析するとき、アナロジーやシンボライズ、を心的作用を結果から定型化したと理解すると、修辞においては、メタファー・メトニミー・シネクドキ等、私たちが「譬喩」という表現で分析する。「さわるな 土人」という「土人」をどう分析するか。「シナ人」をどう分析するか。

 既にジャーナリズム側では、これを本土人=人種的日本人、沖縄島嶼民=人種の違う土人、という理解を示しているが、そうだろうか?これは、機動隊員の沖縄県民への一律「人種差別」という問題であろうか?これはそのような、「まつろわぬもの」へのメタファーであるのか。
 メトニミーは換喩と訳されるが、国会や国政政治家を「永田町」というよう、表現における近接使用や概念の隣接を利用して行われる拡大表現である。上記の場合は包含関係を利用している。すなわち、永田町に国会があるからである。
 シネクドキは提喩と訳されて、そのうちで、下位の表現が上位の表現を、上位表現で下位を示す場合をいう。ウチの僧侶同士で「おやま」といえば、本山・本願寺という寺院を指し、さらに浄土真宗本願寺派という宗派・宗門を指す、というように。
 この20代の機動隊員が「ネトウヨ」とアナロジーされて行くこと自体に危惧を覚えるのは私だけであろうか?

 発話状況を鑑みるに、「さわるな」とあるから、「土埃にまみれた人<汚い人<正しいことに従わない人<反政府の人<非日本人」という表現モデルの中から、最上位の概念形成がそこで、或いは集団的になされたと断定できるのだろうか。最下位、すなわち「土がつくからヤダ!」という嫌悪感の表出ではない、と言い切れるか?
 メトニミーとして、「地べたで寝たり坐ったりする人を土人という」という「自然<人工」「野蛮<文明」という構造であることもまた、否定はできない。

 これらの表現は、警察社会や教員社会、芸能界、そして電通などの、外部との差異だけでなく「使命」や「伝統」にアイデンティファイしていく集団、自らを特徴化することで様々に意匠をまとい自己主張を再生産する集団を前提とする。その集団を「この沖縄の、この機動隊」とするのか、「機動隊の中の大阪」とするのか、「機動隊一般」とするのか、「警察一般」とするのかで、事の位相が変わる。

 限定解釈か拡大解釈かである。

 いづれにせよ、そういう譬喩表現の際たるもので、かつ安易かつ肝要なツールが「隠語」である。警察社会がアイデンティファイするのは、その「使命」であり「役割」行動である。しかも企業やサークルと同じ人為的な仮想共同体である。ヒトは入れ替わる。そうすると20代機動隊員の発言は、①警察社会へのアイデンティファイの結果②そのツールとして現在、集団で流通されている「隠語」の発露、とも見える。
そういう推測をきちんと取材して当否を裏付けることこそが、報道する行為でありその現場主義であろう。しかし、既成の文脉でしかこの用語をメディアは解してしない。さらに、追跡している様子がない。かほどに、政治オンチであるのだろうか?

 大阪府警の上司である松井大阪府知事が「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様。」と労り、彼がとんでもないバカでない限り、「土人は上位概念の表現でシネクドキです」とお墨付きを与えられた。
 
 したがって、大阪府警(そこから類推される警察社会のうち機動隊など国家権力を代行する機関)において、「まつろうもの」と「まつろわぬもの」という二分化された価値を隠語により、再生産する構造をそのアイデンティティとし、それ自体を自己決定(或いは自己変革できない‐決定しているのは松井一郎をはじめ行政の長)ジレンマを、現在も強いらていることが明らかになった。
 そうすると、警察や機動隊への批判は的外れであることがわかる。ことは、暴力装置が必要か必要でないかという幼稚な議論ではない。警察機構がより、市民社会の形成に寄与していく方向で、私たちが観察し摘出し評価しているかが、問題なのである。そしてそれが、現行法下での行政である。

 意思決定できる「政治」において、公選制により主権者の忖度を受けている意識、「民主政治の根幹である代表者意識」、暴力装置に対するシビリアンコントロールの構築、こういう課題が①未徹底だから②そもそもそういう意識改革を警察に施策されていないから③必要が無いから(いつでも権力の意思で動くように)、できていないというの三段階の政治意識が想定される。
 そして、大阪府知事の発言は、明らかに③である。つまり、大阪府民全ての代表者ではなく、行政の長として「府や国家の意志」を優先するのだ。そのとき「まつろわぬもの」は排除され当然であり、そういう組織を府は警察に規定しているのですと。

 そのために成立している隠語表現は、むしろ役立つことであり再生産されるべきことであり(職場で日常的に使う、或いは上司先輩が教えるとか)、譬喩構造は放置したおく方がいいが、それを公で使うと「隠語」であなくなるので意味ないから、「不適切な表現」としているわけである。
 以上、機動隊員発言のうち「土人」発言と、それを擁護する松井知事のツイッター上の発言を考察した。警察がどういう規範で行動していくかに、常に主権者からの調査・評価が行われることこそ望ましいのであり、極論を廃して妥当性を、市民と共に考えていく姿勢が民主社会のリーダーの姿勢であろう。レイシズムは市民社会を優劣や利益不利益をその血統や身体的特徴及び文化習慣で分断していく現象であるからこそ、その価値を保持するものは、これを警戒しかつ自己点検していくことが必要なのである。
 最後に、このような民主主義を軽視し市民社会を支配することを求める人物を行政の長であらしめていることを恥ずかしく思う。パーティとしての「維新の会」は、機動隊員発言に一定のレイシズムを感じて、問題視しておられるのだから、違う人物を次の選挙では候補化すべきであろう。
 
 そして大阪府民は、安易な警察批判ではなく、警察権力はどう制限され、どう発露されるべきかを、これからも追求していかなくてはならない。




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