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神経質である。 |
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2008年10月22日
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robitaさんやsingle40さんとの関連で、親鸞門徒としての(領解)を3回に分けて述べる。これは全ての僧侶門徒が同意するとは限らないが。 |
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(タイの人々の合掌。掌を合わせて己の働きを封じる。絶対の尊敬である) このヤフーブログでも、「占い」や「霊視」などの話題は 〔エンターテインメント〕という項目に分類される。そのことへの疑問。 血液型性格診断の本がベストセラーとなる。「求める側があるから」と、必ず出版社はいう。売れるというのが、市場経済ではベスト。命をかけた研究の歴史なぞしったこっちゃないってか? 「エセ科学」といって、科学的な装いをちりばめて「断定的」にヨタ話をいう。ヨタ話だからエンターテインメントである。 ところが、これを逆にすると、 ということになる。これは真理か欺瞞か??? たとえば、スピリチュアル。 学問としての「神学」からは、キリスト教神秘主義の一種となる。カソリックが成立していく過程の中で、各地域の原始宗教・民族宗教・民間信仰をとりこむ(否定ぜずにそれを縫合できる論理や感情の展開によって位置づけてしまう)ことで、普遍性を獲得してきた。 だから、心霊主義も明確に排除せずに「神への信仰」に導く手立てとしてきた。ところが教会批判がおきてカソリックが批判され「プロテスタント」が成立すると、その個人主義的側面の裏返しとして「神秘主義」もまた自由化して育つ。 「シルバーバーチの霊訓」が近代の心霊主義の出発点となっているのだが、 という特徴をもつ。 「私だけが知っている」「ワタシが特別」「わたしにはわかる」 こういった他者への優越性の希求が加熱して、自我を際立たせる言語活動が「憑く」ということであることを明確にしてくれる好例である。 最初にこれを受け入れるか否かで全てが決まるので、論理や話し合いの余地はないのが特徴。だから、nazunaのように「他力本願」のものは入口でアウト!であるが。 ところがいったんこれを無条件に認めるといくつかの転換がおきる。たとえば「自分も霊が見える」とか。 そこまでいかなくても霊媒しからレッスンを受けて「あなたの霊力がアップした(最近の人ではこのとき「チャチャッチャ、チャララ、ラ〜」とマリオのクリア音楽が響く)」といわれ、「念を送る」とか「エネルギーをおくる」とか実行してみると、それによって歯痛が治ったり家族の問題が解決したりするのである。で、そういう体験を告白するとそれが証拠ちなる。ここに同門の仲間が集まると、私もそうだ私もと、増幅されて、心理が真理に昇格するんです。 「私は特別」のマス化ですね。こうなると言っちゃえば勝ちです。で、命をかけちゃう。渇愛と食欲が結合して「食ってしまう」という究極までありますもんね。 問題はこれを「エンターテインメント」にしていいかということ。さらには見世物としてメディアにのせて拡大していいかということなのです(続)
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