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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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うちのゴマ

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神経質である。

負けず嫌いである。

人間にこびない。

優雅である。

思慮深い。

コイツとはいっぺんきちんと話し合おうと思っている。

絶対他力1

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robitaさんやsingle40さんとの関連で、親鸞門徒としての(領解)を3回に分けて述べる。これは全ての僧侶門徒が同意するとは限らないが。


「おそらく多くの日本人が無意識に受け入れているものとして、死=葬儀=仏」と書いてくださったことから。「人は死ねば仏になる=成仏する」と無意識に日本人は決めつけている、と読み換えてみる。さらに「人は死ねば何もしなくても自動的に仏になる」と読むともはや教えでも何でもなくなりますね。


実はこれには、根拠があってそれを本覚思想という。本覚(ほんがく)とは、本来の覚性(かくしょう)ということで、一切の衆生に本来的に具有されている悟り(=覚)の智慧を意味する。如来蔵や仏性をさとりの面から言ったものと考えられる。平たく言えば、

〔衆生は誰でも仏になれるということ、あるいは元から具わっている(悟っている)ことをいう〕。


「大乗起信論」で説かれるように、これは本来「成仏の可能性」を確定する議論であったのだ。ところが、教理や行(身・口・意のなすところ)を抜きにして、これだけを全面に出すと「死」や「死後」を問題にすることも、教えに帰依する必要もなくなってしまう。困ったことだ。


もちろん「可能性」の議論であるから、間違いなく「成仏」するかどうか直感的には疑問の余地が残る。そこで人が死ぬと…


「葬儀」という儀式を行いお坊さん(仏教の専門家)を呼び司っていただくことで、「成仏の保障」を得ようとする。保障を求めるのは、「死ぬことはよくないことだ」というテーゼから「死んだ人はかわいそう」とか「みじめ」とか「悲惨」とかいう見方になり不安であるから。だから「成仏」保障がその人の安心になる。肉親など別れがたい人であればあるほどに。


ところが浄土教は「死んでからでないと成仏しない」「生きているうちは悟れない」のである。


「人は死ねば成仏する」と比した言い方をすると、「『人は死ねばわが浄土へ往生し成仏する』と阿弥陀様が決定されている」となる。


nazunaは「人は死んだらどうなるか私にはわからない」と言うしかない。親鸞さまは「このままやったら私は死んだら地獄へいく」とおっしゃったのであるが、nazunaはそれすらもわからん。けれども、「私」がどこへいくかはわかる。


「私は死ねば浄土へいく。そこで仏になる」まちがいない!
これが教えを聞くということである。

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(タイの人々の合掌。掌を合わせて己の働きを封じる。絶対の尊敬である)

このヤフーブログでも、「占い」や「霊視」などの話題は 〔エンターテインメント〕という項目に分類される。そのことへの疑問。


血液型性格診断の本がベストセラーとなる。「求める側があるから」と、必ず出版社はいう。売れるというのが、市場経済ではベスト。命をかけた研究の歴史なぞしったこっちゃないってか?



「エセ科学」といって、科学的な装いをちりばめて「断定的」にヨタ話をいう。ヨタ話だからエンターテインメントである。


ところが、これを逆にすると、

エンターテインメントというくくりの中では、どんないい加減な情報でも流していい


ということになる。これは真理か欺瞞か???


たとえば、スピリチュアル。


学問としての「神学」からは、キリスト教神秘主義の一種となる。カソリックが成立していく過程の中で、各地域の原始宗教・民族宗教・民間信仰をとりこむ(否定ぜずにそれを縫合できる論理や感情の展開によって位置づけてしまう)ことで、普遍性を獲得してきた。


だから、心霊主義も明確に排除せずに「神への信仰」に導く手立てとしてきた。ところが教会批判がおきてカソリックが批判され「プロテスタント」が成立すると、その個人主義的側面の裏返しとして「神秘主義」もまた自由化して育つ。


「シルバーバーチの霊訓」が近代の心霊主義の出発点となっているのだが、

自らが「霊媒」として「自分にしかわからない」という立場で語る


という特徴をもつ。


「私だけが知っている」「ワタシが特別」「わたしにはわかる」 こういった他者への優越性の希求が加熱して、自我を際立たせる言語活動が「憑く」ということであることを明確にしてくれる好例である。
最初にこれを受け入れるか否かで全てが決まるので、論理や話し合いの余地はないのが特徴。だから、nazunaのように「他力本願」のものは入口でアウト!であるが。


ところがいったんこれを無条件に認めるといくつかの転換がおきる。たとえば「自分も霊が見える」とか。


そこまでいかなくても霊媒しからレッスンを受けて「あなたの霊力がアップした(最近の人ではこのとき「チャチャッチャ、チャララ、ラ〜」とマリオのクリア音楽が響く)」といわれ、「念を送る」とか「エネルギーをおくる」とか実行してみると、それによって歯痛が治ったり家族の問題が解決したりするのである。で、そういう体験を告白するとそれが証拠ちなる。ここに同門の仲間が集まると、私もそうだ私もと、増幅されて、心理が真理に昇格するんです。


「私は特別」のマス化ですね。こうなると言っちゃえば勝ちです。で、命をかけちゃう。渇愛と食欲が結合して「食ってしまう」という究極までありますもんね。


問題はこれを「エンターテインメント」にしていいかということ。さらには見世物としてメディアにのせて拡大していいかということなのです(続)

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