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「お説教そのものはええねんけど、あの高座の上からこうじろーっと眺めるというか見下ろすというか、あの態度がきらいでなあ」とは、師の一人の御言葉。 なるほどとうなずけるのである。高座は「こうざ」ではなく、もともと「たかくら」であるから。 「たかくら」は天皇や皇帝といわれる、祭祀と政治の頂点にして権威と権力の極みを表現する人格の座り位置である。 中国に仏教が入り、国家仏教としての繁栄をむかえる中で、護国法要が成立する。法華経や仁王経や金光明経を修するにあたっては、導師は当然最上位になる。したがって、儀式においてか「礼盤(らいばん)」という台の上の御畳に座する。 そして、読者と講義者は、「高座」で相対する。お経=ブッダであるから、それを読み講義するものは「ブッダ」として扱うわけである。 こうして、国宝でいえば岩手・藤原三代の中尊寺金色堂の礼盤(たしか仙台博物館?)に見るように、日本では当然のこととして、「仏を礼するためにのぼる座。須弥檀の正面にあって前に経机があり、右に磬[けい]、左に柄香炉を置く。師子床ともいう」と定着する。 神仏習合させて、仏教を上位においた平安期の様々な宮中講においても、高座で講義されたのである。やがて、寺院が各地に作られると「説教」僧は高座にあがって、経の解説をしたが当然ながらそこには、譬喩や仏伝・高僧伝が物語れたと推測しうる。お経の一節を声明で唱えたり、俗謡や和歌を詠じたりしつつ法華経への帰依や浄土往生のすすめ、さらには真言呪法を勧めることは、大寺院や仏像の建造にあたって、民衆からの寄付(勧進)を募るには、必要であった。 (落語の高座) およそ、このような経過で「唱導」が成立する。十分な経解釈がなくとも人々の情に訴えて、寄付を募るものもあったであろうし、寄付と称してその日の渇えを潤すもとを集めるものもあったであろう。僧侶=乞食であり、唱導=芸能である。渾然一体の発達を両者が行う時期があったといえる。 しかし、やがてそれは屋外の芸能と屋内の儀礼・説教に分離し、前者はより習俗に傾斜し後者はより権威に傾斜する。僧侶自身がブッダとしてふるまいブッダとして語るという方向に日本仏教が進むとき、釈迦の仏教・インドの仏教との隔たりは明確になった。 寺院内で、これは物理的だけでなく観念的にも、僧侶がブッダとふるまうということは求道においてはマイナスである。内愚外賢という姿に僧侶自身が苦しまなければならなくなる。だから、「寺院内」からの脱出が生まれる。これが遁世である。 わが真宗は遁世の典型であり、インド仏教への本家返りを志向するものである。そこで、冒頭の師の言葉にもどれば、高座を「たかくら」にしないという心構えが必要なのではないかと思われる。詳細は省くが 高座に登壇する者自身も「お聞かせにあずかる」ことであり、それは「法を説く」ものではなく「法を悦ぶ」ものであるというのが、先の師へのnazunaの回答である。 一段高くするのは声を通りやすくするためと割り切って、高座に上がろうと思う。 したがって、nazunaは説教原稿を書く時には「法説」を使わない。全て「法悦」と表現するように努めているのである。
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2010年02月23日
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