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7年目の「夜間中学」がスタート 管理職がいれかわり、ほぼ同期の二人の先生が去り、さらに講師で中国語堪能な先生が去り、気がつけば非常勤の三人はこの職場のベテランになっている。 昨日の離任式。各先生のコメントに胸を熱くした。夜間の人々が「文字を学ぶ」ということの意味を、みながとつとつと語られた。 わたしは、うちがびんぼうであったので、がっこうへいっておりません。 だから、じをぜんぜんしりませんでした。いま、しきじがっきゅうでべんきょうしてかなはだいたいおぼえました。 いままで、おいしゃへいっても、うけつけでなまえをかいてもらっていましたが、ためしにじぶんでかいてためしてみました。かんごふさんが北代さんとよんでくれたので、大へんうれしかった。 夕やけを見てもあまりうつくしいと思はなかったけれど、じをおぼえて、ほんとうにうつくしいと思うようになりました。 みちをあるいておっても、かんばんにきをつけていて、ならったじを見つけると大へんうれしく思います。すうじおぼえたので、スーパーやもくよういちへゆくのもたのしみになりました。また、りょかんへ行ってもへやのばんごうをおぼえたので、はじをかかなくなりました。 これから、がんばって、もっともっとべんきょうをしたいです。 十年ながいきしたいと思います。 四十八年二月二十八日 北代 色 森田ますこ さま 60代で書かれたこの北代さんの文をみなさんは、どう読まれるだろうか。この37年前の文書は、さまざまな立場の運動の中で、いろいろと運動側に引用され、或いは愛され或いは批判された。 そこにコメントするつもりはないので、虚心坦懐にこの文章のみを読んでほしい。「夜間」で生徒さんとつきあっていれば、この文章のとおりの心持を生徒さんが述べられる場面に何度も出会う。つまり、北代さんの素直な喜びが伝わらないだろうか。 政治運動は必ず人々の思いに基づいて動く。けれども、政党政治・民主主義というのはある種のたてまえ、擬制であるから、「そのような思い。ニーズ」があるという前提で動く。それはやがてさまざまな政治組織や運動体がその目的を果たしたにもかかわらず、自己増殖的に存在をし続けさらには、存在するための理由を反対に作り出すということすらなる。さまざまな「ムダ」な組織や「何のために存在するかわからない組織」が、事業仕別けで次々と明るみに出たことからも、理解されるであろう。 資本もそうで、差異を強調し商品需要を喚起する、といえば聞こえはいいが、必要のないものを「必要である」ように擬制するわけである。 さて、わが「夜間中学」は夜間中学であるために存在理由を探しているのであろうか? 御所市の教育長はそうお考えであるようだ。ひょっとしてどこかの首長もそうお考えであろうか??? 就学援助が突然切られ、簡易給食も切られ、夜間中学生の2割は「通学を諦めた」結果が出た。もともと老齢で年金生活者であられたり、低収入の方も多い。「保障してほしい」という生徒会の運動によって、いくつかの条件は引き出されたが、それでも「いらない学校」と扱われていることをひしひしと感じる。 この7年、中国からの引き揚げ者とその家族の多様性を知り、また若い層(孫・ひ孫の世代)の「出稼ぎ」意識に、一世や二世が「そんな気持ちではいかん」と叱咤される場面にも立ち会った。 さらには、80代の生徒さんの向学心。nazunaと同年代の「就学猶予」生の無念。そして、家庭崩壊や不登校による若い世代の、セカンドチャンスを求める心。これらに出会いながら、「学びとは生きて行く力である」と実感してきた。 一番の原点であるところで、疎外されて苦しむ人は結構多い。多くの交流を通して、「義務教育修了者」や「義務教育中」の人々の中に、現に「学び」から疎外されそのことで傷つき、「生きる力」を喪失しつつある人が存在することを、nazunaは知っている。なぜそうなるのかはわからないが、現にいらっしゃるのである。 たとえば不登校生にも卒業証書を出すという「形式卒業」の問題。彼らが本当に学びたい、本当に生きて行くエネルギーをたくわえていきたいと、思ったときにそれに応える公的な組織はないのである。金持ちならいろいろな手立てもあろうけれど。無償でのセカンドチャンスがない、というのが我が国の現状である。 小泉改革からの一連の流れの中で、競争に勝利することをモチベーションとすることが再び社会の主流となった。ならば、そういう流れの中で、セーフティネットとしてのセカンドチャンス、サードチャンスがなければ、若者(30代もふくむ)にやる気はでまい。 北代さんの言葉を引用された先生は「終身、夜間の教員でありたかった」という思いも語られた。これをわたしたちは確かに受けとらねばならない。
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2010年04月09日
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