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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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念願の書が、新装成ってやっと読むことができた。小沢昭一、桂米朝、大西信行の師である、正岡容の著作である。岩波書店に拍手である。しかも、今回は大西信行の増補付きときている。
 
天龍三郎氏の証言もあって、大変興味深い。
 
正岡は、この著の中で、「浪花節」がいかに忌避されたかということを同時代者として証言している。それは、
①芸術至上主義、キリスト教ロマン主義的な大正期の空気の中で、たとえばクラッシックの歌曲と比して、浪花節の三味線の調子と節回しが低俗・下卑・猥雑なものとして、とらえられたこと。
②大衆に媚び国策に準じる有り様から語られる、エセ道徳的な忠君愛国のストーリー、義理人情のしがらみなど、「物語性」やその表現のデタラメさ、さらには歴史や事実の歪曲など、有識者から見たときのレベルの低さ。
③そして、浪花節の演者や聴衆、席亭や興行主に、犯罪者やその筋のものが実際に多く存在したこと
の3点である。
 
これらは、部落史研究のレベルでも対象化された傾向である。明治以降近代日本社会のもつバイアスを示す。
 
 
nazunaの歴史認識のベースにもなっているのであるが、中央集権かつ均質な国民国家の創出のために、それ自体がフィクションであり多分の観念的であるのだが、
統一理念としての天皇制の創出が行われたのが明治10年代であった。
 
 
それは一面復古という伝統の装いを施しながらも、西洋近代を志向したのであるから、江戸的なものを封建的として葬り去り、日本的なものをむしろ後進性の表れとする価値基軸を隠しもっていたのである。
 
 
それは、裸体の禁止(行水の禁止)や混浴の禁止などを並べた、風俗規制の「違式詿違条例」(明治5年)に見受けられる価値観である。
 
 
先進と後進という評価軸、それは上等下等という価値軸となって前近代社会の価値観を引き継ぐ。さらには、創出された国家神道や天皇崇拝によって、聖俗・貴賤という価値軸が生まれる。この2つの軸が支配的な社会こそ、戦前の近代社会であったといえる。
 
 
正岡は、まさにこのような価値軸の中で生きたのであって、ゆえに「市井の悲歌哀歌」であること「親の無い子の背後へ廻り、そっと肩に手を置いて駄菓子や二銭銅貨を呉れるやさしい物分かりのいい庶民階級の後ろ姿を描き切る」ことに浪花節の価値を見出すのである。
 
 
説教節談と浪花節の親近性は、明治近代の価値観にさらされてこそ、より親近性を得たのではなかろうか。そしてそれゆえに、より近代教団たろうとす教団の志向から「説教」は、切り捨てるべき存在となっていったのではなかろうか。
 
 
 
 
 
 

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