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この夏もミステリーを中心に小説と研究書、ノンフィクションを読む。 中でも、圧巻であったのはこの書。書棚で1年以上眠っていた書。ん?読んだっけ、と手にしてみて、角田房子のものと勘違いしてたことに気がつく。 角田房子の著での印象と、甘粕の印象がすっかり変わってしまった。 合理主義者でありつついささか常軌を逸した行動をとる。満州の夜の帝王と言われた、甘粕正彦。 大杉栄と伊藤野枝、そして甥が殺害されたのは、1923年9月16日。同年の今日、関東大震災が起きて、「朝鮮人虐殺事件」を生みだし甘粕事件を生んだ。 前年3月に結成された水平社は、労働運動・農民運動との連帯をとなえて、左傾化していくのであるが、この「甘粕事件」も大きな影響を与えた。 それらについてはこの書の担当ではない。しかし、甘粕が陸軍幼年学校出身で大杉もそうであったこと。事件の直前に移動で東京憲兵隊渋谷分隊長兼麹町分隊長となっていたこと。ここに冤罪の匂いが立ち上る。 佐野眞一はいつもどおり史料を丹念に発掘し、事実を丁寧に積み重ねる。その丹念さによって、甘粕という人間の姿が迫力をもって浮かび上がってくる。 結論を言えば、この事件の責任者として責任をとる、というのが甘粕の覚悟であり、どうも陸軍は「甘粕ならそうするであろう」とふんでいたようである。彼は裁判から後は、「自分が実行犯」という立場を崩さなかったようであるが、人間であるから回りの人間に気を許したときに、「ぼくはやっていない」と洩らしたそうである。 そののちの甘粕。満州謀略から満映の『理事長』としての甘粕正彦は、「満州国」に帝国軍人として矜持と希望を込めて、第二の人生を歩んだように思える。 そこには、甘粕特有の超合理主義、すなわちその時点で「中国支配」や「異文化排除」を超えてしまった、ありえない近代的な世界を作り出してしまった精神が、横溢していたように思える。 はっきりいって、村上もとかの「龍(ロン」とこれで、甘粕への評価が変わった。 甘粕が「自己責任意識が強くいったん飲みこんだらルールを厳守するという社会規律意識の高い人間」であると理解できたとたんに、むしろそういう人間を使い捨てにしていった「命令者」の存在とその仕組みをこそ、暴いてやりたいという衝動にかられる。明治的秩序を絶対視していくことで保身・出世を果たしていく構造である。 水平社運動や朝鮮独立運動、さらには学問の自由や思想の自由にまで話を広げると、大逆事件、万歳事件 3.1運動 朴烈事件、大杉事件、等々。また美濃部の「天皇機関説」攻撃。治安維持法の制定。 特別高等警察と内務省警保局が看板になるのだが、ある人々を「天皇親政」と「天皇崇拝」の対極に位置づけて排除していくフレームを作ったものがいる、ということである。 やがて、このフレームの中に戦前社会が飲みこまれていくことを思うと、これを「国体」としたフレームアップの主体者こそ、A級戦犯であると思われ、明治末から大正にかけての政治権力と政治思想を少し丁寧に洗ってみたくなった。イメージとして植えつけられた陸軍元凶説に? という疑問を与えてくれたのである。 内務官僚・有松英義や寺内正毅、桂太郎らの人脈関連に注目して調べてみたい。 自らの認識を揺るがせてくれた書。この夏一の収穫であった。それにしても購入して1年以上、本棚で密かに熟していたのであろうか??? |
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2010年09月01日
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