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さて、「賽」である。賽は、塞に貝を配した文字であるから、土塁の中に貝つまり財宝を埋める行為のことである。
司馬遷の史記。これは歴史書であると同時にその時代の百科全書でもある。それによると、この行為は「封禅」の一部である地の神を祭る行為である。封禅は、天を祭る「封」と地を祭る「禅」の2つで行われて、黄帝以来中華の皇帝になるものが必ず行わなければならない儀式をいう。
秦の始皇帝が中華に進出して中華の皇帝たらんとしたときには、既にその知識が失われていたといわれる。結局、始皇帝がどうしたのかは謎のままであるが、私的に行ったようである。
字義からうかがえば、禅は 示に單で。示は神への供え物をのせる台に載せた祝詞である。單は、坦(タン)とセンで成り立ち、地を払い平らにするの意。おそらくは、土木工事をして自然に手を入れる許可を得る儀式であろう(小山を削り土を取り出し、それを窪地に埋めるときに財を埋伏させたのであろうか。
人間社会が形成されるためには、土木工事は不可欠である。堤防を築き道を作る。その際にも「禅」を踏まえた儀式を行ったにちがいなく、その儀礼跡を「賽」の字で表したと推測する。
日本に伝わっては、賽の神と観念されて、道祖神(さいのかみ・みちのかみ)として、自然と人間界の境界に祭られた。河原もまた人間界と神域との境界領域である。
以上のように、賽の河原はまさにこの世とあの世とのあわさりめである。この世であったえあの世でない。あの世であってこの世でない。
時間に置き換えれば、昼でもなければ夜でもない。夜でもなければ昼でもない。夕間暮れと明け方であり、個人の意識内では夢か現か現か夢か、である。
トワイライトゾーンであるな。
そこで語られる物語。賽の神は地蔵菩薩と変わって表現されていく。
(続く)
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2010年11月13日
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