|
物語は、京都の西院村から始まる。
フシ「これはこの世のことならず 死出の旅路のすそ野なる
賽の河原の物語 聞くにつけてもあはれなり」
今から丁度千年ばかり前のことである、平安城の西にあたる西院村で名を知られた立花藤左衛門景信と云う豪族があった。一子、藤太重信が九歳になった延長八(930)年の夏、散歩の途中に草むらにいた蛇に女中のお虎が驚き、乳母が確かめる。すると、つづらになった蛇が寝ている。三尺もある銀色の白蛇である。景信「乳母を驚かせたやつめ」と退屈まぎれに蛇を太い杖で打ち殺してしまった。(無益の殺生)
藤太は二十歳となると、悪所通いに放蕩三昧。白拍子に入れ込んで立花家の身代がかたむくほどになったが、両親の意見も空しく相変わらずのこと。とうとう有り金もなくなり田地田畑は悉く人手にわたってしまったので、藤太は勘当された。しかし両親は追い出した子どもが心配であって、身を削る思いで暮らす。そのことが原因で父、景信は骨と皮になりやせ細ってしまう。
5年の月日がたち両親はどうしても息子に会いたいと、探させると奈良で墨屋をしていた。隣家のなじみの若者を使わせて、「勘当を解いたので、帰ってきて幼馴染の従妹の好女と結婚せよ」と知らせたが、その間に父は亡くなってしまう。
藤太の方は、墨屋をしているうちに、紀州路熊野の女、おりんという女性と割りない仲になり二世を誓う身となっていたので、帰参を断る。しかし、使者の若者は説得する。なやんだあげくに藤太は京都西院に帰り、好女と所帯をもつ。母は息子の帰参を待っていたかのように帰らぬ人となった。婚礼と同時に、藤太はおりんに去り状を出した。
発端である。まず、景信の無益の殺生・蛇殺しが因果の因とされる。さらには、息子重信は、熊野の女、りん女を裏切る。
りん女の父平蔵は、俵藤太(娘が化生した蛇の因縁で、三上山の大ムカデ退治をする)=藤原秀郷の家来として、天慶三(940)年二月十四日に関東に向かったとされている。
この年月日はもちろん後世の付託であって、関東新皇・平将門軍と藤原秀郷・貞盛軍の決選の日である。
朱雀・村上天皇時代の話として、物語舞台は設定されているのである。
熊野の女というのがどのようなイメージでとあれられるのか。のちの展開をみれば、へき地・鄙の地としての熊野であって、未だ朝廷帰依の阿弥陀本地垂迹の権現というイメージはない。
ここから物語の原型は相当に時代を遡れるように思われるであるが。
(続く)
|
過去の投稿日別表示
-
詳細
2010年11月18日
全1ページ
[1]
コメント(0)
全1ページ
[1]






