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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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葬儀考3 初七日

 
 
 
 
本願寺派の葬儀における勤行は、
①臨終勤行②納棺勤行③通夜勤行④出棺勤行⑤葬場勤行⑥火屋勤行
⑦収骨勤行⑧還骨勤行
の8つである。
 
最後の還骨勤行のあとに「白骨の御文章」を拝読して、「後生の一大事」の解決として、念仏相続を勧めるわけである。
 
ところが…このあとに初七日法要を併修する輩がいるそうである。いや、いるどころではない。わが宗派に限らず「大阪の僧侶の9割はそうされる」とは、某葬儀社主任のK氏の談である。
 
まあ、驚いたねえ。
 


 
私も住職初心者のころに、門徒からそういうリクエストがあって、
①真宗のお領解があれば(信心獲得後)、中陰思想は乗り越えられているので、七日七日のお参りをするしないにこだわる必要がない
②そういう説明や確認に時間がかかるので、時間的にコンセンサスができない
③自分より年配にあたる門徒さんのお申し出であるから、無下には断りにくい
の理由で受けた。
 
ちなみに本願寺派の規定では、七日参りには「阿弥陀経二首引き」に準じる勤行を行うこととなっている。さらには、「追善」という考えそのものがないので、全てが「仏徳讃嘆」の法座である。だから、お勤めは三部経の法事に準じるから、
①三奉請②表白③経段(六首引き)④願以回向句(願以此功徳〜)
となる。そして、たとえ5分でも法話をするわけである。
 
だから、初七日法要は1時間を見なければならない。
 
で、若気の至りでおっしゃるとおりにした。
 
結果………
 
喪主であらせられた70代の息子さんが椅子席で居眠りをし、また、親戚の一部は時間なのか忍耐できなかったのか聴聞できずに、途中で退席。そして、オチは、「年寄りが多いので早く済ませてください!!!」と孫さんに怒鳴られて、はいそうでうすかと話をやめまして、ジ・エンド。
 
 
そこで、つくづく悟ったのである。葬儀から勘定すれば初七日法要を併修すれば、都合6時間〜6時間半はかかるのである。前日にまじめに通夜をすればほぼ徹夜で葬儀を迎えるのであるから、そりゃあ草臥れるし眠くもなる。
 
そもそも無理なことであるね。じゃあどうやって併修するのか????
 
 
再びK氏に尋ねてみた。「初七日を併せてやるとどれぐらいの時間なん?」「きっちりしはる方もいらっしゃいますけど、早い人は20分ですね」「ということは、実際は還骨勤行だけ行って『初七日法要をしたことにしておく』ということ?」「まあ、ざっくり言えばそうですねえ」「でお布施は?」「お布施は葬儀分以外に初七日分をもらっていかはります」
 
つまり、三日後乃至は二日後に中陰思想に従うならば勤めねばならないものを、「いやあ、わしが言うたんとちがうねんな。檀家の希望でなあ。やりたいいうさかいなあ」とやるわけ。従わんのならば「中陰思想は仏教では否定されとる」と最初からせんでもええ、と教示しなければフェアではないです。
 


 
お寺は「日程が減ってお布施は増える」という話。喪家は「別の日に時間をとられて、さらには食事を含めた接待をするテマヒマと費用が節約できるし、世間にはちゃんと七日参りをしてますとカッコウがつく」という話。
 
なるほど、都合のエエこっちゃ。なるほど、これをして 坊主丸儲けというのではなかろうか!?
 
ここには、仏教の論理は一切ない。消え失せている。せいぜいが「坊さん読んでお経を読んでもらう→死んだ人はええとこいく」という得手勝手な論理であって、これ、厳密にいいますと死んだ人も生きている人も(僧侶もふくめて)地獄必定です。
 
せっかく葬儀をして、みんなして地獄行く算段をしているわけですねえ。当流でも、
一切法話のない僧侶も多い。お経を省略する僧侶も多い。いやむしろ宗派の規定どおりの勤行をし、きちんと法話をしてお取次ぎの努力をするという僧侶が、稀であると、葬儀社情報である。この10年、ずっと葬儀社の方に通夜勤行をして法話をされるかどうかを確認すると、そうなるのである。聴聞の宗派なのに(泣)。
 
まずは自分が経典や祖師の偈文を頂戴することを放り出し、仏法を伝道する機会であるともせず、儀式のBGMに甘んじて、ドノツラさげて、釈尊の弟子であるというのであろうか?いやあ、お釈迦様は「出家は葬儀にはかかわるな」とおっしゃったからねえ」というのいなら、天台・真言・禅・浄土の僧侶は撤退しなさい。
 
出家ではない在家であるならかかわったらいい。その場合、出家づらは止めて欲しいが。
 
恥ずべし傷むべし。これは結局、僧侶自身が「葬儀」の場での読経の意味や広く宗派の考え方をきちんと受け継いでいないということではなかろうか。


かの経験から、nazunaは、妥協を一切やめることとした。葬儀に僧侶が呼ばれるのは、相手はどうであろうと、「釈尊の御教えを頂戴せよ」ということ。わが宗旨に即せば「称名の御縁―どうか我が名を称えてくれ。いや、必ず必ずお前の口にかかる名乗りとなるぞ、という如来の仰せを聞きそのお徳を讃嘆する御縁」と思い定めて参加する。
 
 
28日(月曜日)は12月、6件目の葬儀である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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葬儀考2 遺影の移動

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廿日市市の葬礼の行列(野辺おくり)
 
遺影や仮位牌を持って、斎場へ行く。このルーツはやはり、葬礼の行列にあろう。
 
葬儀は家や公民館ではやらなかったのだ。もともと、通夜をして出棺する。ここまでが自宅であって、斎場(火葬であれ土葬であれ)まで、行ってから葬儀を行うものであった。
 
葬儀に僧侶のかかわりを求められたら、臨終の勤行を行い(今からかちがいなく浄土に往生し仏となることを聞かせていただく最後の読誦・礼拝・称名の場)、次の日に出棺のお勤めを行う。
 
で、それから、葬式をするための道具をもって、家の前に隊列をくんで、斎場まですすむものである。
 
今日では、葬儀を自宅もしくは会館で行い、自動車で斎場までお棺を運ぶとそのまますぐに窯に入れられるわけで。すると、仮位牌と遺影はただただ運ばれて帰ってくるだけになってしまうのである。
 
葬儀式場→斎場→精進落とし(料亭や会館)→斎場(骨拾い)→自宅もしくはお寺、というパターンであるなら、遺影や仮位牌を持って移動することに理由があろう。葬儀式場に戻らないのであるから、持って出てもらわねば片づけができないことになるからねえ。
 
けれども、斎場から葬儀会場へ戻るのであるなら、遺影や仮位牌などを持っていく必要がないわけである。そうすると、位牌と遺影の移動が違和感なく行われているということには、別の新しい意味が加わったと言えるのではないだろうか。
 

 
それはすなわち、参列者に見せる「遺影」「位牌」であり、かつ喪主や中心の遺族が誰であるのかを、第三者に明示できるグッズとして必要とされている、と思われる。
 
葬儀が遺族や知人友人さらにはコミュニティの社交の場であることの証左であろう。がしかし、そうなると「葬儀」を宗教儀式とする必要もないということになろう。
 
そこで。nazunaが仕切る葬儀では、式場に戻るパターンの場合には、遺影や法名紙・法名軸・仮位牌などは、斎場にもっていかないのである。かわりに、懐中名号をもっていただくのである。そして、真宗の葬儀として、「仏法聴聞」に徹するのであるが。
 
このあたりはそれぞれの考えが、成立しそうでありましょうねえ。
 
 

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