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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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「無縁」を考える1

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:大きくなって家の王者となったトマト!
 
エジプトでフェイスブックの呼びかけから政権が倒れた。
 
この始まりのニュースをnazunahaは、「ネット」で知った。そして、ツイットはしないけれど、世界のいろいろな人の書き込みは読んでいる。読むことで、nazunaは、「読まないnazuna」とは違う展開に生きている。
 
たとえば、この話を12日のお朝事の法話の導入として話した。そこで、絶対にネットに縁のない老人に「CPで情報が瞬時に伝達されることで、その正邪や当否はともかく、一つの国の政治が変わった」ということが、伝達された。それはまた、それぞれの方の意識にはたらきかけ、nazunaの知らないところで何かを変えているのである。
 
縁起とはこういうことである。
 
 
なんでも、孤独死し身寄りのないものが沢山増えているそうな。それがどうした?と言いたい。そんなことを大上段に「無縁社会」などという頭を疑う。NHKというメディアが賞をもらって調子に乗っているそうな。島田某という似非宗教学者がさっそく商売をしているもんな。
 
 
要するにそのことは、①死体の処理に困るということ②それにともなって後始末に公共のコストがかかるということ③モノのように処理されていく「死」に対して何らかの畏れを感じている、ということではないのか?
 
 
①〜③のことは、本人以外がかかわることになるから「問題」になってきたのでしょう。なら、ちっとも「無縁」じゃないじゃないか・有縁だ。
 
 
あの戦争のときでも、孤独死はいあっぱいあった。誰が誰やらわからん黒焦げの死体や戦死通知しかない葬儀などなど。また、歴史の中では山中や海上で孤独死するものはいた。この孤独死は、世間一般の感覚で申しているのであって、看取るものがなく人知れず死すという意である。
 
 
けれども。ren'ohさんが書かれているように、大無量寿経によれば
 
人在世間愛欲之中 独生独死独去独来
 
である。人生は孤独を生きるのであって、たとえでいうならレールが一筋というイメージである。仏教であれ宗教とは、孤独をよしとするのである。親子兄弟夫婦という家族の絆などは地上の原理である。だからこそ宗祖は
 
親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。
 
と仰せになられた。これは、この娑婆の業縁を超えていく原理としての阿弥陀仏の大悲大慈に貫かれてあらせられればこその物言いである。
 


大信心はすなはちこれ仏性なり。仏性はすなはちこれ如来なり。仏性は一子地と名づく。なにをもつてのゆゑに、一子地の因縁をもつてのゆゑに、菩薩はすなはち一切衆生において平等心を得たり。一切衆生は、つひにさだめてまさに一子地を得べきがゆゑに、このゆゑに説きて一切衆生悉有仏性といふなり。一子地はすなはちこれ仏性なり。仏性はすなはちこれ如来なり
 
意訳)
真宗の信心とは仏性であり、仏性はそのまま如来である。その仏性の在り様を「一子地」というのである。菩薩は、全ての生死あるもの一つ一つをまさに「一人っ子を育てる親ごころ」のように、わけへだてなく平等にながめることができるのである。すべての衆生は、ついには必ずその位を得るから、すべての衆生にことごとく仏性があると説いたのである。この一子地は仏性であり、仏性はそのまま如来である。


 
阿弥陀仏の本願に帰依することから、感じ取られる「仏さまの世界」とは、以上のような個々の命を個々のままに包摂sていく世界であり、「もれなくすくう」はたらきの中でこそ、「真の平等性」が実現されてあるのである。
 
娑婆の縁がつきはててこその浄土往生。無縁=アジールは、世間と切れてこそであ
る。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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