|
宗教の話題がつづいていたのでちょっと休憩。ボクシングのお話を。
わが町に、「フミヤ」書店という本屋さんがあり、そこで本を買うことを覚えた。
初めて自分のおカネで買ったのは、「少年マガジン」と「少年サンデー」である。
やがて、義兄の導きでボクシングファンとなり、小遣いで買えたのはこの冊子であった。
主催の平沢雪村師の文章は激烈であった。一例をあげれば日本での試合でホームタウンデジション(地元判定)があて、どこが悪い!というものがあったなあ。「観客も審判も自国の名誉を守るものである」からこそ、応援に力が入ると。
昨今の、大相撲八百長問題と重なるところも無きにしも非ずである。
写真は60円であるが、80円か90円であったので、月500円の小遣いをもらう身でも気軽に変えた。この冊子で、ソニーリストンを知りカシアス・クレイを知りことになる。そして白黒の衛星放送でクレイあらためアリの試合を見ることになるのであるが。それよりも、祖母の小さなテレビを借りて布団の中に潜ってみたボクシング中継を懐かしく思う。
平沢氏は、日テレの「ダイナミック・グローブ』の解説者。他にフジテレビで『ダイヤモンド・グローブ』、それから「東洋チャンピオンスカウト」(TBS)などがあった。
解説者で好きだったのはもっと時代が下って、郡司信夫さんと白井義男さま。それに矢尾板貞夫さん。いづれも元一流のプロボクサーであり、白井さまは日本最初の世界チャンピオンである。
今はないナンバの大阪球場で、レオ・エスピノサとの試合をHNKによって、はじめてのテレビ中継となった。偉大なチャンピオンである。
新聞やテレビは、スポーツとしてのボクシングという側面よりも人間ドラマとしてのボクシングを扱いたがるが、あくまでもスポーツである。
今、WOWOWで解説しているジョー小泉さんも、平沢雪村氏の影響を受けたそうである。nazunaは、この「ボクシング」誌によって、いくつか技術的な観点を教わったのである。血沸き肉躍るKO.。日本人が世界の強豪と対等に戦い勝利するというところに感じるナショナリズム。1950〜70年までは、そういう要素がある種抑圧された状況であればこそ、ボクシング人気はプロレス人気とともに上昇したと思われる。
一攫千金のドリームというには、ファイトマネーが色あせて、世界チャンピオンが粗製濫造される時代において、このノンカラーの雑誌を読み返すと、世界に伍して日本の選手も戦える、戦うには日本人らしいファイトを目座右という、まさに1990〜2010年にかけての『日本サッカー」についての言辞とぴったり重なるのである。
つい先日。あの長谷川穂積をテクニックで誘った左フック一発でKOしたフェルナンド・モンティエル、彼の肩のフェイントからの右フック(次の左の複線とした)に、カウンターで左フックをかぶせてケイレンさせたのが、ノニト・ドナイル。それから今一番世界で稼げるチャンピオン、マニー・パキャオ。フィリピンからアメリカで成功する選手が次々と出ている。その一方、かつて全盛を風靡したコリアンファイターは面影もなく、韓国ではプロボクシング自体が衰退している。
フェザーにあがった長谷川選手、スーパーバンタムの西岡選手、スーパーフェザーの粟生選手と、アメリカ進出を目指しているがフィリピンボクサーに一歩先を越されている。
この3選手が全てテクニシャンのサウスポーであることに今の日本人のボクシングスタイルの特徴があると言えるだろう。
国を背負ってという大上段の意識から、スポーツとしてのボクシング技術と駆け引きの妙。また、フィジカルトレーニングの知識や技術が向上している現在、フィリピンボクサーの肉体づくりについても学ぶべきものが多いのであるが。
ジャーナリズムに、そのような特集や解析は見られない中、月刊はベースボール・マガジン社の『ボクシングマガジン』にやや経営に不安が残る新生『ボクシング・ビート』。
マガジン誌では「ガゼット座談会」が復活して、荻野貞行氏を思い出させてくれたが。マッチメイキングにおける収益構造というプロならでは問題と、ジムから選手へのファイトマネーの配分問題にはなかなか踏み込めない。
「日本と世界を結ぶ専門誌」を本当に必要としているのは現在であるのだが。
|
過去の投稿日別表示
-
詳細
2011年02月27日
全1ページ
[1]
コメント(0)
全1ページ
[1]


