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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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魚津「せり込み蝶六」街流し:真宗教義や親鸞伝から始まる「口説き」である
 
問題提起の①と⑤にかかわってである。
 
会が「お師匠」とする方と、それぞれの宗派で「よい布教使」とされる方とは必ずしも一致しない。
 
「よい布教使」というのも俗っぽい言い方であることは承知であるが、御住職や宗派が呼ばれる先生と、門徒さんが「また聞きたい」「何度も聞きたい」と思われる先生にもズレがある。
 
僧侶の視点でいえば、教学的に正確であって、なおそれを感情豊かに説いて下さることに重点を置いてしまう。
 
しかし門徒さんは、これも俗な言い方であることを承知でいえば「わかりやすく」「おもしろい」ものを求める。「わからんままに救われる」ご当流からいえば、これは大変危険。けれども「わかる」という言葉を「直観する」という意である場合もあるわけで。
 
いくつかの危険をはらんでも、真宗各派で「法座」が立たない現状を思うと、「生の説教はおもしろい(清少納言的に「いとをかし」)」とアピールして法座を増やすことが、当面必要である。これは間違いない。
 
研究会はサークルである。サークルである以上、立ち上げたメンバーの「好み」が反映される。東京築地・大阪北御堂と大きな大会ができたのは会員の熱意と力であることは間違いない。けれども、ここで今一度、「好み」という主観的な評価軸を点検する必要がある。
 
創設にかかわり、或いは会員としてセミナーに一度は参加されたメンバーで足が遠のいている人が生まれていないだろうか?
 
或いは各宗派で「会のメンバー」はどう見られているのだろうか。
 
アーカイブ世代の我々と、随行世代の方々とは受け取りが変わる。
 
アーカイブ世代では、関山和夫先生と小沢正一さんの業績から、一般に広陵兼純師と筆頭にして、茂利宗玄師、川岸不退師、寺本明観師、誓山信暁師、野上猛雄師、祖父江省念師、が一人者となる。また、真宗内部では、すねいるや市原栄光堂などでカセットテープ化された「法話・説教」で、藤野宗城師や範浄文雄、真了師、滝川堅正師や青木明透師、毛利顕成師、西尾常信師、藤嶽敬道師、西尾常信師、佐々木伸麿師、そして東保流・竹内文昭師が認識される。
 
2007年時点で、これらの音源のある方に加えて、各地域や宗派で「高座説教」をなさっておられる師をお聴聞された布教使さん方を加えて、実際に高座で実績のある方を一律、お師匠とすべきである。これがアーカイブ世代。
 
しかし、2007年に既に「節談説教」を実践し、また師について学ばれていたり、過去に学ばれた経験のある方の思いは違うはずである。谷口幸璽師や佐々木高彰師、塚本敬慈師、千葉善英師、さらには東保流の方々は、違う評価軸で「師匠」をとらえられているであろう。
 
だから、会としての「好み」は偏らないためにも、2007年の時点で、高座布教中心の先生方は一律お師匠として、みんなでお聴聞するという機会が、今必要なのではないか。特に、ここ数年、お聴聞の機会のない先生方に、会員がお布施してお聴聞することが(ご招待)、あればいいなと思う
 
高座や節談に対する思いや考えも様々であるから、虚心坦懐にお話しをうかがうことが望まれる。
 
 
また、会のベースには、関山&小沢コンビの仕事があるわけで。特にレコード化された「日本の放浪芸シリーズ」「能登の節談説教」は1970年代の仕事で、nazunaが学生のころであったと思う。既に米朝全集のレコードを収集していて寄席通いはピーク。また、テント芝居に熱中して、「語り」と「物語」への関心を高めていたので、小沢の「板敷山」と「榎物語」を聞いた記憶がある。さらには、関山大先生の「説教」研究本や落語関連本に大きな示唆を受けてきた。
 
今、この仕事のあとに生まれてきた会員がいる以上、何らかの形で「関山&小沢&広陵}の回想録が望まれる。この仕事と、すねいるなどの法話テープの仕事が、真宗文化として特筆される業績である以上、会としてそこからきちんと学び、敬意を払う必要があると考える。
 
この2点は、個人としても自分の中できちんと考え続けなければならない。共時的理解歴史的理解の両軸であり、会の仕事の客観化でもある。
(続く)
 
 

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富山で見た典型的な積乱雲
 
大会が終了して、考えることが多い。
 
整理しなければならない問題も多い。
 
親鸞さまのご遠忌にかかわって、「節談説教」にお声がかかる。会員の実態を会が全て把握できるはずもなく、それぞれの地域で行われている情報を、いろいろな形で漏れ聞く。
 
今、「節談説教」はこの積乱雲のような気がする。
 
先日門徒さんからおしえていただいたのであるが、竜巻は下から上でなく上から下なのである。
 
ややこしい説明(気象学・自然科学的説明)を省いて言うと、積乱雲が地面に触れると竜巻となって可視化されるということである。ということは、あちこちで竜巻的状態が起きているわけで。
 
「みんな見えてないからないと思ってるんです」「目撃されない状況で国内でもしょっちゅう起きてるんです」とのこと。
 
 
トップダウンが現象化するとボトムアップに見える。これが会の現状ではないか。
 
そこで問題を整理すると、
①トップが実態として確立できているか
②見えない状態の高座が、地上(ご門徒・大衆)に触れたときに、可視化されて竜巻となるぐらいの勢いやレベルをキープしているか
③そのための基礎構造を会が提供できているか(しょうとしているか)どうか。
④各宗派内で認知と評価の努力を求めているか、またそのための努力をしているか。
⑤積乱雲は雨を降らすか高温度によって消える。説教・讃嘆は「語り」である以上、場とヒトに依存し消える。一過性である。したがってアーカイブされたもの(DVDやCD化や文字化)との関係を整理できているか。
 
の5点であろう。
 
 
 

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