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2011年11月24日
私は夜間中学生 木下俊 71 大阪府守口市
我が家の晩ご飯を4時に食べるようになってから、はや2年が過ぎました。私はいま夜間中学に通っています。午後5時40分から始まる授業に間に合うよう、いそいそと準備をします。
私の父親は戦後の混乱期に福岡の炭坑で働いていましたが、不景気と閉山により炭坑を転々としました。そのため、私は満足に学校へ行くことができず、義務教育を全うすることなく13歳で家を出て働き、職を転々として18歳で大阪に出てきました。
68歳で体を悪くして廃業するまで、私は字が書けませんでした。このことで、いろいろな面で苦労しました。自営業でしたので、同業者や仕事をくれる親会社には随分気を使いました。字が書けないことがばれないように、片意地を張って生きてきました。
仕事をやめて思ったのは「今なら勉強ができる」ということでした。私が行けるような学校がないものかと思っていた時、妻が夜間中学の生徒募集の広告を見つけてくれました。
入学当初は学校に馴染めませんでした。今まで片意地を張って生きてきたので、それを簡単には脱ぎ捨てることができず、「今さら、なぜ俺が」と、心の中で抵抗したのです。
しかし、そこには私と同じような経験をした人がたくさんいて、こんな思いをしてきたのは自分だけではないと知りました。今では心の垣根も取れて、学校に行くのが楽しみです。
年をとってからの学びなので思うように頭に入りませんが、同じ苦しみを持った多くの仲間と、少しずつあせらずに学んでいます。
わが夜間中学の生徒さんである。夜間中学生として入学してこられて、あるとき生徒さんは激変する。何歳も年齢が若く思え、よく笑いよく泣き感情をきちんと表現し自分の意見や考えを人前で話し始めることになる。
「学び」の目的が、究極の自己肯定を他者とのつながりの中で獲得するとき、わたしたちは社会的人間としても、或いは生物の類としてのヒトともなる。
木下さんの発言は、いつも深く思い。それをひょうひょうと軽妙に語られる。
交流のときも、中学生や高校生の思考が深まるような、意見や質問をされる。
上記の文章にもその力と生きてきた証がきちんと「書く力」となって、つづられている。夜間中学の目指す「学力」の一つの到達点であろう。
生涯学ぶという夜間中学から、阿弥陀様のお慈悲の光に包まれて念仏者は 「いつでも育ち盛り」とお育てに預かる。ありがたいことである。
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