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当寺ご遠忌 お練り
こちらでは、諸説俗説をとりあげたい。
機の深信のお話をしたときに、
「十悪全部あてはまるなあと、自分で思います」と
具体例をあげて、お話したあとに、お聴聞の方から飛び出したのが、
「私らはそうかもしれんが、お坊さんには徳がありますやろが」と、言う言葉。
今までで聞いたのが二回目だった。
だいたい、ご当流では、「背くお前が捨て置けん」のであるから、お寺に生まれてくるということは、他の人間に比べて、御法義の濃い御縁を恵まれるのであるから、在家のご門徒よりも、罪業が深いといただかねばならない。
「皆さんは、お寺へ通われるのですから、無明を治療される通院患者。私は、通院では間に合わん重症・危篤であるから、入院患者です」と、申し上げたい。
無条件でお坊さんがエライ、ということはどこからうまれるのであろう?
いや、仮に世間がそうおっしゃても、それは私を生かしめて、私を通して発露する「弥陀の本願力」の尊さであるとしか、言いようがない。
法事や月忌参りにいくと、実に立派なお座布団を引いて下さる。座らせていただくときに、ここの家人が「それほどに御法義を尊ばれているにである。私が座るのではない、南無阿弥陀仏がお座りになる」という思いで座る。
御法話・お取次ぎの際は、いったんお座布から下りて、畳の上で、御本尊さま仰ぎつつお話させていただくことも多い。
上記の写真のように、お寺は内陣を豪華に荘厳し、高価で美しい装束を纏う。しかし、それも、ren'ohさまが、よくおっしゃるように、結衆列衆は浄土の菩薩を演じるゆえにである。内陣を阿弥陀様のお浄土であるとして、お荘厳の一部になるということであるから。
だからといって、生身の僧侶が、エライのだ、と言われると首をかしげざるをえない。
「徳」を 辞書で引けば、
(1)修養によって得た、自らを高め、他を感化する精神的能力。
(2)神的・道徳的にすぐれた品性・人格。
(3)身に備わっている能力。天性。
(4)めぐみ。神仏の慈悲。加護。おかげ。
(5)善政。
(6)富。財産。裕福。財力。
(7)富を得ること。利益。もうけ。得。
と、7つの意味が出てくる。
(1)(2)の精神的道徳的能力の高さ、というのは、その人とよくよくつきあってみないとわからないし、まず私にはあてはまらん。
じゃあ、(3)の天分という意味ではと考えると、芸能人でもスポーツ選手でもなれればなりたかったが、現実はちがう。(4)では、施す側ではなく頂戴する側であるから、正反対。政治家でもないから(5)は無理だし、(6)ならすげ〜〜〜のだが、借金はあっても貯金はないし。(7)はんなとか、TOTOとか年末ジャンボとかに期待しているが最高額1万円が今まで一回だけだし…。
ウチ以外のお坊さんは、このどれかにあてはまるというのであろうか????
敬して遠ざけるということではと、nazunaは思う。
ならば、むしろ反対を真宗僧侶は語るべきではないのか? 世間にそのような感覚があるとすれば、『平生業成』の当流は、「僧侶こそもっとも徳の無いものです」と、黙っていないで世間に告白し続けなければならんのでは。
その上で、このように救からんものが救かる不思議の仏法こそ、讃嘆すべきではないのかと。
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2012年02月09日
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