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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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現大阪城内、石山本願寺特定地
 戦国期の本願寺の足跡を駆け足で紹介する。
 それ以前、加賀一向一揆による領国支配は、室町幕府が守護に対して下す奉行人奉書などの命令書が富樫政親ではなく直接蓮綱(松岡寺・蓮如上人三男)と蓮悟(本泉寺・同七男)あてに送付されていることから、宗政一致の様相を示していた。
 これに関しては、実如上人・証如上人ともに政治権力から一定の距離を置くような通達や指示を出している。しかし、地域側ではそれは非現実的なことであり、加賀一国は戦国領国化し続けます。


永正年間      越前(福井県)朝倉氏の内紛に加賀門徒が介入。
同元年(1504年) 相模の北条氏は領国内での真宗を禁ずる。
永正2〜3年(1506年) 
            近畿・北陸・東海で、本願寺門徒が蜂起(実態は50%程度が門徒と考えられるが、少なくと             も一宗への帰依を標榜している人々が同時期に武装自立を目指したことは社会的事件であ            った)。しかもこれは、それぞれの地域事情による小領主連合による自律的なものであった。
            しこうして、河内国錯乱が勃発する。         
永正4年(1507年) 永正の錯乱。細川政元殺害にかかっわって、政争にきこまれることを恐れ、実如上人は山             科からと宗祖真影とともに堅田本福寺に避難。
永正13年(1516年) 本願寺、勅願寺となる。
永正18年(1521年) 越後・長尾氏、本願寺門徒を禁圧する。


永正年間を見れば、本願寺の宗教ネットワークが地域をつなぎ、各地で自立しつつあった大名領国にとって、領国内領国の有様を示し、大名側から見れば領国内、地域の秩序安定に対しての脅威となっていることがわかります。
 
これらを支えたのは、蓮如上人の子どもたちであり、それぞれが「寺院」と地域民衆の直属門徒化を進めて自立し、小領主化していきます。
 
一方幕府では細川京兆家による支配がすすみ、これが、本願寺宗主の教団法主権を成立させることとなります。すなわち宗教上の権威(善知識)としての宗主から、門徒信徒の連合による、経済力・戦闘力を動員しうる「門主」となっていくのです。
 
その象徴、分岐点が「河内国錯乱」です。これは、細川政元に抗して、朝倉一家と畠山(河内守護)一家が一斉に戦闘をおこし、それに対抗するために細川政元が直接本願寺に、助力を求めたことから起きました。すなわち、北陸・河内の門徒を戦争に動員するということです。ここには、宗教的な理由はありません。
 
本願寺の主流、実如上人グループはこれに従うことを進めますが、大坂御坊に在住していた継母(蓮如上人の最後の妻)の蓮能は、自身が畠山氏出身でもあり、また蓮如上人の遺志を慮ってこれに反対し、ついには実如上人を排斥して、新法主に大坂住持の実賢を擁立しようとする「大事件」となります。結果このクーデターは失敗して、下間主流派によりこれらは教団中央から排斥されます。
 
しかし、北陸でも河内でも、門信徒を動員したにもかかわらず、はかばかしい戦果はなく、北陸ではかえって吉崎御坊が破壊され、蓮如期以来の藤島超勝寺や和田本覚寺は越前から逃れる羽目となったのです。
 
このあとの永正の錯乱でますます本願寺主流派は混乱し、結局、実如上人は実質隠居し、実子円如と弟蓮淳に教団運営をゆだねます。この中で、本願寺は、先師・蓮如上人の手紙を編集して五帖の「御文」とします。
 
現在に至る御文章の、この成立事情を考えれば、以下の禁制、武装・合戦の禁止②派閥・徒党の禁止③年貢不払いの禁止の三法令とともに、政治との距離をおきたい志向が理解できます。それは、既成の政治権力との親和・融和を第一としたものでした。
 
繰り返しになりますが、これを否定して、門信徒をなお組織化しより強力な上下体制を構築して戦闘集団化することを本来であるとする論調には賛同できません。
 
しかし皮肉にも、上記のごとき事態を収拾するために、教団の宗義体制として、本願寺法主の権限を強化し、また、教団を不安定にする要素であった、蓮如上人の子孫の立つ寺院を系列化し、統制することを構築さねばならなくなったのです。
 
ここに、本尊仏具の下付や寺号付与の権利を本山である本願寺法主のみが保持することとし、寺院(この期においては門徒衆の統率者であり小領主であることの承認)の設置廃止の全てを本願寺の統制下に置きました。。
 
また、「一門一家制」の制定し、従来「一家衆」と呼ばれていた本願寺の一族寺院の間に家格を定めて、宗教的地位を確定します。即ち、①連枝 - 法主の子供・兄弟②一門 - 連枝の嫡男(第二世代)③一家 - 連枝の次男以下と蓮如以前に分かれた一族。「末の一家衆」とも。
 
結果として、本願寺は法主に宗教的権限を集約し、その藩屏たる連枝・一門は宗門内で優位を占めることとなりました。しかし、注意せねばならなにのは、あくまでもこれは宗旨権限であって、政治権力や経済権力を本願寺法主が把握しきったことにはなりません。
 
それは、もう少し時代が下ってから、信長という覇王が登場してから、事態は急旋回するのでした。

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