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近年大谷大で発見された親鸞さま直筆(20願と22願断簡)
つい今年に書かれた文章が手元にとどいた。
教育関係者を中心とした一般市民向けに書かれたと思われる文書。
ここに、今の真宗が考えるべき課題が全て出ていると思われたので、それを検討批判したい。なお念のため、書き手との面識もなく、書き手個人に対して何の意図もないので、著者名は省略して、内容を紹介することをお断りしておく。
出典:月刊「同和教育」であい 2012.3.25
『親鸞に聞く反差別の絶対性』 (段落番号引用者)
(前略)
①西洋と東洋の文明は、西洋が愛、東洋は恩を基調としている。しかし、この理解を誤ると、崇高な愛は渇愛に、恩は恩讐に変質して似て非なる結果を招く。
②恩の思想は人間関係を上下の支配・内か外かと、排除の論理が必然的に発生しここに身分制を正当化する理屈が潜み、差別を煽る。この非合理な差別の廃絶に宗教は大きな影響があり、その解消に期待と責務もある。
一読して意味のわかりにくい文章です。浄土真宗では報恩をときます。しかし、そこでの報恩ということは信心獲得後の話ですから、それを一般化して「報恩」ということを日常の論理や倫理にあてはめるのは危険です。どうもそうおっしゃりたいのではないかと推測します。しかし、キリスト教を背景とした天賦人権説に立たれての発言なのかどうかがわかりづらいのです(のちに判明しますが)
「恩愛はなはだ たちがたく 生死はなはだつきがたし 念仏三昧行じてぞ 罪障を滅し 度脱せし」 と、親鸞さまの表現はまことにいただきやすい。
恩愛に縛られこだわっていくのが私たちだねえとおっしゃる。すると、この場合は著者のように「この理解を誤ると」といえるのかどうか。阿弥陀さまから見れば「誤り」ですが、凡夫の「有生の生」においてはそれが大事としか感じられないのではないでしょうか?その智慧の無さを親鸞さまは悲しんだり、嘆かれたりはされますが、そこから離れられるとはおっしゃってないと思います。
さらに②における、「恩の思想は、排除の論理が必然的に発生」というには、乱暴すぎませんでしょうか。前段では「この理解を誤る」と、理知的な認識レベルの問題としながら、今度は「理解を誤らなくても排除の論理が必然」となると、論旨についていけません。
儒教的な「恩」を含んで、朱子学的な恩義理解を批判されているのか。はたまた、真宗の報恩ということも否定しようとなさっているのか。
論旨をたどれば、身分制を正当化する理屈が「恩の思想」にあると断定されて、「恩の思想」は差別を煽ると結論されます。
2つのパラグラフで、「恩の思想」は差別思想とまとめられます。根拠は示されませんが(笑)。
でこのあと、なぜか「恩の思想」の話が消えます。そこで、想像を交えて批評しておきます。
本願寺の教学の中で「報恩」というときは、称名、すなわちお念仏をする、弥陀の名号を口にかけさせていただくことです。正信偈さまに「弥陀仏の本願を憶念すれば 自然に即のとき必定に入る 唯よく常に如来の号を称して 大悲弘誓の恩を報ずべし 」とあるのがその証拠です。
また、親鸞様の仰せの中で、
「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も骨をくだきても謝すべし」とのご和讃では、具体例はなく思いの部分で、阿弥陀さまへの報恩と、師・主知識、すなわち自分と阿弥陀様のご本願との出遇いに導かれた人々(必ずしも僧侶だけではない)への 報恩を説かれます。
これには具体例はない。そこで、六波羅蜜を実践することも、報恩の思いですれば報恩業(大事なのは往生成仏の手立てとしないこと)ですから、念仏者の現代社会における行動倫理・論理は、ここから生まれます。社会福祉や教育活動、さらにはさまざまなボランティア活動を行うことは、必然となります。
また、十八願の抑止門や無量寿経の五悪談、さらには、御本典の真仏土・化身土巻からも、造悪無碍を否定し五悪を侵す自身を超えていく道が開かれてあります。
筆者においては、そのような考察もなく、「恩の思想は差別を煽る」と断定されるのは、わけがわかりません。
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2012年06月01日
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コメント(2)
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夜間の教室へ向かう廊下。光の方へ、光の中へ。
今月のポエム
祝婚歌 ( しゅくこんか ) 吉野宏
二人が睦 ( むつ )まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい
六月。ジューンブライドといい、結婚式の季節。今年も多くのカップルが誕生するのでしょうね。好きだから一緒になる。それも一つですが、熱のある結婚は熱が冷めると……。言わずもがなですか。
親鸞さまと恵信尼さまは、晩年は別居。けれどもご夫婦で歩まれた時間を大切に愛しまれていたようです。吉野弘さんは「ふざけて」「ずっこけて」「ゆったり」「ゆたかに」「なつかしさ」と、表現されます。
どこかでどこかががクロスして、また、平行線に戻って。で互いが見える位置で歩いていく。後ろに子どもという線が描かれ、やがて肩を並べて、新しいラインが加わる。家族を「血縁」とのみせずに、こういうイメージでとらえていきたいなあと思うのです。
浄土へ向かって。お念仏の声とともに。 ○6月12日(火) 午後二時〜 永代経(無量寿会)法要
勤行 仏説阿弥陀経(四句念仏・回向) 真宗六藤会
ご讃嘆 足利孝之師(本願寺派布教使・兵庫安養寺住職)
○同23日(土)午後二時〜 聞法の会
ご讃嘆 住職 「大無量寿経分読」下巻
○土曜お朝事 各午前七時半〜八時半
2日・9日・16日・23日・30日
どの会もどなたでも 参加できます。
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