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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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夜間に学ぶ生徒に学んだ大先輩。河田光夫師。師の方向を継いでいこうと決めたのは20代であった
 
続き)


 
④親鸞が限りなく敬慕した曇鸞は、「同一に念仏して別の道なきゆえに。遠く通ずるに、それ四海の内みな兄弟とするなり。眷属、無量なり。いづくんぞ思議すべきや。」
と、他者とのつながりを説く。この至言を知らずして僧侶たりえただろうか。宗教者が差別者の側に立った時、その拡散、固定化は悲劇的なものになる。
⑤親鸞は、煩悩具足のわが身を自覚していたが、さりとて己の煩悩に開き直って、よしとしていない。『まことに知んぬ。悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし痛むべし。」(顕浄土真実教行証文類信文類)と。自己の煩悩を凝視して、生涯を送った求道者である。この姿を領解せずして何が親鸞教徒なのだ。


 
さて、ここに至って筆者は、真宗について語ります。③④の内容には異議はありません。しかし立ち位置が問題です。まさか、筆者自身が親鸞門徒であると思えないのですが、そうであるならこのお方も残念な人となります。
 
 
ここで筆者は勝手な領解をふりかざして、「幼稚な三段論法者」と決めつけた僧侶を親鸞教徒ではない、と切り捨てます。
 
しかし、筆者の真宗領解こそあやしい。親鸞さまは「自己の煩悩を凝視して、生涯を送った求道者である」というのは、どこぞの近代主義者や、哲学者の立ち位置表現です。
 
そこには、阿弥陀さまの阿の字もありません。南無阿弥陀仏を離れて人間や信心を語られたことなど、親鸞さまには一度もありません。当たり前ですが、信心の人であり念仏者ですから。
 
 
宗教を外殻から眺めて、この筆者は親鸞様を自力聖道門の人にしてしまいました。清沢満之の亜流が犯す誤りです。親鸞さまを、近代的自我の持ち主のようにとらえて、キリスト教的な罪悪観でもって、何か崇高な求道者であるとする。
 
 
自らの死生を問いそれを超えていく道を平易に歩みとかれた祖師像とは全く違う、インテリゲンチャの親鸞像。
 
 
どこまでいっても一人の凡夫と阿弥陀さまに知らされることがそのまま逆転して、往生の主体とされる不思議をいただくという在り様。この真宗のダイナミズムを受け止められずに、筆者の引用にもある「三哉(悲しき哉→誠なる哉→慶ばしい哉)」を表現された(生かされた)親鸞さまを、部分的に切り取り、筆者の都合のいい枠に押し込めています。人権運動としても、念仏相続の上からも大きな誤りです。
 
 
現代の日本社会で人権意識を強調すればするほど、それを建前として自己と乖離させていく人が増えるという事態があります。筆者などはだから啓発せねばんらぬと使命感を燃やされるのでしょうが。


 
差別の問題を考えたり解決するとき、まず事実の受容と承認、さらには他者と自己のかかわりの中でそれを架け橋としていくという、アクティブなあり方が要請されます。河田先生が言われたように、夜間生から「苦労したのに明るい、ではなく苦労してきたからこそ今明るい」生きざまを学ばれた、まさにそこに差別被差別を超えていく道が見いだせるのです。
 
 
しかし既におわかりのように、それは自身が、被差別者であったり或いはそれに同化した位置にたち、差別者を裁くことではありません。全く反対であって、自己が差別するものとなりうるという畏れとともに、自己にはない価値を他者から知らされていくことに謙虚であることです。
 
 
我々は常に差別者になり被差別者になります。そして、社会はその支配的な価値観によって、それを固定化しそのことで何らかの利益を受ける層が存在することで維持されます。まずは言説でもって。そして実態で。そのとき、利益を受けている層(既得権者)は、それが他者の痛みや苦しみの上に成立していることに目をつぶります。市場社会はその痛みや悲しみも、商品化します。そして利益を生みます。利益にしたがっていくと、差別はなくならない方がいいという皮肉な結論がでます。
 
 
そこで、そのような構造自体を明らかにし(智)その上で、それぞれの「自己」がそこでどう無自覚に利益をえてきたのか(十悪五悪)を知らしめるはたらき(信)に遇うことで、今のフレーズが逆方向へ進む。全ては平等であるといいながら、それを受け入れずに差別に無関心、あるいは差別を喜ぶ自分があると気づく。すると、なぜそうなったかという構造にまで気づかされます。そして最終的にその利益とするものを手放すことでしか解決はできません。
 
 
昨年の地震から問題となった原子力発電の問題が、まさにこれです。いかがですか?今まさに、その差別構造・収益構造にメスが入ろうとすると、既得権層はそのことに気づきながら無視しようとします。「これから暑くなるから大飯原発の再稼働は容認」と。また「工場が稼働せんかったら利益がでない。景気もあがらん」と。
 
 
この時の既得権者は死活問題と思いますから、原発が事故して放射能漏れは被害を受けても「大阪は安心」と差別者になります。それが私やあなたです。その利益を守りたい心情を企業や政治は利用し、そして差別を温存します。
 
 
さてさて、発話による立ち位置の表現から、問題を提起してきました。「いのち」や「仏法による安穏な世の中」や「一味平等の関係の構築」を、疎外しているのはまさに私たち自身です。そこが変えられていくのが真実信心です。
 
 
ところが、そのような宗教的感動を伴う主観的真実からではない、実存のレベルで、さまざまな差別や愛憎を受け止めて発信していく言葉ではない表現が、筆者に代表されるように大きくアナウンスされる。
 
 
政治闘争なら多数を獲得するために、こちらも権力的な言辞を用います。しかし、親鸞さまが、現代にいらっしゃたら、そのような権力闘争の主体となることそのものをも畏れ恥じ入り嘆かれるのではないかと思えるのです。
 
 
今、筆者は「反差別」と掲げておられる。それが阿弥陀様のご本願から親鸞さまの在り方を通して、導き出されるとするならば、自己を正当化して無関心なものや過てる理解にある人々をこそ、仲間にしていく大衆運動として、教育や宗教をとらえるように、していただきたいのです。
 
 
現代の日本社会で人権意識を強調すればするほど、それを建前として自己と乖離させていく人が増えるという事態は、運動家と称する人や人権運動をリードすると称する人たちが、悪しき前衛意識に支配されて、「人権」でもって人を誹謗中傷するということを行って平気であるという、その無神経さと夜郎自大さに、民衆が辟易したからだと思いますが、いかがでしょうか。
 
 

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 北関東における今井雅晴氏のグループに対し、越後をまとめる「新潟親鸞学会」の基盤となった快作!
 この巻頭の対談内容こそ、nazunaが立つ点。全く同意であり学ぶべきことの多い先達たちである。
 
さて続きである。

 
③宗教の理想は、当事者自身の救いだけを目的とせず、ひろく人々の究極的な幸福をも、その使命としている。むしろ、自分以外の人の安心立命を願っていると、ほぼ共通の理解にある中、「差別するのは煩悩のなせる業(わざ)、煩悩は死ぬまで消えない、人間の生きる限り差別は消えない」と幼稚な三段論法を平然と語った親鸞教徒の坊さんが居た。今も居る。これは思索停止の許し難い差別の極め付きであり、それを「拡散」する罪は「無知」だけではすまない。

 
長いパラグラフです。しかし全く理解できません。「」内も論旨不明ですが、これが正確な引用であるとしましょう。
 
 
筆者は宗教学者さんであるのかどうかはわかりませんが、「宗教の理想」とわざわざおっしゃるのですから、比較して脳内に「宗教の現実」というのがおありになるのでしょう。そして、「ひろく人々の究極的な幸福をも、その使命としている」とおっしゃいますから、これが理想。「当事者自身の救いだけを目的とせず」というのですから、これが今の現実であるという認識を持たれてあると理解します。
 
 
筆者の言い方を借りて批評すれば、「親鸞さまがいただかれた真宗の理想的領解は、煩悩成就にして三毒を好む、流転し埋没していくしかない私こそが阿弥陀仏のめあてであると目覚めることを通して、大乗菩薩道、すなわち自利利他の人生を歩むものに育てられていくことです」と表現してみます。すなわち筆者が否定される当事者の救いが全ての原点であり終点であります。
 
阿弥陀仏の願いは全ての人を浄土へ迎えとり仏とすることですが、「阿弥陀仏はひろく全ての人々に幸福を与えることをその使命としている」とはいえても、僧侶や門徒がそれを使命とする宗教とはいえません。
 
 
nazunaなどの現実認識はむしろ、宗教を論理だけで語り認識することで、自己を問うことを抜きにしてしまうのが現実であって、「信じる者は救われるんでしょ」という閉鎖構造物として、多くの人々が迷妄に目覚めず、仏法に背を向けているとしか思えないのですが???
 
 
さて、「」内のことですが、実はどこで流行したのかよく揶揄される「」として、聞きます。「」内の発言ですが、『「」と幼稚な三段論法を平然と語った」親鸞教徒の坊さんがいた、今も居る』と筆者は批判します。ここで全く不明なのが、これが筆者との対話内での発言なのか、それとも『語る』とありますから、何らかの公式の場、布教や法事で語られたことなのかということです。まさか親しいもの同士の飲み屋での発言でもないでしょうから、このとおりに布教されたとします。
 
 
すると、「」内の表現は、浄土真宗ではなく、仏教ですらない。つまり、布教の言葉としては誤っています。したがってまず、あなたはまず浄土真宗の教学を学問的にでも実践的にでも学びなおした方がいいですよ、となります。
 
 
ところが、筆者は「 」が普通に通用していると批判します。そしてそれは「差別の極め付き」だと言います。なぜかという説明はありません。そこで少し補足しつつ、筆者を批評するという荒業に挑んでみましょう。
 
 
筆者がいう「幼稚な三段論法」とは、①差別するのは煩悩のなせる業(わざ)②(その)煩悩は死ぬまで消えない③(ゆえに)人間の生きる限り差別は消えない、というものです。
 
まず三段でなくても①の意味がわかりません。真宗教義で語るならば、これは機の深信に当たるところですから、フレーズは逆です。すなわち「煩悩にしばられるがゆえに我々は(もしくは私は、と主体を明確にする)、知らず知らず差別心をおこし、また差別行為をしています」となります。
 
業をいうときは仏教は自業ですから、客観的つまり誰か他人事の話としてはできません。そこで筆者の意図を想像し、「私が差別するのは私が悪いのではなく私の煩悩の仕業です。だから仕方がないのです」とフレーズを補ってみました。こうなると、ここで、アホか!ということになりますね。
 
 
殺人事件を起こして、「いやー、私は殺したくなかったんですが私の煩悩がはたらきましてねえ。仕方がないんです」といって無罪を主張したらいかがでしょう。こんな幼稚なリクツが通るなら世の中むちゃくちゃです。
 
 
では②はどうでしょう。これは「煩悩成就」や「煩悩具足」とあるように、真宗における自己認識(それを通した人間観)です。従って問題はありません。
 
 
そこで③の「人間が生きる限り差別は消えません」も問題はありません。その通りです。したがって筆者が何を批判しているのかが全く不明です。例えば、阿弥陀さまの願力の世界から見れば、「四海皆もて父母兄弟なり」です。しかし、実際の私はわが子と他人の子を差別します。それについては今の社会はむしろ肯定すること名宛も否定はしません。当たり前となります。しかし、念仏衆生摂取不捨とおっしゃるのですから、阿弥陀さまは『隣人もわが子も同じ値打ちで大事なんだよ』と示されるのです。そこで、私たちは私たちの価値観の世界では「当たり前」として見えなかったエゴイズムに気が付かされるのです。
 
 
宗教的な展開でいうなら、幼稚な三段論法でもなんでもありません。第一段はおかしいので先ほど言い換えました。
 
そこで筆者が批判される論の3分の2を肯定するnauznaは普段、どう説いているのかをまとめてみます。
 
「①煩悩にしばられるがゆえに我々は(もしくは私は、と主体を明確にする)、知らず知らず差別心をおこし、また差別行為をしています。いやそんなことはないとおっしゃるかもしれませんが、本当にそうでしょうか。(自身の具体例をあげる)②さるべき業縁のもよおせばいかなるふるまいもすべし、と恐ろしいものをかかえているのが私なのです。それを自覚しようともしないのが真実の私です。そういうお前であるよと阿阿弥陀様、親様はみそなわされたのですね。③したがって差別心や差別事象というのは他でもない、この私が起こしていくことです。その意味でこれからもなくならないでしょう。消えないでしょう」となります。
 
 
問題はここで終わる布教はあり得るのかということです。まずnazuna自身のお聴聞からいって、そういう法話・説教に出会ったことはありません。必ず以下のようになります。真宗は。
 
「しかし、どこまで行っても救われないというお前であるからこそ我が救うという、阿弥陀様のおよび声に今遇うた。遇うことを得た。それはそういう私を悲しむがゆえのお計らいです、そこから一歩もでない私をそこから引き上げられていくはたらきです。ゆえに、「差別する私」は臨終まで消えないと覚悟して、如来や諸菩薩からのお示しによって、わがモノサシで測って価値化し優劣を造るという自己をなんと浅ましいことかと目覚め、それゆえに平等世界、自利利他の人生となれという親様の切ない願いを裏切ってはならぬとあやまりあやまり称名の暮らしをいたしましょう」
 
 
筆者のまわりにこの最後の部分のない布教がホントウにあるとすれば、それは相当に不勉強かつ、浄土真宗の御信心を残念ながらいただけていない親鸞教徒さんであるしか言えません。また、そんな方々の中で真宗を学んだり、或いはご法義にかかわっておられるのであれば、仲間が悪い、としか言いようがありませんね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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