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本願寺というお寺が成立した故地。これが無かった方が良いというのだが、無理な相談。
続き)
仏教史の概説を語られるが、略す。ただ、平安末期の仏教者(僧侶と壇越-公家・貴族)を総じて、「己に専心して戒律、学問、造寺に執着し、人民救済はその視野になく、衆生救済を願う大乗思想には至らない」と、言われる。そして、法然浄土教を「専修念仏の対象は、出家者でなく、在家者であり、貴族ではなく民衆であると、聖道門から除外されていた人こそ救われると布教し、衆生救済の光明が世に出たと言える」と評価される。
そののち『歎異抄』を引用意訳され、「仏教の救いから排除され、社会的にも差別された「穢悪の群生」「屠沽の下類」と呼ばれた殺生を生業とする民衆に安堵をもたらした。」と続けられる。そして、「親鸞にとっては、非人を差別する者こそが「人に非づで、非人」なのである」と位置付けられる。
そしてあいもかわらず、「親鸞亡き後は、乱世を過ぎて、江戸期から人間の魂の救済機能が、宗教界から失われた。それは宗教界の上層が己の栄誉に心を奪われ、その時々の権力の末端機構になっていたからである。宗教界の堕落は、民衆にとって不幸である」と決めつける。
戦後史と現状は、一言。「天孫降臨の現人神が統治する皇国史観から突如、主権在民、と一転してもその普遍、咀嚼は容易ではない。ゆえに、人権・同和教育の更なる深化と拡大に期待するところである」のだと。
こうして筆写していくと、フツウは書き手のバーチャルリアリティとシンクロして、いくつかの風景や論理構造が浮かぶのであるが、全くダメである。
親鸞さまが反差別の思想を説き、まわりはダメだった。という持ち上げ方にほとほと疲れてしまう。そして、歴史もまた、その親鸞さまの思想を、後の僧侶たちが歪めて
ダメにした歴史であって、今戦後民主主義の中で、親鸞さまを正しく評価するものは、反差別人権運動に賛同するものになるはずである。そうでないのは差別者であり親鸞さまの思想を理解しないものだ、という結論。
しかし、それは結論と思い込みありきで、何ら客観性を担保しません。nazuna などは、学生時代のアジビラを読んでいる気分である。反証をいくつかあげておくと、
①親鸞さまの時代においての人間観の中に、尊卑か聖賤かという差別観念の軸も、明確でないのに、突然、「非人」という語で、被差別民をくくって、親鸞はそれを否定したといわれてもねえ???
②重源上人の大仏再建の勧進、あるいは叡尊上人の非人救済、また往生伝に登場する、在家聖の存在などから、仏教思想に基づく社会活動の存在は明らかになっています。
③親鸞さまの嘆きは「南都北嶺の学生」と「吉凶卜占に惑う道俗」にあって、聖道門を全否定されることはありません。もちろん「主上臣下」への批判もあるが、それは仏法(念仏の教え)に背くことへの怒りである。また、「念仏往生の教えが比叡山の仏法を非難するものでなく、時期相応の教えでまぎれもない真実法である」という法然上人の理を尽くした所見に、違えて罪にすることへの義憤であります。
④そして、このブログで何度も書いておりますように、政治と宗教がある種の一致の時代において、政治権力の中で宗教が位置づけられない、宗教からいえば政治と無縁であることは、ありえないわけです。権力の末端機構というのが、おそらく寺請け制度のことのことを意味されるのでしょう。ならば、それを拒否して徳川幕府と一戦交えて本願寺が滅んでも止む無しとされるか。いや、真宗が幕府と一体となって、上からの改革で民主化を行うイズムとなるべきであろうというのか。いづれにせよ、真宗教義の中から武装化と武装解除の両方を示す論理があることを示せなければ
なりません。そこを示さないで、歴史事実を否定するのは、はっきり言って小学生の読書感想文レベルです。
以上の4編にわたって、親鸞さまをわざわざ取り出して、「反差別」を言い立てる人々が、その独善によって、反って「真宗」を損ない、大衆において相互に価値を認め合える地平を開き広げていくことへの障害(党派性によって)となっていることは、明らかです。
政治運動において、敵をおとしいれ或いは脅し或いは力で屈服させるということを、またその反対の経験も含めて、体験してきたからこそ、これではダメだと言えます。
進歩主義・啓発主義、前衛意識、そして党派性。まさしくオウム真理教や全共闘運動に共通する、ひねたエリート意識こそ、差別被差別を超えていく道を求めるものにとって克服すべき課題であるといえます。
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