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永観禅師:『往生拾因』は親鸞さまも読まれていたもの
ネット上で、『教行信証』にも引用がある、沙弥教信をめぐる平安浄土教の諸相を拾い読みしているとちょっとびっくりするPDFに出くわした。 舎奈田智宏氏の大正大学での博士論文の審査レポ。舎奈田氏の論文要旨があり、これはこれでずいぶん面白しろそうで読んでみたいのであるが。 びっくりしたのはこれを審査された、大正大学教授(この春退官された)平井宥慶氏が責任の、審査メッセージ。 「なお研究上若干の欲を言わせてもらうと、「滅罪」以下の課題は、鎌倉期の念仏門においては、基本的に否定される傾向にあった問題である。例えば、念仏行が易行なのは機根を問わず可能であるからで、その時菩提心も問わない、ごとき教えとして広まった部分があった。おかげで、明恵との過激な論争がやり取りされたことは周知のところである。親鸞に至っては、もはや救われてしまっているから、念仏も感謝するごときの意味となり、滅罪も無くなる、となる。こういう往生観を克服(乃至否定)して永観像構築(あるいはこれまでの研究定説を翻して、新たなる研究世界を構築すること)は、本論者にとって、まだまだこれからの課題のように見受けられた。」 びっくりしたね。無帰命安心を親鸞さまが説いているというのですから。おそらくこの先生方(あと、小峰彌彦(大正大学元学長)、松崎恵水(覚鑁上人研究の第一人者)両先生が副査)は、『教行信証』を読んでいない。まちがいないですね。 仏教学の泰斗と言うレベルがこいれだからねえ。 念のために一言いえば、親鸞さまの自己像は「一生造悪」「罪業深重」であって、自身の滅罪は称名を通じた弥陀の本願力廻向によってのみ。従って、弥陀に信順しなければ十悪五逆の泥凡夫のままであるから「地獄は一定住処ぞかし」となる。 この程度のことを弁えていない仏教学????? 大正大学大丈夫か、と言いたいのだが。 同じことは龍大や谷大や仏大にも起きてるんじゃないかと。つまり、真宗の立場で簡単に「自力聖道門」を廃すと、天台・真言の学問やら、禅・南都六宗の学びをスルーしてしまう怖さを感じる。 うちらは大丈夫か?と自画像を問うてみる必要ありですね。 |

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