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先日、大学院生さんが当寺に来られて、「節談説教」をお聴聞してくだされた。 何度もお断りしておくが「節談説教」は関山和夫師が人口に膾炙させた用語で、真宗や説教者自身がそう認識していたり、そう命名したものではない。 伝道のスタイルとして一旦見捨てられた「説教」を、小沢昭一師が「大道芸」として収集され、また話芸の観点から芸能史の観点で高く評価されたのが「節談説教」である。 したがって、関山師がまとめられたように、「布教伝道」の歴史として眺めれば、「落語」や「講談」や「能」や「狂言」、「祭文」に「ちょぼくれ」さらには「タンカバイ」にいたるまで、その関係性は認められる。 確かにテキストとして残る「醒酔笑」(安楽庵策伝)に、現存する噺本や落語ネタに通じる話が認められる。しかし、だからといって、説教→落語というくくり方はかねてから乱暴すぎると考える。 時間があれば論文ノートにするつもりで草稿を作成したりしてきたが、なかなかまとまらないので、いくつかを記せば芸能現象を ①芸能として認識する範囲を、プロであれアマであれ「興行」が成立して、有料な観客(投げ銭をふくむ)が発生していることを狭義とする ②その周辺で、金銭品物のやりとりがなくても、①をなぞる現象を「芸事」とする。 ③①と②をもって芸能文化とする。 と私は、大雑把な分類定義をしている。 2014年、中川桂さんが労作『江戸時代落語家列伝』を出された。ここにおいて、芸能としての『落語』を行うものを『落語』家として、その祖を上方は〈露の五郎兵衛〉、江戸は〈鹿野武左衛門〉におかれた。安楽庵策伝は前史とされたのは先達への敬意であろうか。 両者とも噺本が出版されて活躍されたのは元禄期。上方はその後、〈米澤彦八〉が出てこれは名跡が継承されたことが証明されている。 一方、説教の方は元和偃武から、寛永の「島原の乱を経て幕府の宗教政策が確立され、東西本願寺が道場を系列化して本山‐末寺体制が形成されていく過程と行政村が成立していく過程が同時並行し、信仰共同体と行政単位が一致する浄土真宗に於いては、より強力に「寺請け制度」が機能し、寺院での法要行事の重要性や参加の増大や本‐末体制の中での位置づけの上昇希求など、のベクトルがはたらき、「唱導・説教」の需要が一気に拡大した。 既に元禄期以前に、真宗の〈浅井了意〉は文筆家として寛文年間にその活動があり、中国の仏教説話や怪異譚、稗史などを題材に、唱導説教を行っていたと推測され、唱導説教本・教義本を出版している。 しかしこちらも、元禄期まではその濫觴期として理解すべきで、「唱導・説教本」はそのあと隆盛を迎えるのである。真宗史でいえば高倉学寮で慧空師が初代講師となるのが正徳5(1715)年、既に本願寺派は島原の乱の情勢を受けて、寛永16(1639)年に学寮を設立し、西吟が初代能化となっていた。 この濫觴期と規定した時期に、末寺・道場において「唱導・説教」が、どのような時間・形態・話として行われていたかは、よくはわかっていない。 ここにおいて、少なくとも学問的な正確さでは、「落語家の祖」と安楽庵策伝を言うことはできない。寺院内で行われる法座で、或いは「醒酔笑」成立のエピソードとして言われる、策伝が所司代板倉重宗の前で噺をしたというのも、屋外で行われた上方のスタイル(また、露の五郎兵衛が僧侶出身であったからといっても)からは、別物である。むしろ御伽話の系列に説教からの分化を見るべきであろう。 また、テキスト比較の中で策伝のテキスト露の五郎兵衛のテキストに共通する噺が何割かあったとして、間に100年の開きがあってそれを直ちに結びつけるというのも推論にすぎない。それをいうなら、元禄16年あたりまでに成立した唱導説教本に収録される「因縁話」を全て検討した上で、①醒酔笑との比較②露休の『軽口露がはなし』『露新軽口ばなし』『露五郎兵衛新ばなし』との比較、をせなばならない。 春野恵子師匠と一風亭初月師と 現在この段階で、諸般の事情で私の作業は遅々としているのである。またその上で、濫觴期において①説教→落語の証明(落語→説教の可能性はないのか)②節がかかっていたのかどうかとその節が声明から唱導の節へとなっていて、それが模倣されてチョンガレになったのか否か、神道の祭文からの流れとの関係はどうなのか、を示さなければならない。 さらにさらに説教側でいうなら、それを、江戸中期、そして江戸後期と確認して、明治の衝撃(廃仏毀釈・大教院教師)時代、大日本帝国憲法時代、戦時布教と植民地移民先布教の時代と追いかけて記述せなばならない。 さて本題に戻って、落語の方は芸能として御伽噺の系譜は江戸の鹿野武左衛門と花さき、彼の処分で断絶したが、いわゆる「座敷芸」として形成され、三笑亭可楽を生む。上方は露天から葦簀張りの小屋掛けと、先行して成熟する浄瑠璃・歌舞伎の興行形態に先導されて「興行形態」が整えられ、やがて桂文治を生む。 私は芸能史として落語を語るのなら、やはり興行形態(場と観客と料金と上演時間)が重要だと考えるので、噺一本で興行した露休と武左衛門を祖とし、その祖の話題やスタイルにどれぐらい唱導説教の影響があるかという見方で分析する方が正しいと考えるのである。 |

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