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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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6月

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「仏と人」同人・無名会 梯和上の後ろが父(17回忌)。直海先生の御姿も。

「レモン哀歌」 高村光太郎

 

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた

かなしく白くあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの ( しる )
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関ははそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう


 五月に懐かしい方々がお浄土へまいられた。年齢的には十分と世間はいうのかもしれない。しかし、命に「十分でした」というのはない、というのが凡夫の心。それぞれにお父さんでありおじいちゃんであったわけで。別れは悲しい。それでいい。かっこよく去ることなど考えなくていい。「きれいな臨終などを計画するな」、ともいいたい。死はいつも唐突であり、無残なことである。サッカーのレッドカードの退場を想う。選手たちの多くは退場を命じられて、或いは審判に或いは相手選手に、悪態をつきながらフィールドを去るのである。当人は不本意で悔しく心残りで行く(逝く)のだ。その姿を通して、残されたものは、「引き継ぐべき何か」に思いをはせるのではなかろうか。

 ご当流ではそれは唯一つ。南無阿弥陀仏のお六字さま。どう生きてどう死のうと、「全部引き受けてあるよ」という如来の願いに遇い、御恩を思う人生です。


5月

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鯉は滝を上って、龍となる。我々は本願力廻向で「ブッダ」となる。


              坂本遼

おかんはたった一人

峠田のてっぺんで鍬にもたれ

大きな空に

小ちゃいからだを

ぴょっくり浮かして

空いっぱいになく雲雀の声を

 ぢっと聞いてゐるやろで

 

里の方で牛がないたら

ぢっと余韻に耳をかたむけてゐるやろで

 

大きい 美しい

春がまわってくるたんびに

おかんの年がよるのが

目に見えるようで かなしい

おかんがみたい


 五月には母の日。母の日を思うと、春の詩だが坂本遼のこの詩を思い出します。

 『お鶴の死と俺』は、十二歳の妹が死に「仏になっとるお鶴よ許してくれ」と、妹が世話をしていた牛を売って旅費にして、六十歳の母を故郷・加東に残して神戸へ働きに出るという詩。

 残された母を想う心を、哀切に描いた詩がこの作品。もちろん、これらは虚構であるけれど、遼は、貧困にあえぐ多くの名もなき農民たちの心を代弁していった詩人であった。

 五月五日の「子どもの日」は、遼の命日「たんぽぽ忌」でもあるのです。子が親になる大悲、其の中で生かされていく南無阿弥陀仏の不思議に感動する日々です。



4月

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4月に逝った ガブリエラⅡ世

風景 山村暮鳥

純銀もざいく

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな                            
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ

いちめんのなのはな


いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしゃべり

いちめんのなのはな


いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな


 四月。新しい場所、新しい人。新しい感性。貧困の中で、キリスト教に遇い、その独自の解釈で、正統なクリスチャンからは異端視された人。それが山村暮鳥さんです。詩人界の巨星、萩原朔太郎が、その身にたかるシラミにむかって、「『虱や、ご生 だからたからないでおくれ。私にしつこくしないでおくれ、 おまへはほんとに不愉快だ』 そして痒いところへ手をやらうともしなかつた。 この友だちは聖人だ。」と評したのは、この暮鳥さんではなかったか。


 ことばのつらなりが、視覚的にも菜の花畑を思わせる、この詩は、彼の代表作。生命力溢れる春の中に、ふと感じる孤独やさびしさ。

 どこか、宗祖、親鸞聖人の感性に通じるところを思います。そういえば、御当流もある意味、異端であります。「門徒もの(忌み)知らず」、世間となじまない視点がある。それは、アミダさまの眼差しであり、おはたらきでありましょう。南無阿弥陀仏。


3月

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ご正忌報恩講 お斎(鸛の間)

  柳も かるく   八木重吉

 

 やなぎも かるく

 

 春も かるく

 

 赤い 山車には 赤い児がついて

 

 青い 山車には 青い児がついて

 

 柳もかるく

 

 はるもかるく


 けふの まつりは 花のようだ 



 重吉さんがいう「まつり」は、ほんとうにあった「春まつり」なのかなあ。この詩を読むたびに、そう考えてしまいます。春の風にゆれている柳葉をながめていると、気分が軽くなる。その心に赤い花や青い若葉が目に映ると、「おまつり」が行われているように思われるのではないかと。 

 いろいろと想像させられる詩人の言葉です。三月といえば雛祭りですが、これも江戸の文化です。お仏壇や寺院の荘厳かざりに、僧侶の衣体もまた、江戸の文化の中で発展し定着しました。芸術的にコストがかかった手仕事の工芸がつめこまれた仏教文化。

 その華やかさもまた、大乗仏教の一面です。如来が歩くところには花びらがはらはらと散り、しきつめられていく。金樹銀樹瑠璃樹が光を受けてきらきらと輝き、天の音楽が奏でられる。そのような視覚的にも聴覚的にも私の存在を歓迎してくれる世界が、あなたやわたしの未来であると、阿弥陀さまはおっしゃるのです。

2月



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当代・専如上人六字名号

白魚とり 

             生田春月

 

松江大橋

四つ手の網に

白魚いとしや

すくはれる

白魚いとしや

四つ手の網に

わたしやあなたに

すくはれる


二月は節分とともに始まる。その光景に

「鬼とは私のことか ( まめ )がまかれる」

とつぶやいたのが住宅顕信。自由律俳句の人だが顕信は法名、本名は春美。十九歳で岡山市役所の臨時 ( りんじ )職員として清掃の仕事に従事。仏教への関心を高めて、二十二歳で僧侶となり結婚したが、その直後に「骨髄性白血病」を発症して、二十五歳の二月七日に往生した。

 病が進行し成長した我が ( こ ) ( だ ) ( ちから )のない姿 ( すがた ) ( よ )んだ ( く )がある。

「抱きあげてやれない子の高さに座る」

 生田春月は最後にその身を魚のエサにした人。すくわれてぴちぴちはねる白魚に、自分を見たようである。両者には自己解決できない悲しみや無力感がある。そんな私たちを愛おしく思われる弥陀の摂取の「網」のうちにあることを、感じずにはおれない二月がきました。


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