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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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  〈「歌う尼さん」ことやなせななさん(奈良・教恩寺住職)〉

浄土真宗本願寺派では、「尼号」を廃止としてから20年以上である。

現在でも、葬儀において急遽遺族から「法名」を願われた時には、仏教界の歴史的風習に依拠して、「法名」を手次住職がつけることを許される。宗派都市徹底した方針がありながら、そこで、地域寺院の住職が女性の法名に「尼」の置き字を使用することが後をたたない。

われわれ親鸞門徒の本寺である「本願寺」で得度し、或いは帰敬すると、「釋〇〇」の二字であるのだが。

そして、同じ宗門でありながら、院号を申請するときには、なんと「尼号」を書く欄が設定されている用紙が今も使われている。理由は「過去において(1988以前)尼号がついた法名をご門主から授与していたので、それを申請するときには事務方の手では修正できないので、書く欄を設定している」とのこと。

しかし、20年以上経過していることだから、宗会や本願寺で「手次住職で修正してよい」と決定すれば申請用紙の欄は消せるはずである。

そういう気配はないから、おそらく「緊急に書き換えをせねばならないほどの問題ではない」と、おエライ僧侶方はお考えでなのであろう。

ここに「ジェンダー差別」の無自覚性がある。ビロウなことだが、私よりはるかに若い僧侶が「女性は、とやかくいっても、受け身なんだから、やっちゃえばしまい」的な発言をすることを聞いて、驚くことがあったりする。

浄土真宗が在家宗教だからこそ、色濃くシャバの影響を受けるのであろうけれど、
だからこそ、他宗の方々よりは世間に通じると同時に、世間の問題を自己の課題としていく姿勢が求められると私は考える。

さて、現在でも「尼」号生産に抵抗のない方々のご意見を聞くと以下になる。

①従来あったのが、突然なくなると門徒が混乱する(自身で説明できない。説明する気がない。そもそも死んだ人につける名であり、男はこう女はこうと決まっているから自分が変更することはしたくない)
②歴史的伝統的に「比丘」「比丘尼」と言ってきているのだから、なぜ男女を区別したらいけないのかがわからない。些末なこだわりであるから、こだわらない。
③尼号と使用することで、どんな不便や問題(差別)が起きているのか?誰も被害を受けず、また悩んだり困っている事象が起きていないのだから、机上の空論ではないか。理想主義はいいが教条主義は困る。
④大谷派では使ってるんだから、本願寺派だけ、ていうのは変じゃない?

さて、これらをどう考えるかですね(続)。



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7月

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(命は光に育てられ、光によって悪が破られ、光に導かれて、真実にいたる。
無碍光。)

    ぼくが ここに    まど・みちお

 ぼくが ここに いるとき
 ほかの どんなものも
 ぼくに かさなって
 ここに いることは できない


 もしも ゾウが ここに いるならば
 そのゾウだけ

 
 マメが いるならば
 その一つぶの マメだけ
 しか ここに いることは できない


 ああ このちきゅうの うえでは
 こんなに だいじに
 まもられているのだ
 どんなものが どんなところに
 いるときにも
 その「いること」こそが
 なににも まして
 すばらしいこと として

 

 南無阿弥陀仏は、声の仏さまと聞きます。
そしてこのお六字は、「有声の光明」ともいわれます。ちょうど、歌や演劇のステージでの主人公が動くところ動くところに、あたるスポットライトのように、「いること」がすばらしいと、照らしだされるのです。
 百四歳まで生きられた先輩は、そう言いおいて逝かれました。浄土真宗では、阿弥陀さまは「光明」であり。私たちを育てて真実へと導き、愚かな迷いを破っていつでもどこでも常に私を護られるから、「アミダ」と名乗られて、まめもゾウもあなたも私も、「かけがえがないよ」と、お知らせです。

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