①従来あったのが、突然なくなると門徒が混乱する(自身で説明できない。説明する気がない。そもそも死んだ人につける名であり、男はこう女はこうと決まっているから自分が変更することはしたくない)
②歴史的伝統的に「比丘」「比丘尼」と言ってきているのだから、なぜ男女を区別したらいけないのかがわからない。些末なこだわりであるから、こだわらない。 どちらも、過去を前提に語っているのだが、フーコーが言うように言説とはその時点での利害関係によって「歴史性」を拠り所とし生産されるのであるから、これを相対化することは比較的易しい。
まず、釈尊時代。Bhikusu(びくしゅ)が男性出家僧で、Bhikusuni(びくしゅに)が女性出家僧。インド自体がこのとき、「男権的」で「女性が動物的である―劣る」という視点は、仏教の経論釈に色濃くうかがえる。
しかし、インド社会は、銅器から鉄器へと技術革新があり、社会の生産力が飛躍的に拡大して余剰生産物が市場を形成し流通することで、それまでに形成された共同体が緩み崩れて、新たな経済単位や政治単位に再編されていく時期を迎えていた。伝統的大国のコーサラ(舎衛国)、そして鉄鉱石産地として経済力を蓄え新興してきた多民族軍事大国マガタは、低成長かつ固定的な共同体社会を支えてきた「バラモン教」及びその思想からくる慣習を批判し、民族間の緊張や階級意識も緩和されて、仏教を支持する国家であった。
そこで、釈尊の教団への女性参加が生まれ、また教えに女性視点が持ち込まれ、さらに女性信者への伝道が行われて行く過程で、仏教は次第にジェンダーを意識化する視点を持ち始める。釈尊没後に、16大国も滅び、国家宗教としての仏教が再編されることは相当な時代のヒラキを耐えねばならなかったが、大乗経典時代には、菩薩概念や仏性説が形成されて、在家信者が成仏していく道が語られ始め、かつ女性が成仏できることが段階的に説かれるようになる。
後年、出家者において18歳以下の入門期の者を「シュラーマネーラ」「シュラーマネーリ」といい、さらに女性出家者には、18歳を越えて「びくしゅに」になる儀式(戒律を和上依り受ける)の前に、妊娠の有無や持戒の力を確認するため、「シクシャマーナー」という時期を設定している。
これらは、既にわかるとおり、出家持戒者のルールであり、しかも社会の側から規定されるジェンダーによって、戒律を護持すること自体が男性より困難であることを前提にしているので、一定女性性を考慮したシステムであると考えられる。
さてさて、以上のように、比丘と比丘尼の区別を、在家者かつ無戒の浄土真宗においての僧侶や門徒に適用することはそもそも実態にそぐわない論理であると言えよう。そこで、在家者はというと、優婆夷(Upāsika)優婆塞(Upāsāka)と称される。
これは出家者の世話をするものという意であるから、その中心概念は、バラモン・ヒンズーの影響下の段階的成仏説に規定されている。すなわち優婆夷優婆塞即成仏は説かれていないわけである。
(これにかかわって常々疑問なのが、天台宗や真言宗や禅宗における在家仏教者、つまり江戸期に形成された呼称では「檀家」「壇越」という存在である。どう考えても彼彼女らが成仏する論理が見いだせない。出家しブッダを目指す僧侶であるから、在家信者で成仏できるなら、そもそも出家する意味がないから、自家撞着に陥る)
では次に、時代下って、サンスクリットを翻訳し(音写)し、中国文化としてとりこんだ中国仏教において「法名」はどう形成されたのであろうか?また在家信者はどうであったのであろうか(続)。
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2016年07月12日
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