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布教使課程Aで、「夜間中学との交流会」を設定されて、特別講師でガイダンスとまとめを足かけ7年ほど担当している。 「法座の聞き手には文字を読めない人がいる」「妙好人と言われた人に非識字者が多いのはどうしてか」ということから、私は実は「オーラルコミュニケーション」こそが、宗教の本質であることに至ったので、当初はそこをポイントにスカウトされたと思う。また生徒さんたちは相対的だが、社会的弱者が多く、そこには「戦争」「貧困」「差別」という問題があり、それらを当事者から聞かせていただくアクティブラーニングとしても『交流』を設定したわけである。 ではそこから、「教育を受ける意味」「文字を獲得する意味」をどうとらえるかは実は一番大切なことである。 教える側学ぶ側に共通認識が必要である。恩恵ではなただ権利保障・回復ではなく。競争から共同へというベクトルや社会的公正さの実現、そして社会へ参加しつくっていくためのスキルを獲得するという(被差別者において文字は武器だというスローガンを夜中はかがげてきた)展望において、私たちは国連の「adulteducation」とつながり、A・シンがいう「潜在能力」開発、つまり「教育」こそが、地域社会の経済発展を生む、ということを実現してきた。 これらを包括的に提唱されたのが「ESD」である。 したがって、布教使課程A出の私の講義、2コマ6時間は、全てESDにおけるワークショップ(参加型学習)で展開してきている。その際、ESDの理念は仏教徒こそ中心に担えるとういうことを背景として提示している。 宗報で、SDG’sが、築地本願寺で掲げられているのを見て、ESD−Jのメンバーとして感慨深く、かつもっと僧侶会員が増えないかと願うことである |
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2017年12月22日
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12月(遅れた)
百舌よ泣くな サトウ・ハチロー
百舌が枯木に 泣いてゐる わたひき車は おばアさん みんな去年と 同じだよ 兄さの薪割る 音が無え 兄さは満洲へ 行っただよ 百舌よ寒くも 泣くで無え 夜間中学校でお世話になって、十四年。先日も『中国では「下雪(シャシュエ)」で、寒くなりました」と生徒が聞かせてくれた。外国籍生徒を中心に「日本語」を教えている中で、十五年戦争の際の政策や社会の空気、地域コミュニティにおけるあの戦争の意味などを考え続けている。
満州へ渡った日本人は、コミュニティを分割して「故郷を捨てる」形で出て行った。しかしそこは「中国」であって、無人の開拓地ではなかったのだ。国と国との力関係が動き。ソ連が参戦し、中国が支配権を回復すると、彼らの居場所は消え、帰ろうにも帰る場所はもうなかった。うして、多くの日本人が中国で棄民されたのである。 百舌鳥もまた、季節によって住処をかえる鳥。自然の変化で生きていくために動かされ住処をかえる。
私たち人間は、自分たちだけは「自己の意志」で生きているとうぬぼれがちである。が、実は私たちもまた、自然の一部であることを「忘れてはならぬ」と歴史は、ときどき手厳しい教訓を与える。
枯木で悲しく鳴くがごとく、全て枯れていく身体に支配されている私は、最後は悲しく鳴くしかないのだろうと予感する年末である。
泣かせはしまいという安心でそれを包んではなさない、ナムアミダブツ。我の悲哀を彼の歓喜へ転じる、一分のスキもないおはたらきが、「悲あればこそ」と唱和されるのが称名。「仏願を聞き続けてや年の暮れ」。合掌礼拝。
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