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「閑古鳥・四首」 石川啄木
いま、夢に閑古鳥を聞けり。
閑古鳥を忘れざりしが
かなしくあるかな。 ふるさとを出でて五年、
病をえて、 かの閑古鳥を夢にきけるかな。 閑古鳥――
渋民村の山荘をめぐる林の あかつきなつかし。 ふるさとの寺の畔の
ひばの木の いただきに来て啼きし閑古鳥! 『悲しき玩具』より
肺結核で啄木は、明治四十五年四月に往生した。二十六歳。死後、病床の絶句を含めて六月に出版されたのが『悲しき玩具』である。
題を付け出版に努力したのが、土岐善麿で、啄木の葬儀を行った真宗大谷派の等光寺の次男であった。禅寺の息子の啄木とは同学年で同じく歌人であった土岐は、新聞記者時代に「駅伝」を創始した人で、後年は早大国語国文学教授として、業績を残し九十四歳まで生きた。
ロマンティストな革命家でいて、「たかり魔」。良き父や夫になれぬことに苦しむ反面夢想に生き、最後まで人生の落伍者意識をぬぐえなかった啄木の屈折を、そばでいて理解していた一人で、その夭折を最も悼んだのも彼であった。
善麿は遺族を助け、遺稿や全集の編纂・刊行に尽力して、啄木を世にしらしめた功労者である。
詠んだのは啄木だが、選んだのは土岐でもある歌集。そこから、短歌四首を選んでいる。閑古鳥、カッコウが鳴けば故郷岩手・盛岡は、初夏の訪れ。最早故郷へ帰ることのできない病床の啄木は、夢でカッコウの声を聞き、故郷を想う。
南無阿弥陀仏の御声は、私たちを必ず浄土へ帰し滅度へ至らしむというお慈悲の声。その声から土岐は、啄木をわが同朋(とも)であり、善知識であると仰いだのではなかろうか。称える声のなかで「いつでもいっしょ」と啄木の声を聞かれていたと思われるのである。
今月の行事
十二日(月) 午後二時〜 永代経法要 足利孝之師
十七日(土) 午後一時〜 聞法の会 新説親鸞聖人伝 住職
同 午後三時〜 寺Café 田渕幸三さん
御朝事 三日・十日・十七日・二十四日 午前七時半〜 |

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