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夜間に学ぶ生徒に学んだ大先輩。河田光夫師。師の方向を継いでいこうと決めたのは20代であった
続き)
④親鸞が限りなく敬慕した曇鸞は、「同一に念仏して別の道なきゆえに。遠く通ずるに、それ四海の内みな兄弟とするなり。眷属、無量なり。いづくんぞ思議すべきや。」
と、他者とのつながりを説く。この至言を知らずして僧侶たりえただろうか。宗教者が差別者の側に立った時、その拡散、固定化は悲劇的なものになる。
⑤親鸞は、煩悩具足のわが身を自覚していたが、さりとて己の煩悩に開き直って、よしとしていない。『まことに知んぬ。悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし痛むべし。」(顕浄土真実教行証文類信文類)と。自己の煩悩を凝視して、生涯を送った求道者である。この姿を領解せずして何が親鸞教徒なのだ。
さて、ここに至って筆者は、真宗について語ります。③④の内容には異議はありません。しかし立ち位置が問題です。まさか、筆者自身が親鸞門徒であると思えないのですが、そうであるならこのお方も残念な人となります。
ここで筆者は勝手な領解をふりかざして、「幼稚な三段論法者」と決めつけた僧侶を親鸞教徒ではない、と切り捨てます。
しかし、筆者の真宗領解こそあやしい。親鸞さまは「自己の煩悩を凝視して、生涯を送った求道者である」というのは、どこぞの近代主義者や、哲学者の立ち位置表現です。
そこには、阿弥陀さまの阿の字もありません。南無阿弥陀仏を離れて人間や信心を語られたことなど、親鸞さまには一度もありません。当たり前ですが、信心の人であり念仏者ですから。
宗教を外殻から眺めて、この筆者は親鸞様を自力聖道門の人にしてしまいました。清沢満之の亜流が犯す誤りです。親鸞さまを、近代的自我の持ち主のようにとらえて、キリスト教的な罪悪観でもって、何か崇高な求道者であるとする。
自らの死生を問いそれを超えていく道を平易に歩みとかれた祖師像とは全く違う、インテリゲンチャの親鸞像。
どこまでいっても一人の凡夫と阿弥陀さまに知らされることがそのまま逆転して、往生の主体とされる不思議をいただくという在り様。この真宗のダイナミズムを受け止められずに、筆者の引用にもある「三哉(悲しき哉→誠なる哉→慶ばしい哉)」を表現された(生かされた)親鸞さまを、部分的に切り取り、筆者の都合のいい枠に押し込めています。人権運動としても、念仏相続の上からも大きな誤りです。
現代の日本社会で人権意識を強調すればするほど、それを建前として自己と乖離させていく人が増えるという事態があります。筆者などはだから啓発せねばんらぬと使命感を燃やされるのでしょうが。
差別の問題を考えたり解決するとき、まず事実の受容と承認、さらには他者と自己のかかわりの中でそれを架け橋としていくという、アクティブなあり方が要請されます。河田先生が言われたように、夜間生から「苦労したのに明るい、ではなく苦労してきたからこそ今明るい」生きざまを学ばれた、まさにそこに差別被差別を超えていく道が見いだせるのです。
しかし既におわかりのように、それは自身が、被差別者であったり或いはそれに同化した位置にたち、差別者を裁くことではありません。全く反対であって、自己が差別するものとなりうるという畏れとともに、自己にはない価値を他者から知らされていくことに謙虚であることです。
我々は常に差別者になり被差別者になります。そして、社会はその支配的な価値観によって、それを固定化しそのことで何らかの利益を受ける層が存在することで維持されます。まずは言説でもって。そして実態で。そのとき、利益を受けている層(既得権者)は、それが他者の痛みや苦しみの上に成立していることに目をつぶります。市場社会はその痛みや悲しみも、商品化します。そして利益を生みます。利益にしたがっていくと、差別はなくならない方がいいという皮肉な結論がでます。
そこで、そのような構造自体を明らかにし(智)その上で、それぞれの「自己」がそこでどう無自覚に利益をえてきたのか(十悪五悪)を知らしめるはたらき(信)に遇うことで、今のフレーズが逆方向へ進む。全ては平等であるといいながら、それを受け入れずに差別に無関心、あるいは差別を喜ぶ自分があると気づく。すると、なぜそうなったかという構造にまで気づかされます。そして最終的にその利益とするものを手放すことでしか解決はできません。
昨年の地震から問題となった原子力発電の問題が、まさにこれです。いかがですか?今まさに、その差別構造・収益構造にメスが入ろうとすると、既得権層はそのことに気づきながら無視しようとします。「これから暑くなるから大飯原発の再稼働は容認」と。また「工場が稼働せんかったら利益がでない。景気もあがらん」と。
この時の既得権者は死活問題と思いますから、原発が事故して放射能漏れは被害を受けても「大阪は安心」と差別者になります。それが私やあなたです。その利益を守りたい心情を企業や政治は利用し、そして差別を温存します。
さてさて、発話による立ち位置の表現から、問題を提起してきました。「いのち」や「仏法による安穏な世の中」や「一味平等の関係の構築」を、疎外しているのはまさに私たち自身です。そこが変えられていくのが真実信心です。
ところが、そのような宗教的感動を伴う主観的真実からではない、実存のレベルで、さまざまな差別や愛憎を受け止めて発信していく言葉ではない表現が、筆者に代表されるように大きくアナウンスされる。
政治闘争なら多数を獲得するために、こちらも権力的な言辞を用います。しかし、親鸞さまが、現代にいらっしゃたら、そのような権力闘争の主体となることそのものをも畏れ恥じ入り嘆かれるのではないかと思えるのです。
今、筆者は「反差別」と掲げておられる。それが阿弥陀様のご本願から親鸞さまの在り方を通して、導き出されるとするならば、自己を正当化して無関心なものや過てる理解にある人々をこそ、仲間にしていく大衆運動として、教育や宗教をとらえるように、していただきたいのです。
現代の日本社会で人権意識を強調すればするほど、それを建前として自己と乖離させていく人が増えるという事態は、運動家と称する人や人権運動をリードすると称する人たちが、悪しき前衛意識に支配されて、「人権」でもって人を誹謗中傷するということを行って平気であるという、その無神経さと夜郎自大さに、民衆が辟易したからだと思いますが、いかがでしょうか。
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歴史をふまえて諸問題
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北関東における今井雅晴氏のグループに対し、越後をまとめる「新潟親鸞学会」の基盤となった快作!
この巻頭の対談内容こそ、nazunaが立つ点。全く同意であり学ぶべきことの多い先達たちである。
さて続きである。
③宗教の理想は、当事者自身の救いだけを目的とせず、ひろく人々の究極的な幸福をも、その使命としている。むしろ、自分以外の人の安心立命を願っていると、ほぼ共通の理解にある中、「差別するのは煩悩のなせる業(わざ)、煩悩は死ぬまで消えない、人間の生きる限り差別は消えない」と幼稚な三段論法を平然と語った親鸞教徒の坊さんが居た。今も居る。これは思索停止の許し難い差別の極め付きであり、それを「拡散」する罪は「無知」だけではすまない。
長いパラグラフです。しかし全く理解できません。「」内も論旨不明ですが、これが正確な引用であるとしましょう。
筆者は宗教学者さんであるのかどうかはわかりませんが、「宗教の理想」とわざわざおっしゃるのですから、比較して脳内に「宗教の現実」というのがおありになるのでしょう。そして、「ひろく人々の究極的な幸福をも、その使命としている」とおっしゃいますから、これが理想。「当事者自身の救いだけを目的とせず」というのですから、これが今の現実であるという認識を持たれてあると理解します。
筆者の言い方を借りて批評すれば、「親鸞さまがいただかれた真宗の理想的領解は、煩悩成就にして三毒を好む、流転し埋没していくしかない私こそが阿弥陀仏のめあてであると目覚めることを通して、大乗菩薩道、すなわち自利利他の人生を歩むものに育てられていくことです」と表現してみます。すなわち筆者が否定される当事者の救いが全ての原点であり終点であります。
阿弥陀仏の願いは全ての人を浄土へ迎えとり仏とすることですが、「阿弥陀仏はひろく全ての人々に幸福を与えることをその使命としている」とはいえても、僧侶や門徒がそれを使命とする宗教とはいえません。
nazunaなどの現実認識はむしろ、宗教を論理だけで語り認識することで、自己を問うことを抜きにしてしまうのが現実であって、「信じる者は救われるんでしょ」という閉鎖構造物として、多くの人々が迷妄に目覚めず、仏法に背を向けているとしか思えないのですが???
さて、「」内のことですが、実はどこで流行したのかよく揶揄される「」として、聞きます。「」内の発言ですが、『「」と幼稚な三段論法を平然と語った」親鸞教徒の坊さんがいた、今も居る』と筆者は批判します。ここで全く不明なのが、これが筆者との対話内での発言なのか、それとも『語る』とありますから、何らかの公式の場、布教や法事で語られたことなのかということです。まさか親しいもの同士の飲み屋での発言でもないでしょうから、このとおりに布教されたとします。
すると、「」内の表現は、浄土真宗ではなく、仏教ですらない。つまり、布教の言葉としては誤っています。したがってまず、あなたはまず浄土真宗の教学を学問的にでも実践的にでも学びなおした方がいいですよ、となります。
ところが、筆者は「 」が普通に通用していると批判します。そしてそれは「差別の極め付き」だと言います。なぜかという説明はありません。そこで少し補足しつつ、筆者を批評するという荒業に挑んでみましょう。
筆者がいう「幼稚な三段論法」とは、①差別するのは煩悩のなせる業(わざ)②(その)煩悩は死ぬまで消えない③(ゆえに)人間の生きる限り差別は消えない、というものです。
まず三段でなくても①の意味がわかりません。真宗教義で語るならば、これは機の深信に当たるところですから、フレーズは逆です。すなわち「煩悩にしばられるがゆえに我々は(もしくは私は、と主体を明確にする)、知らず知らず差別心をおこし、また差別行為をしています」となります。
業をいうときは仏教は自業ですから、客観的つまり誰か他人事の話としてはできません。そこで筆者の意図を想像し、「私が差別するのは私が悪いのではなく私の煩悩の仕業です。だから仕方がないのです」とフレーズを補ってみました。こうなると、ここで、アホか!ということになりますね。
殺人事件を起こして、「いやー、私は殺したくなかったんですが私の煩悩がはたらきましてねえ。仕方がないんです」といって無罪を主張したらいかがでしょう。こんな幼稚なリクツが通るなら世の中むちゃくちゃです。
では②はどうでしょう。これは「煩悩成就」や「煩悩具足」とあるように、真宗における自己認識(それを通した人間観)です。従って問題はありません。
そこで③の「人間が生きる限り差別は消えません」も問題はありません。その通りです。したがって筆者が何を批判しているのかが全く不明です。例えば、阿弥陀さまの願力の世界から見れば、「四海皆もて父母兄弟なり」です。しかし、実際の私はわが子と他人の子を差別します。それについては今の社会はむしろ肯定すること名宛も否定はしません。当たり前となります。しかし、念仏衆生摂取不捨とおっしゃるのですから、阿弥陀さまは『隣人もわが子も同じ値打ちで大事なんだよ』と示されるのです。そこで、私たちは私たちの価値観の世界では「当たり前」として見えなかったエゴイズムに気が付かされるのです。
宗教的な展開でいうなら、幼稚な三段論法でもなんでもありません。第一段はおかしいので先ほど言い換えました。
そこで筆者が批判される論の3分の2を肯定するnauznaは普段、どう説いているのかをまとめてみます。
「①煩悩にしばられるがゆえに我々は(もしくは私は、と主体を明確にする)、知らず知らず差別心をおこし、また差別行為をしています。いやそんなことはないとおっしゃるかもしれませんが、本当にそうでしょうか。(自身の具体例をあげる)②さるべき業縁のもよおせばいかなるふるまいもすべし、と恐ろしいものをかかえているのが私なのです。それを自覚しようともしないのが真実の私です。そういうお前であるよと阿阿弥陀様、親様はみそなわされたのですね。③したがって差別心や差別事象というのは他でもない、この私が起こしていくことです。その意味でこれからもなくならないでしょう。消えないでしょう」となります。
問題はここで終わる布教はあり得るのかということです。まずnazuna自身のお聴聞からいって、そういう法話・説教に出会ったことはありません。必ず以下のようになります。真宗は。
「しかし、どこまで行っても救われないというお前であるからこそ我が救うという、阿弥陀様のおよび声に今遇うた。遇うことを得た。それはそういう私を悲しむがゆえのお計らいです、そこから一歩もでない私をそこから引き上げられていくはたらきです。ゆえに、「差別する私」は臨終まで消えないと覚悟して、如来や諸菩薩からのお示しによって、わがモノサシで測って価値化し優劣を造るという自己をなんと浅ましいことかと目覚め、それゆえに平等世界、自利利他の人生となれという親様の切ない願いを裏切ってはならぬとあやまりあやまり称名の暮らしをいたしましょう」
筆者のまわりにこの最後の部分のない布教がホントウにあるとすれば、それは相当に不勉強かつ、浄土真宗の御信心を残念ながらいただけていない親鸞教徒さんであるしか言えません。また、そんな方々の中で真宗を学んだり、或いはご法義にかかわっておられるのであれば、仲間が悪い、としか言いようがありませんね。
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近年大谷大で発見された親鸞さま直筆(20願と22願断簡)
つい今年に書かれた文章が手元にとどいた。
教育関係者を中心とした一般市民向けに書かれたと思われる文書。
ここに、今の真宗が考えるべき課題が全て出ていると思われたので、それを検討批判したい。なお念のため、書き手との面識もなく、書き手個人に対して何の意図もないので、著者名は省略して、内容を紹介することをお断りしておく。
出典:月刊「同和教育」であい 2012.3.25
『親鸞に聞く反差別の絶対性』 (段落番号引用者)
(前略)
①西洋と東洋の文明は、西洋が愛、東洋は恩を基調としている。しかし、この理解を誤ると、崇高な愛は渇愛に、恩は恩讐に変質して似て非なる結果を招く。
②恩の思想は人間関係を上下の支配・内か外かと、排除の論理が必然的に発生しここに身分制を正当化する理屈が潜み、差別を煽る。この非合理な差別の廃絶に宗教は大きな影響があり、その解消に期待と責務もある。
一読して意味のわかりにくい文章です。浄土真宗では報恩をときます。しかし、そこでの報恩ということは信心獲得後の話ですから、それを一般化して「報恩」ということを日常の論理や倫理にあてはめるのは危険です。どうもそうおっしゃりたいのではないかと推測します。しかし、キリスト教を背景とした天賦人権説に立たれての発言なのかどうかがわかりづらいのです(のちに判明しますが)
「恩愛はなはだ たちがたく 生死はなはだつきがたし 念仏三昧行じてぞ 罪障を滅し 度脱せし」 と、親鸞さまの表現はまことにいただきやすい。
恩愛に縛られこだわっていくのが私たちだねえとおっしゃる。すると、この場合は著者のように「この理解を誤ると」といえるのかどうか。阿弥陀さまから見れば「誤り」ですが、凡夫の「有生の生」においてはそれが大事としか感じられないのではないでしょうか?その智慧の無さを親鸞さまは悲しんだり、嘆かれたりはされますが、そこから離れられるとはおっしゃってないと思います。
さらに②における、「恩の思想は、排除の論理が必然的に発生」というには、乱暴すぎませんでしょうか。前段では「この理解を誤る」と、理知的な認識レベルの問題としながら、今度は「理解を誤らなくても排除の論理が必然」となると、論旨についていけません。
儒教的な「恩」を含んで、朱子学的な恩義理解を批判されているのか。はたまた、真宗の報恩ということも否定しようとなさっているのか。
論旨をたどれば、身分制を正当化する理屈が「恩の思想」にあると断定されて、「恩の思想」は差別を煽ると結論されます。
2つのパラグラフで、「恩の思想」は差別思想とまとめられます。根拠は示されませんが(笑)。
でこのあと、なぜか「恩の思想」の話が消えます。そこで、想像を交えて批評しておきます。
本願寺の教学の中で「報恩」というときは、称名、すなわちお念仏をする、弥陀の名号を口にかけさせていただくことです。正信偈さまに「弥陀仏の本願を憶念すれば 自然に即のとき必定に入る 唯よく常に如来の号を称して 大悲弘誓の恩を報ずべし 」とあるのがその証拠です。
また、親鸞様の仰せの中で、
「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も骨をくだきても謝すべし」とのご和讃では、具体例はなく思いの部分で、阿弥陀さまへの報恩と、師・主知識、すなわち自分と阿弥陀様のご本願との出遇いに導かれた人々(必ずしも僧侶だけではない)への 報恩を説かれます。
これには具体例はない。そこで、六波羅蜜を実践することも、報恩の思いですれば報恩業(大事なのは往生成仏の手立てとしないこと)ですから、念仏者の現代社会における行動倫理・論理は、ここから生まれます。社会福祉や教育活動、さらにはさまざまなボランティア活動を行うことは、必然となります。
また、十八願の抑止門や無量寿経の五悪談、さらには、御本典の真仏土・化身土巻からも、造悪無碍を否定し五悪を侵す自身を超えていく道が開かれてあります。
筆者においては、そのような考察もなく、「恩の思想は差別を煽る」と断定されるのは、わけがわかりません。
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ボーン・チャイナ:骨由来製品である。部落問題はここからも入れる
まあ、さてあらん。
とは思っていましたが………。
驚きあきれました。
手元に
「つたえてよ あなたとわたし いっしょだと」 「御同朋 支え助けて 明日ひらく」
(2011年度 近畿同朋運動推進協議会入選標語)
と標語を具した文書がとどいている。
法の深信から解説されて、それは不十分でも結構であるかもしれませんが。
驚きあきれたのが次です。そのまま掲載します。
親鸞聖人の御教えはあらゆる階層の人びとに受容され①、蓮如上人の血のにじむような御苦労もあって日本各地に広がりました。室町時代の末、浄土真宗の僧侶や門徒が、国司や守護大名を追放し、自らによる自治を実現するまでに成長し、強力になりました。② これが当時の武家勢力にとって大きな脅威となり、織田信長による大弾圧を受けること③ととなります。信長の死後、教団の維持存続を最重要視された④第十一代顕如上人は、朝廷の仲介もあって秀吉と和睦し、以後は戦わないことを約束します。⑤ こうして御同朋が結束して守ってきたものは『本願寺教団』でした。⑥ 徳川の世になっても、幕藩体制の枠組みの中でのみ、教団は存続を許されるという状況が続きました。⑦ そして幕府が身分制をつくりあげると⑧、あろうことか親鸞聖人のみ心に背いて⑨教団は、僧階など差別的な制度をつくりました。差別法名や差別的な過去帳の記載は当時の住職の責任はもちろんのこと、こうした教団の過去に深く根ざしています。⑩ 同朋運動はこのような教団の歴史を原点に、『差別・被差別からの解放』を願い、どんな人権問題をも見逃さない⑪、真の意味での念仏者としての生き方をめざしています。⑫ 二つの標語にいま私たちが推し進めていかなければならない御同朋としてのゆるぎない決意を表明しています。
この文章やその背後にある認識をいちいちとがめておきます。これからの同朋運動が信心の運動であり、現実の社会のおける相対的な弱者を支える御教えであることを明らかにしていく運動であるために。⑫こもあるんでね。まず6つ。
①親鸞聖人のいただかれた「浄土の真宗」が、あらゆる階層の人々を支え救い生かしていく御法であることはそうである。しかし、現実にはあらゆる階層には受け入れられなかった。小領主層を中心とする、新興の武士層と職人・商人などの層に早く展開しゆっくりと定住農民に浸透していったのであって、もちろん幕府や公家荘園領主には全く浸透せず、むしろ俗信と一体化して「一向宗徒」という、アブナイ存在と認識されていた。「受容され」というと親鸞聖人の御個証が大衆に支持されていたかのような錯覚を与え歴史的事実に反する。後述のように、蓮如上人というフィルターを通して初めて歴史局面に「聖人一流のご勧化」が浮上したのであった。
②1960〜70年代のマルキスト歴史主義者の理解である。これが絵空事であることは先日もブログした。宗教と政治が分離していない時代認識を欠く記述である。再度いえば、自力救済社会(自治)とは検断権を有するわけで、そんなところに「真の平等」が実現するはずがない。一揆内では立派なヒエラルキーがありそうでなければ軍談として命令系統のある戦争を行うことはできない。また、加賀や越前の支配は室町幕府から守護扱いされていたことも、現在では常識である。
③武家から脅威になったのはそれぞれの国内平和を脅かすからである。相手から見れば一向宗徒(本願寺門徒のみではない、念のため)は、戦闘力をもち一国の安定を揺るがす存在となったのである。一方でそれが仏法土にとどまるならば、問題視はされなかった。大坂並み安堵、とはそういう意味である。信長もまた、多くの寺内町や寺領を安堵している。信長から見れば、武田信玄や毛利と連衡しさらには、旧幕府権力内に規定される「顕如・本願寺」集団は、各地に根を張り、実現しようとしている「惣無事」を目指す統治¥と敵対するものであったから、戦わずにはおれなかったのである。
④戦国が、自力救済で強者生存状況であるなか、個人で生きることは不可能な社会であったという認識がなければ、あらゆる組織は個人の自由を奪い指示し従属されるという、アナキスト的理解になる。教団もまた、人々の生命の安全を保障する具体的なよりどころであり政治権力であったことを否定して、この時代状況でどのような「布教活動」ができたのか???教団の存続維持発展とみ教えのキープ発展が別名同義であるとするか、異義とするかであろうあ。異義なら、御教えのキープと発展の可能性を論理的に提示するか、あるいは消えた可能性を示す歴史的事実を指摘せなばならない。
⑤は荒唐無稽である。言うまでもなくそのような事実はない。貝塚本願寺から天満へと秀吉は寺内を安堵したのであるが、寺内特権を認めなかったという事実はある。
それは、「惣無事令」「喧嘩停止令」「海賊停止令」という、藤木久志のいう「豊臣平和令」と一貫した政治姿勢であって、公儀権力によって私戦をさせず、裁判によって決着するという法治の普及において、宗教と政治の分離を図ったのである。室町幕府はむしろ、天皇・朝廷の祭祀権を変形・継承して、受け継ぐところがあったために、政教分離はできなかったのである。
⑥④に続いて、まるで教団を守ることが間違いのような表現である。自立権力としての上意下達の教団がなければ、教えは存続しない。それは、現代の単立寺院を見ればわかる。宗門を離れた寺院が「念仏の道場」として「親鸞聖人の御教えを守り伝え新たな念仏者を次々と生み出し、大乗菩薩道を生かされるものとして、報恩行として社会実践を進めて、各界で活躍し、近代社会やキリスト教文明を相対化して、仏教の可能性を全世界へと示す」ようになっているか???
むしろ、基幹運動をしなくていいし、上納金を納めなくてもいいから、やたらと葬儀をしてかせぐことや、研修と称して信徒から大量の資金を集めることに汲汲とされていないか。新宗教と同じことをしていないかということである。
(続く)
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現大阪城内、石山本願寺特定地
戦国期の本願寺の足跡を駆け足で紹介する。
それ以前、加賀一向一揆による領国支配は、室町幕府が守護に対して下す奉行人奉書などの命令書が富樫政親ではなく直接蓮綱(松岡寺・蓮如上人三男)と蓮悟(本泉寺・同七男)あてに送付されていることから、宗政一致の様相を示していた。
これに関しては、実如上人・証如上人ともに政治権力から一定の距離を置くような通達や指示を出している。しかし、地域側ではそれは非現実的なことであり、加賀一国は戦国領国化し続けます。
永正年間 越前(福井県)朝倉氏の内紛に加賀門徒が介入。
同元年(1504年) 相模の北条氏は領国内での真宗を禁ずる。
永正2〜3年(1506年)
近畿・北陸・東海で、本願寺門徒が蜂起(実態は50%程度が門徒と考えられるが、少なくと も一宗への帰依を標榜している人々が同時期に武装自立を目指したことは社会的事件であ った)。しかもこれは、それぞれの地域事情による小領主連合による自律的なものであった。
しこうして、河内国錯乱が勃発する。
永正4年(1507年) 永正の錯乱。細川政元殺害にかかっわって、政争にきこまれることを恐れ、実如上人は山 科からと宗祖真影とともに堅田本福寺に避難。
永正13年(1516年) 本願寺、勅願寺となる。
永正18年(1521年) 越後・長尾氏、本願寺門徒を禁圧する。
永正年間を見れば、本願寺の宗教ネットワークが地域をつなぎ、各地で自立しつつあった大名領国にとって、領国内領国の有様を示し、大名側から見れば領国内、地域の秩序安定に対しての脅威となっていることがわかります。
これらを支えたのは、蓮如上人の子どもたちであり、それぞれが「寺院」と地域民衆の直属門徒化を進めて自立し、小領主化していきます。
一方幕府では細川京兆家による支配がすすみ、これが、本願寺宗主の教団法主権を成立させることとなります。すなわち宗教上の権威(善知識)としての宗主から、門徒信徒の連合による、経済力・戦闘力を動員しうる「門主」となっていくのです。
その象徴、分岐点が「河内国錯乱」です。これは、細川政元に抗して、朝倉一家と畠山(河内守護)一家が一斉に戦闘をおこし、それに対抗するために細川政元が直接本願寺に、助力を求めたことから起きました。すなわち、北陸・河内の門徒を戦争に動員するということです。ここには、宗教的な理由はありません。
本願寺の主流、実如上人グループはこれに従うことを進めますが、大坂御坊に在住していた継母(蓮如上人の最後の妻)の蓮能は、自身が畠山氏出身でもあり、また蓮如上人の遺志を慮ってこれに反対し、ついには実如上人を排斥して、新法主に大坂住持の実賢を擁立しようとする「大事件」となります。結果このクーデターは失敗して、下間主流派によりこれらは教団中央から排斥されます。
しかし、北陸でも河内でも、門信徒を動員したにもかかわらず、はかばかしい戦果はなく、北陸ではかえって吉崎御坊が破壊され、蓮如期以来の藤島超勝寺や和田本覚寺は越前から逃れる羽目となったのです。
このあとの永正の錯乱でますます本願寺主流派は混乱し、結局、実如上人は実質隠居し、実子円如と弟蓮淳に教団運営をゆだねます。この中で、本願寺は、先師・蓮如上人の手紙を編集して五帖の「御文」とします。
現在に至る御文章の、この成立事情を考えれば、以下の禁制、①武装・合戦の禁止②派閥・徒党の禁止③年貢不払いの禁止の三法令とともに、政治との距離をおきたい志向が理解できます。それは、既成の政治権力との親和・融和を第一としたものでした。
繰り返しになりますが、これを否定して、門信徒をなお組織化しより強力な上下体制を構築して戦闘集団化することを本来であるとする論調には賛同できません。
しかし皮肉にも、上記のごとき事態を収拾するために、教団の宗義体制として、本願寺法主の権限を強化し、また、教団を不安定にする要素であった、蓮如上人の子孫の立つ寺院を系列化し、統制することを構築さねばならなくなったのです。
ここに、本尊仏具の下付や寺号付与の権利を本山である本願寺法主のみが保持することとし、寺院(この期においては門徒衆の統率者であり小領主であることの承認)の設置廃止の全てを本願寺の統制下に置きました。。
また、「一門一家制」の制定し、従来「一家衆」と呼ばれていた本願寺の一族寺院の間に家格を定めて、宗教的地位を確定します。即ち、①連枝 - 法主の子供・兄弟②一門 - 連枝の嫡男(第二世代)③一家 - 連枝の次男以下と蓮如以前に分かれた一族。「末の一家衆」とも。
結果として、本願寺は法主に宗教的権限を集約し、その藩屏たる連枝・一門は宗門内で優位を占めることとなりました。しかし、注意せねばならなにのは、あくまでもこれは宗旨権限であって、政治権力や経済権力を本願寺法主が把握しきったことにはなりません。
それは、もう少し時代が下ってから、信長という覇王が登場してから、事態は急旋回するのでした。 |





