ここから本文です

スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

書庫歴史をふまえて諸問題

記事検索
検索

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

(弱い犬ほど良く吠えるといわれる。ウチのガブはほえないよーん)

デマゴギーというのは、1%の真実をまぶすことによって人を支配できる。

大阪で、民生委員が祈祷師宗教の仲介をし、教祖の予言が当たるようにと、放火した罪で逮捕された。

よくあるマッチポンプで、「これこれをしないと不幸になる」と、何もかも見通しているように断固たる口調やパフォーマンスで相手をまきこむのが手口。そうしておいてそれが真実になるようにする。


その方法はいくつかあるが、前に紹介したリーディングという手法もその一つ。さらに、原始的だが予言内容を実行するというのもあって、この民生委員さんはそうしてお布施を集めた。困ったもんである。


がしかし、そういう人を好きになったりおつきあいするのも自由であるから、そうして数千万円をつぎ込んだ人を被害者と呼ぶのもどうかなあ、とも思うのである。



困ったもんだ、といえば小林よしのりである。「天皇論」を書いて大発見だ!とはしゃいでおられるが、ある年齢以上の人や学問をなさっている方にとっては、「天皇の歴史性と価値をマンガという手法で、印象的に描いている」というのが標準的な感想ではなかろうか?


天皇は「祭祀王」である。という面をクローズアップしていただいたのは結構であるが、その分析やデータ提示が極めて近代的で、情報操作的である。


一例をあげれば、神仏習合期の天皇祭祀と葬儀一式には触れないし、もちろん「天皇自身の信仰」を述べることはない。まあ、小林のねらいは世論操作であるからデマゴーグになるのは必然なのであるが。



しかし、彼のコミックはその決め台詞の「ごーまんかましてよかですか」と、感情表現の激しいデフォルメに特徴があり、実は視覚効果をねらったヒトラーの演説のように、内容を吟味することよりも感情の流れで読ませる作品である。

書き手の意図は別として、作品は読者の感情レベルに傾いて読まれるので、些細な事実の確認や、書き手の意見か引用者の意見か、あるいはきちんと論理的に証明された事実か、学説かが、時には不明のまま受け入れてしまう。

この読まれ方は、若い人々に圧倒的な支持があるとされ(「戦争論」「靖国論」ともであるが)、小林はしばしば読者からの手紙を作品中に引用し若者に影響力のあるおっさんをポーズする)る。出版社の小学館はその情報の真偽や表現手法の是非にも共同の責任を負うのは自明の理であるから、作品に責任をもたなくてはならない。


詳細は、次項に譲るが、『天皇論』の中で、小林は、浄土真宗十派が「ヤスクニ神社の国家護持に反対し、したがって閣僚の公式参拝に抗議する」ことを取り上げて、揶揄または非難している。


その内容は、おそらく『「現人神」「国家神道」という幻想――近代日本を歪めた俗説を糺す』(PHP研究所、2003年)という新田均の著書の丸写しなので、小林自身が価値判断をして責任をもって書いているかどうかは疑わしいのであるが、いわゆるネット右翼といわれる「サヨク攻撃にアイデンティティを見出す」という古いタイプのカウンターカルチャー型の人々を読者として想定すれば見事な表現となっている。そして見事なだけに、前述したように「情報の真偽」は後回しにして「真宗の上層部は戦争に加担したことをごまかすために天皇や戦前の体制を悪くいう」と刷り込まれる。


御存じのとおり、nazunaの仕事の重要な1つに、浅薄な歴史観や情報の偏頗によって葬り去られた、「真宗者のありよう」や「教団・個人の信心の姿」のほりおこしがある。その立場でモノ申せば、

小林よしのりに、誹謗中傷された


と判断する。「真宗教団が戦争に加担した」というすごーーーーくサヨク的な言い回しで批難しながら、そのことに気づかせないのも彼の芸であるが。最も場合によって立ち位置を微妙にずらして、いつも自分は正義の側にいるとするものを「曲学阿世」の徒といのであるが。


と、いううわけで、実は明日、とあるところで講演をするので、忌々しき事態であるとして教団全体の取り組みになるように問題提起しようと思っている(続)。

開くトラックバック(2)

イメージ 1

(大阪城内、蓮如碑)

大阪で深夜に「ビーバップ・ハイスクール」という番組がある。

先週の23日。テーマは「淀川を知れば大阪がわかる」であった。それについて朝日放送に抗議釈明を求めるメールをした。

23日の「淀川を知れば大阪がわかる」においても関心深く見ましたが、大変残念な思いと疑問を持ちました。番組は、三木准教授解説ですすみました。大坂城にかかわる下りでは、「信長公記」まで引用されて大坂の地の重要性を示され信長の先見性をたたえられました。しかし、大坂寺内町や石山合戦には触れらなかった。

これは、地域史から見ても異常なことです。刊行されている大阪府大阪市史においても、大坂の地の重要性を発見したのは蓮如上人とその門徒集団であることは明白で、大坂城とは「大坂本願寺寺内町」の後継であることに疑いはありません。歴史学では「寺内町研究」が一ジャンルとなるぐらいの常識です。

番組はこれを省略したために極めて不自然なことになりました。三木氏が大坂本願寺時代を無視するとは到底考えられないので、これは番組制作の意図としか理解できません。

抗議するとともに釈明を求めます

大坂の町を語るのに、浄土真宗を抜きにしては語れないのであって、それは歴史的事実である、そうありながら、もしも宗教的利害や配慮でもって、カットされていくのは不当な支配ではなかろうか?

このような不可思議な事態が、北野誠の1件以来、目に付く、この地方局をめぐる「表現の自由」の問題。北野誠氏の事件、ムーブの終了、「音事協」の自主脱退、等々、ABCに対して不当な圧力がなければいいのだが………。

開くトラックバック(1)

イメージ 1

記紀の神話によれば、「訪問する神」が男神で、女性〈巫女)と交わり子を成すというパターンがある。しかしこれはおそらくより後の時代の観念であると思う。

稲穀の神が女性神であり、田神が男性であってそれぞれが交わり、そして肉を屠ることで歓迎を表すというのは、民間においては中近世においても雨乞いのために、「牛を屠る」ということが行われていたことからもっとも原初的な神事であると推測できる。

自然の人間の関係は常に「自然」が先行し、人間によって語られることによって同レベルになる。自然のめぐみを受けることでできた関係をいったん対等にするからこそ神事は成立するのだが、その成立した神事においてはむしろ、「言語化されない状態での関係の再現」をその内容とする。

(余談であるが、だからこそ教義なんぞは必要なく神道を言語で説明しようなどとは笑止千万である)

斎の巫女は、日常からその身を離して過ごすのであるが、それを「潔斎」とし「ケガレを払う」としてのはずいぶん後世の概念で、おそらくは「言語生活からの隔絶」が最大の理由である。

ここに「かむながらの道」の本質があって、言語を使用しなければできることは、全て身体のパフォーマンスになる。天の岩戸前での、アメノウズメノのことを想起してほしい。

「礼」「式」に「儀」の文字がついていくのは、原初の記憶による「ヒトと自然」の関係を、演劇的に再現することが、「ならう」ことの本質であるからである。

そこで「産み育み与える」母性神にならう、巫女と同衾することが、与えられた地における「統治権」の証となるのである。ならば新たな王権は「入り婿」つまり「イリ」でないと成立しないことになるだろう。古代における「妻問い婚」というのは、そういうことである。

原初において、女性は「王の母」であった。細かい立証はおくが、このような理解で日本の古代史を読むと今までとは違った風景とより深い理解が生まれる。

祭祀6

イメージ 1

(御所市・葛木御歳神社 大好きな神社です!坊主がいうと変か!?)

さて、「古語拾遺」のおはなし。

御歳神が起こった理由がおわかりだろうか?

「大地主神が田人に肉を食わせた」のがその理由。御歳神の子がきてツバを吐いたというのは、「ツバをつける」という言い回しがあるように、肉が自分のものであるという主張だ。

つまり御歳神は、牛肉の供御によって祭祀される神であり、それをささげずに(儀式をせずに)農民が食べたから怒ったのだとわかる。さらには、儀式用のこの肉は祭祀後にはみんなで食べていたということもうかがわれる。

(さらには祟りを除くのに男根を祭るのであるから御歳神は女性神である)

祭祀4までで述べたが、棲み分け可能なほどの水と食物に恵まれた自然を有した列島である。だから「自然との一体化」を実際に行うという儀式の中で、この列島に認められているという手ごたえを得る、これが祭祀のスタートであろう。

であるからには、ウシをホフリ(祝り)ささげたあと、みんなで共食するということを通して、祭祀人=権力を与えられたもの、という確認が、その集団内でなされたと言える。

食物を手に入れる⇒食う、異性を密かに迎え入れる⇒sexし子を産む、という行為を再構成する


のが祭祀の注中心事項であって、それがやがて形式化しあるいは擬似化していくが、この「伝説」はまさにその原点の姿を示すのである。

そして注目すべきは、稲穀のシンボルが殺生や肉食をむしろ必要としていることにある。

開くトラックバック(1)

祭祀5

イメージ 1

(写真は南アルプス市の遺跡出土品の牛の歯)



男根を祭るという話を前回ふれたが、これとセットで出土するのが水口祭祀。

田圃の水口あとから、発掘されるのがと牛祭祀あとである。

平安時代の神道の史料である『古語拾遺』には、御歳神説話がある。正月にふさわしい話題だと思うのでとりあげる。

歳神、年神は、稲穀をスピリットとしてみなしたもの。近代になって国家政策に随従して歪められたが、もともと正月は寝正月がほんとうで歳神を家にお迎えするために鏡餅をそなえ門松をたてるのである。

だから朔に初詣なぞは、明らかに伝統破壊である。脱線ついでに言うと

「初詣」は明治30年代に発明された


のである。

細かいことは省くが「日露戦争」に勝利するためと出征兵士の無事を祈願するために氏神への参拝が奨励され、やがて国家の安寧と我が家の発展を祈るために、正月に神社へ参拝にいく村を新聞が「国民の鑑」として称賛したのがきっかけで行政が「国民精神高揚にいい」と喧伝したものである。

それはやがて私鉄ブームと結びつき、関西では大鉄(現・近鉄)橿原神宮を作って路線をひき或いは京阪が平安神宮をつくりと、神社を創設して初詣を奨励し電車運賃獲得競争になっていく中で、あたかも大昔から「日本人は初詣をする」ということになってしまった。

もちろん、氏神さまへお参りするということは正月に行われていたが落語「初天神」のように小正月の習俗であった。一日におしかけられて日本古来の稲穀の神様は「もうわたしを尊敬し恐れる心は無くしてしまったのか」とさぞお嘆きであろうと察するにあまりある。

反対に、真宗のお寺が場合によっては最初のお勤めまで無言というルールをたもち、静かにお勤めを四阿弥陀さまの前にお餅や野菜を供えて「念仏」したのちに、家々での祝いに帰るという、古い習慣を堅持しているのは歴史の不思議である。

さてさて、脱線がすぎた。かの『古語拾遺』に見られる御歳神の話は以下である。


「昔のことだ。大地主神が田をつくる日に牛の肉を田人に食べさせた。御歳神の子がそれを知り田にやってきて、(饗)として捧げられた牛肉にツバを吐きかけて父の御歳神に報告した。御歳神は怒って田を荒らすイナゴを放って稲を枯らしてしまった。困った大地主神が占いをしたところ〈御歳神の祟り〉でありそれをとくに白猪・白馬・白鶏をささげてお詫びすればいいとわかったので、そうした。すると御歳神はイナゴの発生は私の意であると認め、それを除く手立てを教えた。まずは麻や天押草や烏扇などを使いそれでもだめならば、 牛の肉を溝口に置き男根を形どってそれに加え 、薏子(すつだま)・蜀椒(なるはじかみ)・呉桃(くるみ)の葉と塩を田の畔におくといいと教えた。そのとおりにすると田は元通りになり稲は再び生い茂った。これが朝廷での白馬祭・御歳神祭祀の始まりである」


なかなか面白い話で、『古語拾遺』は宮廷祭祀において脇においやられつつあった忌部(斎部)氏の撰述であるから、時代の風潮に合わせた祭祀を行う中臣氏への批判もあって、比較的当時の政治動向に左右されずに古事を記述していると判断される。

もちろん巨石巨木信仰の時代からは1000〜800のちの記述であるからそこから石器時代や縄文時代の考古とストレートにつなげるには無理があるのだが、いくつか示唆していることがあるので、それに注目して記事にしていく〈続)。

開くトラックバック(2)

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 前のページ | 次のページ ]

nazuna
nazuna
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

ブログバナー

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン

みんなの更新記事