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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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'''日中交流1400年記念国際シンポジウム
 住吉津より波濤を越えて
 −遣隋使・遣唐使がもたらしたもの−'''


会  場 住吉大社 吉祥殿
時  間 8日 9:00〜20:00 / 9日 9:00〜17:10
会  費  1000円 (18:00からの晩餐会は別途有料)
内  容 開閉式、講演、パネルディスカッション、研究会、晩餐会など。
基調講演
「日本に骨を埋めた鑑真」  浙江工商大学教授 王 勇
「唐に渡った人々」      奈良大学教授 東野 治之
「遣隋使と大化の改新」   京都大学教授 和田 萃
主  催 日中交流1400年記念国際シンポジウム実行委員会 

共  催 日中科学技術協力会議・浙江工商大学日本文化研究所日本語
言文化学院・四天王寺国際仏教大学・四天王寺・住吉大社
後  援 外務省・中国駐大阪総領事館・大阪府・大阪府教育委員会
大阪市・大阪市教育委員会・NPO大阪府日中友好協会 



朝からこのシンポに参加しています。予想にたがわず中々面白いお話が聞けました。唐という国家の有様と留学生の処遇に、教わることが多かったです。

夜間のある「高瀬」の津、長柄の津は、河内入り江の「遣唐使船」の船着場でもあって、西日本の水運海運を考える上でも示唆を受けました。10年をメドにした留学や留学生と認定されたら国家が奨学金から生活資金まで全部面倒みてくれることなど、日本の学生たちは随分恩恵に預かっていたのだなあと感服しました。留学僧の宿泊施設を「寺院」と書いたわけで、日本での仏教を学び研修する場や建物を「寺院」と命名したのは、「留学体験」への思いからであったのです。

午後1時からは法事で、先達、和田先生のお話は聞けまかったのが残念ですが、明日は研究者集団によるセッション。これも楽しみです。

また、住吉神社そのものへの関心やとけない謎もあるので、今回の行事で祢宜さんとお友達になれたのもよかったです。

聖徳太子のセンス

「卑弥呼、鬼道を能く為」。後世の知識でもって、様々な解釈がなされている。北方系シャーマニズムであるとか。はたまた南方系の巫覡。

しかし、宗教が広義のテクノロジーであると理解すれば、つまりは多数の人々の自然や人事における、対処法を具体に処方できた、という事である。

ただ、処方というのはそれを共通理解する集団内と外では、違う。言葉が違い其の背景たる社会の成り立ちの歴史を共有しないから。

宗教というテクノロジーが地域限定あるいは特定集団内限定となり易いのは、そのためです。

だから地域集団同士が自然を巡って競合したりすると、そこにはまず文化摩擦が起こる。たとえそれが1対1の揉め事であったとしても。

人の争いとは、言葉の争いであり其の背景たる宗教の争いになるのは必然である。そこで実際に血を流す時もあるが、文化レベルで決着がつくと戦闘なしでも、共存関係を築ける。こういう経過の中では宗教は平和のテクノロジーになる。

少しくだいてみると、魏に入貢した「ヤマタイ」も、倭の五王も、あるいは朝鮮半島の国々も、「中国文化」に読み込まれることで、流血を回避したということだ。そして中国発の「儒教」や「老荘思想」を逆に積極的に取り込むことで、同一文化圏つまり同じ宗教を共有する事を表現したのである。

どうです。戦後の日本とアメリカ(キリスト教文化)の関係もいっしょでしょ。

そうすると、社会や言葉を裏付けつつ組み立てるるテクノロジーを具体的に示せるものが、指導者たりうるわけで、蘇我氏は「仏教」をそのように扱いヤマトに君臨した。

ただここで、コードを読み解き連結する抜群のセンスをもつものが、日本史に登場する。
聖徳太子、上宮之厩戸豊総耳王命(かみつのみのやうまやととよさとみみのみこと)である。

おそらく語学の達人であった彼は、「仏教経典」を通して、「中国文化」を越える普遍、世界スタンダードを見て取ったのである。

もちろん、儒教も老荘思想(陰陽道)にも精通していたであろう。けれど、彼ほど宗教を世界を救うテクノロジーであると理解したものは、未だにないと思われる。

そしてそれは、既存のテクノロジーを凌駕し抹殺するほどの迫力をもっていた。王家の一員が外向きは「中国文化圏国家」で内向きにはそれを装った「自然崇拝国家」であるわが国の国是を、破壊する思想を有したのである。

おそらく彼が天皇にならなかったのも、又彼の子孫が見事に滅ぼされていくのも、現実の権力権威(文花と言葉を統べるもの)への脅威であったからである。

伝聖徳太子事象の全てに、その匂いは読み取れる。寺を建立し行事を行いテクノロジーを独占しないで公開する。社会的需要を喚起し経済を活性化することで、工学・地勢学・心理学・政治学と教義のテクノロジーも発展させる。何年間に一度のイベントは、多数の人々に「ハレ」をもたらす。

天皇家の神事は非公開であるから、テクノロジーは独占できるのである。それを実態的に否定するもの。そこに聖徳太子のセンスの良さがありかつ悲劇がある。

狩猟採集のくらしとは

近代人は近代のものさしで歴史を計る。だから、2000年以上前でも、テクノロジーがありそれなりに継承されて専門家が存在したと考えない。

衣食住、どれをとりあげても、人間は自然(つまり地球という環境)に手を加えずにはいられない。温度や空気の濃淡。さらに雨や日照時間など、変転する環境の中で、人間は暮らしを創造する。

宗教の発生とは、そのような環境と人間のかかわりから、一つのテクノロジーとして誕生する。自然の動きに「意志」を感じるということは、自己投影である。雷や雪、さらに日食や月食に、意味を見出そうとするのは、人間の側の秩序欲求である。だから、宗教は「自然に対し意図的にはたらきかけて、自然のままではでないであろうと推定する結果を手に入れる」テクノロジーであった。

「儀式」という手続きを創造し、コミュニケートする。シャーマンとは特異な能力者ではない。その地域や血縁集団の総意を体現する表現者である。狩猟採集の社会集団もまた、その意味で高度にオーガナイズされた社会なのである。

ただ、思うままに狩りや漁をするのではなく、手続きを踏まえて行う。植物の実りについても同様で、クリやカキにキノコや山菜を、思うがままに採集すうrのではないのである。

ま、現代の会社と同じです。現代は、この時代の「神」の位置に、「経済効率」や「コンプライアンス」を祭っているにすぎない。

「錬金術」を科学の前段階と見る、科学史学者の見解は正しい。テクノロジーの進化とは単純化と効率UPの意味である。けっして複雑化ではない。手続きはシンプルなほど共同体の総意に直結し、個々を同じ波動に巻き込む。

インターネットはそういう意味で、テクノロジーの王道であり、宗教なのである。そろそろ日本国でも、ネットが健全に働くようにという、「祈り」や「儀式」が必要かもしれない。

徳島で、古事記の記述は徳島近辺のことを記述している、と分析主張している人がいる。確かにイザナミイザナギの国産み神話を読むと、現在の九州四国中国近畿に対馬壱岐隠岐佐渡などの島が生み出される。
どうみても、海洋民族の地理である。だから、淡路島の対岸あたりが根拠地であるという説には、説得力がある。

海洋族は安曇族である。採集と漁労を中心に生活を築く。神社でいえば住吉と宗像。どこかの回でも述べたが、奈良時代の木簡によってわかる、天皇家への貢物《ニエ》には、アワビやかつおぶしに昆布など海産物も多い。7世紀に中央権力が関西を中心に安定したその基礎に、南方系の海洋民族が存在したことは間違いない。

一方、縄文といわれる時期の中心遺跡は、青森三内丸山である。ここは巨木文化である。そして出土物から北陸と山地方あたりとの交易交流が示されている。巨木といえば諏訪大社の御柱祭りを思い出す。さらに、伝承の出雲大社本殿は巨木で築かれた雲居にまごう大建造物であった。

高橋克彦氏がフィクションで展開している東北学によれば、「アラハバキ神」を祭祀し狩猟と採集を中心に生活していた「蝦夷」と呼ばれた一族が、原日本人ということになる。

スサノオの子孫である大国主が国譲りをし、天孫族に権力移譲をするが、それを承知できないで「タケイカヅチ」に反抗し、シナノの国にまで追い詰められてしまい終生シナノから出ない事を誓ったのが「タケミナカタ」で諏訪大社の祭神である。そして大国主は出雲大社の奥深く隠れてしまった。

この後、スサノオ系の話は絶える。ここに崇仏廃仏戦争で敗れた「物部」一族を重ねると、古代ロマンができあがり。あなたも小説の一本はモノにできます。

ま、推論の幻影城を築くのはさておいて、伝承を事実の物語化として考えるてみる。すると、日本の原像には、三系統の文化が浮かぶ。南方から潮の流れに乗り九州南部・四国・紀伊半島南部へと広がっていく「海の民」。後世にアイヌとされていく「北方系の狩猟の民」。そして、「定住し農作する民」。どれかがどれかを駆逐したり支配したと考えるより、相互浸透していったと考える方が自然である。

文字を必要としない口承で成り立つ社会が最も原始的であるから、おそらく「古事記」成立に寄与した稗田阿礼の記憶していた内容は、海洋系が第一層でその上に狩猟系が重なったものであろうと思われる。

中大兄皇子(天智天皇)の権力基盤は反蘇我であったから、海洋族・狩猟族が後押ししていたことに間違いない。だから近江に都を構え、白村江で戦ったのである。天武天皇はこの天智系を倒して成立するのであるから、系譜としては朝鮮半島南部から北九州に基盤があった「倭」と呼ばれた王権Gである。

このグループは近畿の古墳等からの出土品からわかるように、北方ツングース系騎馬民族と南方海洋系の融合した政権である。中国大陸と朝鮮半島の情報が密に入ってくる政権でありその実態は部族連合体である。従ってここが中心という定位置をもたず移動する。そして、日本列島に進出し始めてからは、高原平野が少なく、川の多い地形にあ合わせて船舶を通信交通手段として、馬をそれほど使用しなかった。

朝鮮半島が、三韓から「百済」「新羅」「高句麗」という三国が成立していく時期に、奈良盆地など近畿地方の平野部に都ができ王朝が形成される。隋・唐などの中国大陸の王朝の成立が、波及するわけである。小部族の緩やかな連携により成立している海洋狩猟族では、そのような強固な中央集権的機構は成立しないし、またおわゆる「国家」意識は生まれない。外部と内部ができて外部との緊張関係があって、国家は成立するのである。

ここの部分がキーです。情報が均等に行き渡る社会ではない。伝播に時間差が生じる。また、部族を超えた王権を成立させる必然のない人々にとっては、情報が入ってもそれに対応して自分たちの社会を作り変える必要は感じなかったであろう。今、メディアで情報が均等に行き渡るがそういうイメージを捨てて欲しい。

九州・出雲を中心とした中国地方の日本海側、さらに吉備(岡山)を中心とした瀬戸内海(そこには四国の瀬戸内海側も含む)G、そして難波津、奈良盆地、福井平野、富山平野、琵琶湖盆地、諏訪盆地
長良川流域の低湿地部に伊勢平野、これらを一つの国家としてまとめあげようという意志が働いた結果、古事記日本書紀という王権の正当性を記述する歴史書が作成されたのである。

それら地域でも情報の濃淡がありまた、王権への意欲にも濃淡があるのだから、王権を成立させた後も、自分たちがその王権の内部に属するとは認識していなかった人々も多く存在したいたはずである。

南九州(隼人の国)や四国南東部、紀州南部。そして関東北部から東北は「蝦夷」と呼ばれる王権の外部であった。彼らと同質の文化をもつ人々で、王権内部に閉じ込められた(観念だが)ものは、反抗すれば「オニ」となり、協力すれば「部の民」となり、そして自由に活動あうるものは、山の民として政権と一定の妥協をしながら暮らした。山岳宗教の始祖、役行者に代表される修験道者は、「鉱業生産者」であり「草木資産の冨」を押さえる民であった。

後世に最澄や空海に山上に寺院を拓かせたのは、王権による彼らへの押さえである。中国渡来の仏教でもって、王権の強化を図る。それは単に宗教的思想的な押さえではなく、水銀や鐵を支配させないための実質的な地域支配を委ねたのである。修行場所として僧侶たちが把握することにより、「山の民川の民」はその地を放棄するか、支配下に入って妥協するかである。

幸いな事に中国大陸では唐が東部への膨脹をとらずやがて倒れたために、朝鮮半島でも「新羅」が統一国家として、唐に従いさらにはその支配を免れて安定期に入る。

持統朝から桓武朝にかけての王権の確立は、こういう国際的な状況にも支えられている。

で、本題へ。大陸や半島の情勢に鋭く反応するネットワークは北九州・中国・近畿・四国の瀬戸内海側。
反応はするがニュアンスが異なるのは、北陸・中部・関東。東北と南九州、四国南部は別文化圏。

これらをふまえないと、「多神教としての神道」なんて議論は成立しない。あまりにも大雑把であり結果論になってしまう。この辺りを丁寧にこのパートでは扱う。

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