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こんにちは、ゲストさん
今月のお寺
詳細
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『序詩』 尹東柱 (愛沢革訳)
いのち尽きる日まで天を仰ぎ
一点の恥じることもなきを、
木の葉をふるわす風にも
わたしは心いためた。
星をうたう心で
すべての死にゆくものを愛おしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今夜も星が風に身をさらす。
二月十六日は、朝鮮を代表する詩人、尹東柱の命日。彼は、朝鮮から満州へ入植したキリスト教一家に生まれ、文学を志し立教大学へ留学した。
祖国朝鮮は既になく、学校では日本語使用が強制される。一九四二年に一度帰郷し、「ハングルの印刷物を集める」よう家族に指示しているのは、日本の植民地政策を把握してのことであろう。
創氏で「平沼」となるも彼は改名せず、ハングルを尊び、母語での詩作を続けていく。その後、留学先を同志社大学へ変えて再び日本へ。しかし、従兄弟の宋が朝鮮独立運動者であると容疑を受け(特高月報「在京都朝鮮人学生民族主義グループ事件」より)、「治安維持法違反」で共に逮捕。懲役二年と判決される。罪状は「朝鮮語で詩作した」「友人に朝鮮史の本を貸した」ということであった。
一年後、福岡刑務所で二十七歳で獄死。宋も三月に獄死。一説では、医学の実験台にされたとか、食糧事情で殺されたともいう。あと半年で終戦であった。
「全ての死にゆくもの」とは彼の祖国であり母語のことであろうか。尹はそれでも、『星をうたい』『天を仰ぎ』生き抜こうとした。母語を愛することを「国家への反逆である」として、彼を殺したのは私たちであることを、痛切に恥じらい悼む。
そんなお前だからと、「摂取不捨」とはたらかれる「大悲の親」は、それでも(それ故)仏道を生きろと仰せになる。
称名は衆生の「悪」を見抜かれその「罪」を背負われたお名乗り。如来と二人連れと聞こしめられれば、「もう親を泣かすことなかれ」とこの口にかかりたまい、忘れたい記憶を新たにする。念々称名常懺悔。あやまりあやまりの念仏相続である。
二月行事 ○常例法座 十二日(休)午後二時〜
ご法話 「英語でブッダ」著者 大来尚順 師
☆アンテナ・ライブ 十八日(日) 午後三時〜四時
「わたなべゆう アコースティックギターライブ」 協力金:千円
○聞法の会 二十四日(土) 午後一時〜 お勤め 正信偈
ご讃嘆:「新説親鸞聖人伝」住職・蕚慶典
☆寺Café 同 五百円 午後三時〜四時 田淵幸三さん
〇お朝事 午前七時半〜 三日・十日・十七日・二十四日
☆いずれも詳細・お問合せは、お寺へ(06ー6661-8982) |
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春よ来い 松本隆 お正月と云えぱ 炬燵を囲んで
お雑煮を食べながら 歌留多をしていたものです
今年は 一人ぼっちで 年を迎えたんです
除夜の鐘が寂しすぎ 耳を押えてました
家さえ飛び出なけれぱ 今頃皆揃って
お芽出度うが云えたのに 何処で間違えたのか
だけど全てを 賭けた 今は唯やってみよう
春が訪れるまで 今は遠くないはず
家さえ飛び出なけれぱ 今頃皆揃って
お芽出度うが云えたのに 何処で間違えたのか
だけど全てを 賭けた 今は唯やってみよう
春が訪れるまで 今は遠くないはず
春よ来い.. 春よ来い 春よ来い
明けまして南無阿弥陀仏。人それぞれの年の暮からお正月でありましょう。。20代で「なにもの」でもない自分と「なにかになりたい」自分の間で、じりじりしている感じがうなずける、はっぴえんどの名曲「春よ来い」。
ここから、現在のJ-POPが生まれた。大滝詠一氏は言わずと知れたメロディ・メーカーであり、山下達郎・竹内まりあを表舞台へおしあげた。松本隆氏は日本を代表する作詞家となった。松田聖子への楽曲等、数々のヒット曲を飛ばして「ニュー・ミュージック」をお二人で牽引された。
細野晴臣氏はイエローマジック・オーケストラで一世を風靡し、鈴木茂氏はスタジオ・ギタリストとして無数の楽曲を世に出し、ライブでのバックギタリストとして活躍された。はっぴいえんどは、60年代後半に彗星の如く現れて、多くの影響を数々のミュージシャンに与えたバンドであった。
「春よ来い」とじりじりした日々から、五〇年。振り返って松本氏は「ただ食べるために詞を書いてきた」とおっしゃる。ある意味職業作家として懸命に生きられたということだろう。しかし、この永嶋慎二さんのコミックにインスパイアされて、大滝詠一氏の下宿でできたという一曲は、私たち全ての青春讃歌でもあると言える。
思えば、無諍念王が政治権力の限界を知り、出家されて法蔵菩薩となり、「阿弥陀」となられるための果てしない修行時代において、やがて「全ての人がブッダとなり、憎しみが消え戦争のない「春よ来い」、という強 ( つよ )い願 ( ねが )いを失わずに、「衆生仏とならずば、サトリはひらかない」と生 ( い )きぬかれたことを想う春である。 ○一月の法座 (一日 零時〜 元旦会 ) 六日(土) 午前十時〜 初朝事 正信偈・新年祝・ご法話一席
十二日(金) 午後二時〜 初お座(御正忌報恩講) 小林顕英師
十四日(日) 本山団体参拝(別紙)
二十一日(日)午前十一時半〜 新年会 ( 門信徒会 )
午後二時半〜 新年法話会(無料)
○お朝事 毎土曜午前七時半〜 十三日・二十日・二十七日
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12月(遅れた)
百舌よ泣くな サトウ・ハチロー
百舌が枯木に 泣いてゐる わたひき車は おばアさん みんな去年と 同じだよ 兄さの薪割る 音が無え 兄さは満洲へ 行っただよ 百舌よ寒くも 泣くで無え 夜間中学校でお世話になって、十四年。先日も『中国では「下雪(シャシュエ)」で、寒くなりました」と生徒が聞かせてくれた。外国籍生徒を中心に「日本語」を教えている中で、十五年戦争の際の政策や社会の空気、地域コミュニティにおけるあの戦争の意味などを考え続けている。
満州へ渡った日本人は、コミュニティを分割して「故郷を捨てる」形で出て行った。しかしそこは「中国」であって、無人の開拓地ではなかったのだ。国と国との力関係が動き。ソ連が参戦し、中国が支配権を回復すると、彼らの居場所は消え、帰ろうにも帰る場所はもうなかった。うして、多くの日本人が中国で棄民されたのである。 百舌鳥もまた、季節によって住処をかえる鳥。自然の変化で生きていくために動かされ住処をかえる。
私たち人間は、自分たちだけは「自己の意志」で生きているとうぬぼれがちである。が、実は私たちもまた、自然の一部であることを「忘れてはならぬ」と歴史は、ときどき手厳しい教訓を与える。
枯木で悲しく鳴くがごとく、全て枯れていく身体に支配されている私は、最後は悲しく鳴くしかないのだろうと予感する年末である。
泣かせはしまいという安心でそれを包んではなさない、ナムアミダブツ。我の悲哀を彼の歓喜へ転じる、一分のスキもないおはたらきが、「悲あればこそ」と唱和されるのが称名。「仏願を聞き続けてや年の暮れ」。合掌礼拝。
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おちばのてがみ おちばせいいち
はる…なつ…あき…の
おもいでが
おちばになって
きれいな てがみのように
いちまい ひらり
もういちまい ひらり
(そだててくれて ありがとう)と
だいちに とどけられます
そしてふゆ
ちきゅうは
かさなりあった おちばの
おもいでの つまったてがみを よみ
あたたかいセーターのようにきこんで
ふかふかとねむります
(『のはらうたⅤ』工藤直子 童話屋)
今年もはや、十一月となりました。秋台風が連続して、気がつくとめっきりと冷え込む日々。紅葉もあっというもない進行しております。
記憶に残る映像は、壽光寺が銀杏の黄色い葉で尽くされているという季節。そして、ころんころんとギンナンの実が強風が吹く度に、庭中にこぼれてきます。子どもの私が遊びがてらに掴むと、「わーっ」。なんともいえない強烈なにおい。これ壺に集めて腐敗させじゃーっと水で洗うと、薄茶色のギンナンが顔を出します。 フライパンで煎って、かつんとトンカチで割る。さっと塩をまぶしていただくとほくほくの味わい。調子にのっていただくと祖母から、「子どもは精がつきすぎて鼻血だでるで」と叱られる。
後年、「茶碗蒸し」の食材として高級料亭でも食されると知った時は驚いたものです。あれから数十年が過ぎ、銀杏は寿命で雄樹雌樹とも根だけを残して姿は消えましたが、あの豊かなめぐみを木枯らしが吹く度に想います。
「南無阿弥陀仏」は私のこえでありながら、仏さまの声。遥か昔に成仏された阿弥陀が、「私を浄土へ摂めとりブッダと仕立てこの世へ還す」ため、尽きないはたらきとなって「いつもいっしょだよ」との仰せ。遺訓されたお釈迦様から七高僧に親鸞さま、大谷一流を汲んだ方々のお姿は、もうここにない。けれど、木枯らしが吹く度、ギンナンを想い、私にお念仏をわたされた、祖父母の「めぐみ」を想うのです。
○ 常例法座 十二日(日)午後一時〜 安方哲爾師(貝塚・正満寺)
・寺Café 同 午後三時〜四時 田淵幸三さん 500円
☆アンテナライブ TWO IN ONE 午後三時〜四時 1000円
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