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11月の行事


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秋の七草のデザイン

     神無月にかこまれて          井上陽水

 人恋しと泣けば十三夜
 月
はおぼろ 淡い色具合
 
雲は月を隠さぬ様に やさしく流れ
 
丸い月には流れる雲が
 
ちぎれた雲がよくにあう

           風がさわぐ今や冬隣り
          
逃げる様に渡り鳥がゆく
          
列についてゆけない者に また来る春が
          
あるかどうかは誰もしらない
          
ただひたすらの風まかせ

           神無月に僕はかこまれて
          
口笛吹く それはこだまする
          
青い夜の空気の中に 生きてるものは
          
涙も見せず笑いも忘れ
          
息をひそめて冬を待つ


 出雲大社と伊勢神宮とが御遷宮となり、今年は聖地巡礼に旅行会社がわきました。十一月は旧暦十月。三日が一日となる。旧暦十月は別名「神無月」。これは日本中の神様が出雲に集まられて、各地にいらっしゃらなくなるので、神無しの月と申すのです。そうです、神様の本拠は出雲。これが伝統で、お伊勢さんは新しい。
 明治になって、古来の「神ながらの道」を「神道」とし国教化するために、他の解釈が許されなくなりました。各地の神社を天皇家につながるよう操作し、元の祭神が失われる。また、「神社合祀」で神社そのものが消えた。和歌山の在野の学者、南方熊楠がこれに反対して投獄されたのは有名な話です。さらに巫女の口寄せや神降ろしなど民間信仰行為は政府に禁じられました。
 神は仏教の力で成仏するべき存在という考えや、「神」をブッダの日本風表現とする「権現」の表現も禁止され、仏教は貶められました。「廃仏棄釈」です。およそ千年の私達の精神史が否定されたことになります。
 
 この政治意図が今も影響し、宗教を習俗として生き方の問題として論じない社会を生み、宗教の真実から人々を遠ざけています。我欲の道具に貶められた日本宗教。そんな有様を「どうしたものか」と出雲で神々が頭をひねって会議なさっておられるのではないかと思うと、親さまの仰せの通りに南無阿弥陀仏と慶べることの尊さをかみしめます。

11月の行事
○常例法座 十二日()     午後二時〜  植木政隆師(高槻・長楽寺)
○大人の寺子屋 二十四日(日)午後一時〜午後三時  五〇〇円
「原発問題を学ぶ」 今中哲二(京都大学原子炉実験所助教)
〇お朝事 午前七時半〜 二日・九日・十六日・二十三日・三十日
★住職出講 
 三日() 午後二時・七時                    大圓寺報恩講(堺市美原区)  
 十日(日)午後二時・七時       正覚寺報恩講(奈良県広陵町)  
 十七日(日)午後二時〜                    浄願寺門徒報恩講(旭区今市)
 二十三日(祝)午後二時〜             教善寺報恩講(東淀川区井高野) 
 二十六日(火)午後二時〜・七時 二十七日(水)午後二時〜
                               正光寺報恩講(岸和田市・土生町)





10月の行事

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親鸞旅日記を演じてくださる 春野恵子さん
 
 
白髪                        谷川俊太郎
                  
                            嘘じゃない
                            でも本当かと問われると怯む
                           
隠してるんじゃない
                           
言葉を探しあぐねて
                           
堂々巡りしてしまうんだ
                           
せめぎあう気持ちは
                           
一言では言えない
                           
言えば嘘になる
                           
だから歯切れが悪いんだ
                           
言葉ってしんどいな
                           
静寂が欲しい
                           
ちょっと休戦しよう

                           
きみも白髪が増えたね
 


「いたわる」、という言葉がある。労わると書きます。「子育て」がいつのまにか教育となって、「しつけ(躾)」という言葉も家庭内暴力の言い訳用語になった感があり、国を挙げての「心の教育」を行うとおっしゃる。「思いやり」を育てるとも。
 これらの背景には、【ヒトには他のヒトの心を意図して動かしたり育てたりできるのである】という考えが、見え隠れします。しかし、ほんとうにそれでいいのでしょうか?
 佛教ではヒトの活動を、身・口・意の三業にわけていいますが、それは、分けないと理解できない、私たちの都合に合わせてのことです。ブッダの真実の眼差しは、「我が身ひとつ」と、全部まるごとの「私」をとらえられます。特に、私たちのよりどころである「浄土教」では、三業を「聞き称える」ことひとつに集約します。コトバが響くという身体のはたらきは、心もゆさぶられているということです。それは同時に、身体が他者にむかって劈かれて動き出すことでもあるのだよと。
 ならば。道徳や心だけを問題にすることは、危なっかしい。学ぶは真似―ぶ。モデルの動作をなぞることでヒトは「人間」になるのです。
 「いたわる」は動詞、身体の動きです。「南無阿弥陀仏」の名号は、阿弥陀さまの動詞が私の動詞となりたまうお姿、であります。私には三人の娘がありますが、中の娘は傍目にも美しい娘で聞き分けが良かったので、労わることをしなかったという後悔があります。中は上と下にはさまれて「辛抱」することが当たり前となる。そこで本当に「悲しかったり」「悔しかったり」したことを一人でじっと噛み締めることが多かったと思います。
 そんなことを阿弥陀さまはよくよくご存知でありました。悲しき凡夫の親は、阿弥陀さまに動かされてやっと気づくのです。秋まっさかり。子の恩に感謝することでありました。


10月の行事
親鸞 ( しんらん )聖人 ( しょうにん )報恩講 ( ほうおんこう ) 十月四日(金)〜六日(日)
四日(金) 午後六時開場、六時半開演 [藝能報恩講] 無料
            声明「日没礼讃偈」浪曲「親鸞旅日記」 +α                     出演 春野恵子 壽光寺住職・釋慶典
五日(土) 午前七時半〜八時半 正信偈六首引き 説教・住職
      午後二時〜 奉讃大師作法(真宗六藤会)
                     御法話 貴島信行師(龍大教授・真行寺住職)
         午後七時〜「御伝鈔拝読」 絵解き一座・住職
六日(日) 午前十時〜午後四時 節談説教布教大会 無料
       午前十時「宗祖讃仰・音楽法要」 節談説教・四名
         午後一時半「讃仏偈」 節談説教四名
 
〇お朝事 午前七時半〜 五日・十二日・十九日・二十六日
 
☆住職出講(全て節談説教です)
八日(火)        箕面・正願寺 報恩講  午後二時半〜 七時半〜 
十九日(土)     京都大原・勝林院「一千年紀」            午前十時〜
           寝屋川・本覚寺 報恩講 午後三時〜 七時〜  
二十日(日)       〃                     午後三時
二十七日(日)  和歌山市・西方寺 報恩講 午後二時〜 七時〜  
 
 
 
 
 


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8月の行事

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初田悦子さん。 8月15日にコンサートします。NEWアルバム 『Storyteller 〜きみに歌う物語〜』できた!
 
今月の詩
 
 出口                谷川俊太郎 
 
 
              自分で作った迷路に迷って
       
  出口を探してうろうろしてる
       
  上を見ればまだお天道様がいるのに
       
  下を掘ればまだ水も湧くのに
       
  前ばかり観て歩いていくから
       
  どっちに向かってるのか
       
  いつかそれさえ分からなくなって
       
  心は迷子

       
  いっそ出口はないと得心して
       
  他でもないここに出口ならぬ
       
  新しい入口を作ってはどうか
 


 広島、山口と先月には、おおきな事件が発覚している。いづれも犯人は逮捕されているので、法的にはそれなりに解決されるだろう。
 しかし、真宗者にはこの二県での事件に格別の感慨がある。ここらは「御法義どころ」という本願寺派の寺院門徒が多い地域なのである。若い子の事件の経過から知るふるまいに、「小さく狭いそして幼い世間」でのメンツ(自己主張)が見えて悲しい。
 限界集落での事件も、老齢者の「狭い世間」の身の置きどころの問題。詩人がいうよう、私たちの「脳内世界」が勝手に「狭い世間」をつくり、比較や競争して自分の居場所を 主張する。暴力的にかつ支配的に。そして気づけばトンデモナイ孤独の闇にいるのである。
 そんな私に、今ここの私に「無明常夜の燈炬なりーどんなあなたであったってどのような悩み苦しみに生きようとも私はあなたに寄り添いあなたを明るくする光となってあるよ」と、新しい入口を示されるのが南無阿弥陀仏である。その声が聞こえる土地柄なのに…と思えば、罪業深重の闇がより痛ましいのである。


行事予定
歓喜会(お盆 於本堂)
十二日() 午後二時〜 ご讃嘆 清岡隆文師(吹田・大光寺)
十三日()十四日()十五日() 午前十一時〜 
 絵本解きと歌法座 (住職による絵本を題材とした法話と歌)
 
〇歓喜会・兵戈無用コンサート
十五日() 午後六時・開場 六時半・開演(於じゅげむ)
「愛、平和への願い」 協力金:二千円(一般二千五百円)
出演 初田悦子(vocal)わたなべゆう(guitar
 
★お家でお勤め法座の場合は、午後にうかがいます。お寺までお申し出くだ さいませ。
 
〇大人の寺子屋SP(5) 二十五日(日)六時・開場 六時半・開演 
 「声を出そう、仏讃歌を歌おう」 堯正教先生(指揮者・龍谷保育園長)
 
〇お朝事 毎週土曜日、午前七時半〜 
 三日・十日・十七日・二十四日・三十一日
 
★十七日〜二十五日は、夏安居でお参りはお休み。葬儀・法事は承ります。
 

 
 

7月の行事

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朝顔 ( あさがお )」    
                           八木重吉 
 
                 ひかりある
                 そらはしずかに
                 ただひとつ
                 あさがおのさく
 


 七月。暑中お見舞い申し上げます。
 
 懐かしいヒトの棺を覆い、若い人にも先だたれた今年。そんなにあわてて衆生済度の旅へと おでかけにならなくても。もう少しこのシャバで、迷い
有様を互いに、重ねつつ語り合えればとも思うのですが、なかなか思うようにはなりません。
 生老病死が苦になるのは、そこに執着する私があるからです。けれども、この頭の中のノーミソは、やっぱり自分の都合のいい世界を望み、描き続けるのです。
 裏切るのは誰かではなく、私なのに。悲しいのは私ではなくあなたなのに。その煩悩さえも、自分の世界にとりこもうとする私の意地汚さが確かにあるとき。詩人は、そっと空を見上げて、そんな自己を愧じるのです。
 
 そのとき………。
 
 目の前でだまって美しく開いてある一輪の花が、与えられていることに気がつく。仏さまの思いはこの世界にみちみちて、はたらきつづけておられることに、今更ながら思い至ります。支えは天上ではなく、ここに既にとどいていたのだなあと。


今月の行事
 
○常例法座 12日() 午後2時〜 
         ご讃嘆 長谷川毅正師(本願寺派布教使・西成組・西教寺住職)
 
〇大人の寺子屋 21日(日)午後6時半〜 五〇〇円
  「仏教と語り芸能」 釈徹宗(相愛大学教授・如来寺住職)
 
○お朝事 各午前七時半〜八時半 正信偈六首引・和讃繰読み 法話
         六日・十三日・二〇日・二十七日
 
〇住職出講  三十日午後二時半〜 和歌山・鷺森別院本堂
   和歌山人権研究所・人権啓発シリーズ講座第一回
   「夜間中学生から学ぶ―話しことばの豊かさと社会権としての識字」
 
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