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11月11日、本堂でお勤め後、本山ご遠忌に団体参拝。総勢44名。
今月の法語
聖人(親鸞)弘長二歳[壬戌 ]仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。それよりこのかた、口に世事をまじへず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらはさず、もつぱら称名たゆることなし。しかうしておなじき第八日[午時]頭北面西右脇に臥したまひて、つひに念仏の息たえをはりぬ。ときに頽齢九旬にみちたまふ。禅房 は長安馮翊 の辺 ( ほとり )[押小路の南、万里小路より東]なれば、はるかに河東の路を歴て、洛陽東山の西の麓、鳥部野の南の辺、延仁寺に葬したてまつる。遺骨を拾ひて、おなじき山の麓、鳥部野の北の辺、大谷にこれををさめをはりぬ。しかるに終焉にあふ門弟、勧化 をうけし老若、おのおの在世のいにしへをおもひ、滅後のいまを悲しみて、恋慕涕泣せずといふことなし。 (御伝鈔下巻・第六段)
読んで字の如し。弘長二(一二六二)年、十一月二十八日の親鸞聖人御往生の様子です。既に、『親鸞聖人七五〇回大遠忌』法要は、六か月の勤修期間を終えて、いよいよ、明年一月の御正当法要をのこすのみとなりました。
大谷本願寺は、この記事にあるように、親鸞さま滅後に御遺骨を再埋葬しまして、そこに生前の御姿を偲ぶお木像(御真影さま)を安置して主として東国門徒の紐帯となる地でした。親鸞さまの御子孫は末娘の覚信尼さまから御子息の覚恵さま、そしてその子の覚如さまとなって、代々この墓所の留守番役をしていました。それが本願寺というお寺になります。
さて、われわれが親鸞さまの法事を欠かさず勤めてきたのは、親鸞さまを偶像化し崇拝するためでもなく、また追善供養や慰霊などのためではありません。 御臨末のご様子にあるよう、生涯にわたって「称名念仏」を伝え広められ、信心正因称名報恩の姿を貫かれたのが宗祖です。それにならい、後世のものもこの一流の流れをちょうだいし、流れを止めず次世代へと伝わるように法要を営む。何よりも自らが遇いがたき仏法に遇い念仏者として生かさしめんがための御縁でしたかと、此の人生を慶びまた煩悩成就のこの身なれどもと、あやまりあやまりの称名の御縁とするのです。
「宝の山に入りて手を空しくして帰ることなかれ」
今月の行事
○本年度門信徒総追悼法要
12月12日(月)午後2時〜午後4時半 無量寿経 ご讃嘆・花岡静人
○土曜・お朝事(朝のお勤め)
3日・10日・17日・24日・31日 午前7時半〜8時半
★除夜・元旦会
31日午後11時15分〜12時 除夜の鐘 引き続き
1月1日午前0時〜(45分程度)正信偈(行譜)新年法話・御流杯
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