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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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七月の行事

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(歌う尼さん やなせなな師 合掌の美しさを体現される人です)

今月の法語
 
浄土の真実信心の人は、この身こそあさましき不浄造悪の身なれども、心はすでに如来とひとしければ、如来とひとしと申すこともあるべしとしらせたまへ(親鸞聖人御消息)


  仏教の姿かたちをしていて、外道をとく。こういうことが大はやりして、やがて皆が仏法を見失ってしまった。親鸞さまの仰せのごとく「不可思議のそらごと」である。親鸞さまの時代にあっても、常にそういう事件や事態は起きていた。鹿島の性信宛のお手紙は、そのような中で示されたわが聖人の貴重な肉声である。
 とある週刊誌で得意げに「戒名料をふんだくる坊主とけんかして自分で戒名を父親につけた」ことを報告し、寺や坊主とつきあわなくても葬式はできると自慢された記事を読んだ。まあ、どうぞご自由にであるが、そこには自己を見つめる目はこれっぽちもない。自身の生き方や「いまのいのち」を問うていくこともない。空疎な記事である。お墓があろうがなかろうが葬式があろうがなかろうが、どっちだっていい。人目を気にして格好はつけたい(葬式はするんだなあ)、またグッズも人並みにそろえたい(戒名つけたい、位牌もほしい)、でも寺や僧侶に寄付するのはイヤだ(リーズナブルな支払いならする?)。浅ましい根性が透けてみえるではないか。
 「死んだらしまい」と「自動的にええところへ生まれ変わる」は、同じ紙のウラ表。どちらも思考を放棄して、あとは自分の都合のええように「死」考えるだけ。この手合いは常に「未来の死」であり「他人の死」である。失う悲しみもまた自身の生み出すモノでしかないのであるが、追悼や祈祷は「他者のため」であると思い込ませて逃げる、格好つける。
 今ここで生きながら終わっていくいのち。だから、根本不安なのであるが、それをごまかすからよけいに迷うのである。親鸞さまは、このお手紙の前後でさんざん外道の実態を指摘してお嘆きになりながらも、「今ここに阿弥陀如来が南無阿弥陀仏の心、信心となって私の命を共に生きて下さる」のだから、自身のことは恥ずかしく痛ましく思いつつも如来に動かされて菩薩の道を実践しようとするものが「真実信心の人」だと皆に知らせよ!とおっしゃってである。もったいないお示しである。


今月の行事
★定例法座    月12日(火)午後二時〜  ご讃嘆・長谷川毅正師 
★西成組聞法の会 7月14日(木)午後六時〜  ご讃嘆・高田慈昭司教
★聞法の会    7月23日(土)午後二時〜  大無量壽経讃嘆・住職
★お朝事     日・9日・16日・23日・30日 いずれも午前七時半〜


お知らせ
★7月8日(金)北御堂 八時半〜二十一時 「十二時間法話会」
   住職、午後の部に出講。マジックショーや漫才もある楽しい法話会。
               ‐曜日間違っていました。訂正します。
★8月3日(水)節談説教布教大会 北御堂
          住職、節談説教(十二時すぎ〜)。整理券少々です。
★歓喜会法座(8月12日〜15日)
★兵戈無用コンサート(8月15日・歌う尼さん・やなせなな)
 協力券(前2000円当2500円)分配中です。

 

6月の行事

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(じゅげむに入った、現門主下付名号 ナマンダブ!)
今月の法語 「南無阿弥陀仏をとなふれば この世の利益 (りやく)きはもなし
 流転 (るてん)輪廻 (りんね)のつみきえて 定業 ( じょうごう )中夭 ( ちゅうよう )のぞこりぬ」(現世利益和讃)
 


 お念仏をいただくととんでもない「ご利益」があると親鸞さまはおっしゃいます。言葉面でいただきますと、罪が消える、早死にする運命がなくなる。おおこりゃ、どこぞの新興宗教顔負け!ですね。
 寿命五十年の信長の時代。還暦まで生きれば長生きでした。今どうですか?黒田清輝の例もあるように男権社会では、男は浮気をしてもOK.女性は浮気をしたら切り殺されても罪にはなりませんでした。今、どうですか?
 人間のモノサシ(基準)の中で、善悪、有罪無罪、長寿・夭折が判断されています。そのモノサシ自体が誰かの都合で変わってゆくわけで。お念仏をいただくということは、人間のノーミソの枠組みを疑うことです。他力ともうしあげるのは、基準を仏様に置くということ。だからそれは常に外から内へとはたらきかけて私を問う基準です。
 そうして、仏の側が常に私とともにあることで、私の基準、すなわち有罪無罪を決めていたモノサシ長寿 ( ちょうじゅ )夭折 ( ようせつ )を決めていたモノサシ、これらが崩されていきます。といっても、このモノサシは私のノーミソがある以上、次から次へと湧いてきて休むヒマがない。臨終の一息まで我等は凡夫なのです。けれども、湧くから崩されるのです。煩悩即菩提ですね。お念仏をいただくと、自己の有り様が変わるかと言うと変わらない。けれども口にかかってくださる大悲のはたらきによって、常に自己を疑い仏の真実へ帰依していく向きが定まる。人生の意味が変わるのです。
 こうして、罪が罪でなくなり早死にもなくなる。死ぬときがきたから死ぬという人間的な意味のない「死」、誕生としての死=往生が生まれます。そこにはスタートからゴールと線分で図る必要のない人生があります。今の連続、今生きてありという点がそのまま仏道という喜びです。意味づけていた自己が変換されていくことで、常識的な「死」や「罪」は消えますよという御利益。仏法をいただくとはこういうことなのです。


六月行事
○佛手山・壽光寺 門信徒無量壽会(永代経)法要
 六月十二日(日)午後二時〜午後四時半
                      ・永代経披露 ・勤行 阿弥陀経
                      ・ご讃嘆   足利孝之師(本願寺派布教使・安養寺住職)
★永代経懇志・素供養配布については、お寺までお申し出を!
 
○夜学        六月十日(土)午後時〜八時
「正信偈さまをいただく⑥」 浜畑慧僚 師 
○聞法の会       六月二十五日(土)午後二時〜
・勤行 大無量壽経分読 
・ご讃嘆 「大経をいただく」住職
○お朝事      六月四日・十一日・十八日・二十五日 午前七時半〜八時半
☆住職節談   月二十六日(日)午後二時〜 
                                                         源正寺(伊丹市荻野五―百五十二)
       

 
 
 
 

五月の行事

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当寺境内(人事は移ろい季節は変わる。気が付けば満開の花・花「あ〜よかったね」)
 
五月の法語

「清風宝樹をふくときは いつつの音声いだしつつ 宮商和して自然なり 清浄勲を礼すべし
(浄土和讃)
 
 東日本大震災のあと、見える形で動いたのは音楽界。Superfly(越智志帆)が早くも三月十八日に「you&me」をユーチューブにアップして口火をきり、NHKが「歌でつなごう〜被災者の皆さんへ〜」を、フジテレビが「FNS音楽祭・特別番組〜上をむいて歩こう〜」を制作して多くのミュージシャンの歌とメッセージを伝えました。さらに、サントリーは「上を向いて歩こう」と「見上げてごらん夜の星を」をミュージシャン俳優たちの参加を得てリレーソングCMに。
 また、長渕剛を始め被災地への見舞と激励に訪れたミュージシャンのライブの歌声に、あの大津波と原発事故で感情の凍り付いた被災者のみならず私たちも、感情を解放して涙したり笑うことを取り戻すことができたのでした。「アミューズ」は「レッツ・トライ・アゲン」をサザンオールスターズを筆頭にパフュームなど五十四組のチーム・アミューズでリリース。収益を義援金へとする予定。改めて音楽の力を感じます。音楽は感情を呼び覚まし解放してくれます。力のある声に乗った言葉は、一人一人の胸に届くのでしょうか。今しばらくは、リクツではなく感情を豊かに泣いたり笑ったりしながら、復興への厳しさを共に分かち合い背負っていきたいと思います。
さて、親鸞さまは、
「浄土とは、衆生の痛みや悲しみを洗い流すために清風が吹き渡る世界であって、仏徳の宝珠がたわわに実った樹木にそのはたらきがふれると、ラ・シ・レ・ミ・ファにあたる古代中国の五音音階(「いつつの音声」)の「宮商角緻羽」が一斉になり、ちょうど笙(しょう=多くの竹笛を竪にならべて頭でまとめた楽器)のように、宮と商=ドとレという本来は和音にならない音が、むしろ調和を生み出しそれに何の不思議もない。ごく自然の存在と変じていく世界である。これは阿弥陀仏が、シャバでは互いの煩悩によって、自己を主張しあって傷つけ殺し合うような人間を、そのはたらきで清浄にして成仏させていくという「救い」を実現なさっている勲功と讃嘆せずにはおれない」
と和讃されております。
 気分は環境によって変わります。同じ体験をしたと思っていてもそれぞれの業縁によって受け止め変わり、また生活の変化によって互いが角突き合わせることともなる。現に復興を巡っても百家争鳴になりつつあります。
 こうなると「シャバの音楽」では手におえない状況も生まれます。しかし、阿弥陀様はそのようなことはとっくにご存じでありますから、本来和すはずがないものをちゃんと和していく世界を実現なさり、しかもそのはたらきはこのシャバに実現されてある。南無阿弥陀仏に帰するというのはその浄土の音楽に身を委ねて、ちがったものがそのまま和していく道をいただくこと。共に歩ませていただきましょう。


行事予定
○常例法座    十二日(木)午後二時〜 ご讃嘆  武田達城師(大阪・千里寺)
○宗祖降誕会 二十一日(土)午後二時〜  じゅげむ      住職・釋慶典
○お朝事(毎土曜日) 七日・十四日・二十一日・二十八日 
                         午前七時半〜八時半


☆帝塚山音楽祭 五月二十八日(土)わたなべゆう コンサート
    ①午後四時〜五時   ②午後六時〜七時     
 他会場も含めて、一日通し券 前売二五〇〇円 当日三〇〇〇円
 
★壽光寺門信徒永代経(無量寿会)法要 
 ○六月十二日(日)午後二時〜      足利孝之師(本山布教使)

 
 
 

四月の行事

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(やなせなな師 つい先日読売TVで特集された「歌う尼さん」8月来寺)
新年度入り。
 
地方選スタート。
 
新学期。
 
いろいろあってもお念仏!
 


今月の法語 
「たとひ大千世界に みてらん火をも すぎゆきて 佛の御名をきく人は ながく不退にかなふなり」(浄土和讃)
 
未曾有の大地震であった。三月十一日午後二時四十六分、壽光寺も波打つように大きく揺れた。震度4か?5か? ただ、縦揺れがなかったので遠方が震源とわかったが、それでこれぐらい揺れるとは「東海地震であろうか」とテレビのスイッチを入れる。写ったのは東北・三陸海岸の地震の様子であった。また、いち早く気象庁が「大津波警報」を出し、これまた初体験のこと。これは大変なことになるなあという予感がした。
そのあとは皆さんも映像でご覧になられたよう、まるでCGで描かれた映画のような場面が次々と映された。10mを超える大津波。翌十二日の常例法座前には、土台を残して跡形もなくなった「陸前高田」や「仙台市沿岸部」などがヘリコプターから取材されて。常例参加の門徒さまからは「戦後すぐ大空襲をあびた風景と重なりました」という声も聞かれた。
阪神大震災の経験から、住職もすぐにメールをとばしネットで検索して、次を考える。その中で飛び込んできたのが原子力発電所危機のニュースであった。日がたつにつれて避難地域が広がり、この原稿を書いている今でもまだまだ予断は許されない。東電職員・作業員、自衛隊、警察、消防、さらには米軍と、被曝の危険に身をおきつつ多くの方々が、緊急の事態に立ち向かっておられる。
それも含めて何ができるかということで、地図をくって岩手・宮城・福島・茨城の沿岸自治体をピックアップ。メディアには「報道されるのは目に見えて激しい被害のところばかりにあると予想されるが、これらの自治体をきちんと報道してほしい」「可能であるなら同一地域に集中せずこの国難とも言える事態において、たとえば民放各社で地域割をして取材に入るなど、二次災害の防止と避難された方々の支援になるような報道をしてほしい」と要望した。
四月に入れば新学期。まだまだ行方不明者の捜索や遺体の収監に力を注がなくてはいかにのであろうが、避難者家族のうちの学生たちは「学業」の心配もある。ホームステイで最低一年は文字通り家族として受け入れて共に暮らすことも大きな被害のなかった私たちのできることでもあろう。大阪府ではさっそく受け入れ募集を始めている。
 
 大無量寿経でのお釈迦様による弥勒菩薩へのお示しを受けた、曇鸞大師の「讃阿弥陀偈」から親鸞さまはこの和讃をご制作になられた。
「もしこの宇宙中が大火に襲われて、ありとある存在を焼きつくそうとするそのときにも、それをじっとすぎさるまで耐えることができるかのように、南無阿弥陀仏の御名を聞く人々は必ず仏となる命を生かされていくのです」
どんな恐るるべき事態、悲劇に遇うことがあっても、あなたが絶望し命を絶とうとするほどの時でも、阿弥陀如来は名号となってあなたに届き、あなたの命を共に生き、まちがいなく仏道を歩ませると、おはたらき下さってあります。
告知 本願寺「東北地方太平洋沖地震災害義援金」募集!
2011(平成23)年3月12日(土)〜当分の間
ご協力、よろしくお願いいたします。
①郵便振替 01000―4―69957
加入者名 たすけあい募金 通信欄に「東北地震」とご記入ください


行事予定
四月十日(日)     午前十時〜 はなまつり(参加無料)
                                  ・甘茶かけ・歌・お話・人形劇団クラルテ
四月十二日()       午後二時〜 常例法座  守快信 師(滋賀・東光寺)
四月十六日(土)  午後五時〜 夜学⑲ 「正信偈」を学ぶ 濱畑恵僚師
四月二十三日()   午後二時〜 壮年会婦人会総会
                                  午後三時〜 聞法の会「大無量寿分読」ご讃嘆 住職
お朝事(七時半〜八時半) 
        二日・九日・十六日・二十三日・三十日(毎土曜)
 
 

3月の行事

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(昨今の中庭)
「それおもんみれば、信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す。真心を開闡 ( かいせん )することは、大聖(釈尊)矜哀 ( こうあい ) ( ぜん ) ( ぎょう )より顕彰 ( けんしょう )せり」(顕浄土真実教行証文類・信巻別序)

 


 週刊誌でとある宗教団体の総裁婦人と総裁の泥沼のような内輪もめの記事を見ました。その週刊誌によると、過去の霊や生霊が総裁の口から夫人を「魔」であるとし、わが子のことを口汚くののしるそうです。それは夫人への誹謗中傷であると夫人が裁判沙汰も辞さないとのこと。背景には、選挙(権力)やお金をめぐる欲と嫉妬という「貪欲」がありそこから「愚痴」と「瞋恚」があふれ出たように思えます。
 私たちの宗祖、親鸞聖人さまは「これまでの因縁によって男女関係ができたなら、それは私(観音)が玉女という女の姿となって肉体の交わりを受け、そのことを通しておまえの一生を立派に飾り臨終には極楽に引き導いて生まれさせようと、公然たる僧侶の結婚に踏み切られました。
 奥様の恵信尼さまも、「殿は阿弥陀さまの生まれかわりである」といただかれたようです。とは申せ、そこには長男善鸞さまのこともあり、波風の立たないことはありえなかったろうと思われます。なのに、なぜ先ほどのようなお言葉が残っているのでしょう。お二人は浄土真宗の元祖夫婦として、表向きにエエカッコしてそうおっしゃられたのでしょうか?
 それはどうもちがうようです。お二人が存命の時代には、あくまでも「法然さまの身教え=阿弥陀さまの本願に帰依すること」をムネとされていましたし、世間的にもお二人は無名の比丘比丘尼であらせられましたから、取り繕う必要はない。
 おそらくお二人の夫婦生活も愛憎半ば悲喜交々の日暮しであったでしょう。人間のリクツや感情でとらえれば「夫婦は他人の始まり」という言い習わしどおりであったのではないでしょうか。けれども、そんな二人を家族を丸ごと、人智を超えた仏智で包み込み摂め取ってくださる「おはたらき」に目覚めればこそ、互いを仏・菩薩と敬うことができたのではないでしょうか。われわれの知覚しうる世界の外からのおはたらきによって、同じ浄土へ迎えられ同じ仏様になっていくという未来を共有するご互いであると、知らされた夫婦であったということです。
 
 冒頭のお言葉は、
さて、考えてみると、私たちがいう「信心」はいただきものであるから、阿弥陀仏の側で選び取られた本願成就の慈悲のお心から起きている話である。こちらの側が主ではない。その信心こそが真実だと、お釈迦さまは、真実を好まず己れをたのみ貪欲愚痴瞋恚の三毒にまみれていく衆生を哀れむ心から、あらゆる優れた手立てをもって、広く説き明かされたのである」
ということ。一度しかない人生。仏説のお聞かせにあずからなければもったいないことです。

三月行事
○常例法座  十二日()午後二時〜 正信偈 ご讃嘆・石崎博
○春季讃仏会 二十日()午後二時〜三時半 観無料寿経 節談説教・住職
○彼岸寄席   同日 午後三時半〜五時 有料・詳細は別に
○門信徒総会 二十六日()午後一時〜         軽食有り 参加五〇〇円 
事前に℡で申し込んで下さい。
 
 
 
 
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