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(本山・成人式)
今月の法語
「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について、真実の教行信証あり。」
(顕浄土真実教行証文類・教巻)
「浄土の真実の教えについて、阿弥陀如来さまよりふりむけられたところを申します。この教えには、往相すなわち、私たち衆生が浄土へ往生し仏となるすがたと、還相すなわち、仏と成って迷いのこの世に還って衆生を導くすがたの、二つのたまわりものがございます。私が浄土へ往生し仏と成るというすがたについて、阿弥陀如来さまは、教・行・信・証を明らかにされておいでです」こう始まる教巻において、親鸞さまは続けてその「教行信証を明らかにされた」のが大無量寿経であるとされ、さらにその経はつづまるところ「阿弥陀如来の本願」を教えるところがその中心でさらには「南無阿弥陀仏」の名号にその本質がすべてある、とまとめれておられます。
そもそも真宗のお寺はなんのためにあるのか、税金を優遇されてまで存在する意味はどこにあるのでしょう。この「南無阿弥陀仏」の名号を称え聞きいただく、念仏の相続のためにあり、そのためには「阿弥陀仏の御本願」によって、仏と成っていく御謂れを聞き開いて、信心決定する念仏の道場としてのトポスであると考えます。この本質を失えば、お寺にいくら人が集まろうと、地域や社会からセンセイといわれる真宗僧侶だとしても、「外道」に堕します。壽光寺は、いろいろな芸能やボランティア活動、あるいは反差別運動や社会運動と関連し、「じゅげむ」を中心に様々なイベントを行います。けれどもそれは、最終、より多くの人々の「仏縁」となって、お念仏のみ教えが広まることを前提にしております。そのために、より安く使っていただくことや、地域の文化形成に貢献すること、或いは「悩みの相談室」のような場でありたいこと、等々を模索しております。
巻頭の法語にあるよう、「浄土はあの世でもなくゆっくり休むところ」ではありません。私が仏とならせていただくところです。そして、今凡夫の私から申せば、「浄土は私を仏に育て上げていくはたらきの世界で、私を通して此の世に通じている世界である」といえます。一番大切な『浄土』のイメージさえ、正確に形成されていない現状、門徒という人々が「教え」をいただけていない現状を思うにつけ、親鸞さまに申し訳なく思います。
お寺は教えのある場所。僧侶は教えをいただき語る人。あたりまえのことですが、現代社会ではそのように認定されない。帰るべき原点を、この二月の寒風に教えられる日々です。
二月行事
・定例法座 十二日(土)午後二時〜 正信偈 ご讃嘆・植木政隆 師
・夜学⑰ 十九日(土)午後五時〜 「正信偈さまを学ぶ」
濱畑慧僚師 参加五〇〇円
・聞法の会 二十六日(土)午後二時〜 法然上人八〇〇回遠忌 讃嘆・住職
★住職出講 十六日(水) 吹田・光明寺 午後七時半〜
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