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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

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メディアの終焉 

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お釈迦さま ようこそシャバへ!!!
 
2月に読売新聞がアンケートをとったそうな。数日前に記事が出ましたぞ。
 
冠婚葬祭についての、意識調査。
 
郵送自送調査で3000人対象で、73%の回答率であったと。
 
問いは「なるべく慣習やしきたりにこだわった方がいいかどうか」を聞いた。
さらに「盛大にやる方がいいか、簡素にやる方がいいか」を聞いた。
 
終わってますね。新聞。
 
何が知りたかったのか???
 
「慣習やしきたりにこだわらず、簡素に行う」という答えが出ることは、聞かなくてもあきらかでありますねえ。
 
実は知りたい(ということはアナウンスしたい)ことは、葬祭について。これだけは細かく設問してある。
 
でここからが本題
 

(a)「葬式の形式や内容は、世間体や周囲の意見に左右されがちだ」と思いますか、
   そうは思いませんか。
  答え 1.そう思う 67   2.そうは思わない 33   3.答えない  1

(b)「自分の葬式についての希望は、家族などに口頭で伝えたり、文書で残したりし
   ておくべきだ」と思いますか、そうは思いませんか。
  答え 1.そう思う 67   2.そうは思わない 32   3.答えない  1

(c)「葬式にかかる費用には不明朗な部分がある」と思いますか、そうは思いません
   か。
  答え 1.そう思う 80   2.そうは思わない 19   3.答えない 1

日経ダイヤモンドの後追いのような設問。「葬式にかかる費用〜」という前に、葬式の定義をしていない。なので、次のようなことになる。
 

Q あなたは、仮に、自分の葬式を仏教式で行うとしたら、戒名(法名、法号)は、必
  要だと思いますか、必要ないと思いますか。
 答え 1.必要だ 43    2.必要ない 56      3.答えない  1

Q あなたは、自分の葬式は、宗教色のない葬式にしてほしいと思いますか、そうは思
  いませんか。
 答え 1.そう思う 48   2.そうは思わない 50   3.答えない  1

Q 最近、通夜や告別式を行わずに、火葬だけをする「直葬(ちょくそう)」という方
  法が行われています。あなたは、こうしたやり方をどう思いますか。
 答え 1.とくに問題はない 72   2.問題だ 26   3.答えない  2

Q あなたは、「友引」の日に、葬式を行うことについて、どう思いますか。
 答え 1.絶対に避けるべきだ   16     3.かまわない 24
    2.なるべく避けた方がよい 59     4.答えない   1

で、調査結果はならべて見出しにして記事が書かれたが…。
 
解説はない。おいおい。
 
まあ、新聞というメディアが「新聞(新しい聞書き)」でなくなっているので、滅びるメディアであろうけれども。ひどいなあ。
 
「見出し」と「記事」が伝えるのは、①冠婚葬祭、特に葬祭は「簡単で無宗教でもいい」と、みんな言っていますよーということ。
 
でおまけに、②戒名はいりませんよーて。
 
いやいや、それより「直葬」に問題が無いっていうことをとりあげなきゃだめでしょう。
これは宗教部分じゃないですから。まさしく「人間死ねばゴミになる」ということが、そう考えて志向されるのか、はたまた深く考えずにうんいいよ、となっているのかは、しっかり分析せねばならないことです。
 
深く考えないで、死んだらさっさとやいてお骨にしよう、まあお墓だけはちゃんとしておいたら。というのは、唯物論ですらなくニヒリズムです。
 
ニヒリズムは、生命への期待をもたないということですから、「辛い浮世にすみあきた。さっさと自殺しましょう」という集団自殺型のカルトが流行することになります。
 
「仏教式でやるとして戒名なし」という設問もスゴいですけど。当流なら可能でしょうけれど、他宗ではできないでしょう(浄土真宗は僧侶といえども死者の行方については不可知ですから。知っておられるのは阿弥陀さまのみ)。住職といえども地獄行きという答えしか出ませんからねえ。地獄へいくために葬式するという発想もすごいですけれど。
 
また、これ読売新聞は、「葬式のBGMNIお経がライブで流れること=仏教式」という認識であることを示しているのかな?
 
天下の読売新聞が、斜陽とはいえ、結果だけのせて謦咳はなし????
 
終わったんでしょうかね。
 
 


 

真剣?ギャグ?

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ネコが昼寝しているような文章にあいました。


1.【ニューデリー=田北真樹子】不治の病を治したり、何もないところから灰や指輪などを出す「超能力」の持ち主として日本でも知られるインドの霊能者で宗教指導者のサティヤ・サイババ氏が24日、入院先の同国南部アンドラプラデシュ州プッタパルティの病院で死去した。84歳だった。サイババ氏は呼吸器などの不調から3月下旬に入院して容体が悪化、ここ数日間は危篤状態が続いていた。
(産経新聞)


これ、品のいいジョークでしょうか?
 
ヒトの死をジョークにするのはどうかと思いますが。
 
ジョークでないなら、報道文といえますか?
 
みなさんはツッコメますか?
 
それでは、nazunaのツッコミを。田北さんの文章チェック!!!
 
①「不治の病を治したり」→治ったなら「不治」じゃないじゃないか?
たとえば脳幹腫瘍で手術不能な患者の腫瘍を見事に消滅させたとして、それが全て同種の患者にいつも可能であることを医学では治験上、「治った」とします。そういう例なのか?そうではなくたまたまそういう患者を数人治してあとは死んだのなら、フツーは最初の診断の方に疑問を持ちますねえ。
 
②「何もないところから灰や指輪などを出すなど」ということは、物理法則に反します。これもフツーはそういう現象を目の当たりにしたら、「質のいいマジック」と拍手を贈るところです。など、と書いてあるのでほかにも何か出せるのか?だとすれば出せないモノは何か?興味津々です。是非、追加記事をお願いしたい。
③「超能力」「霊能力者」どうちがうのでしょう?ニューデリーの産経支局にお電話して、田北さんにご説明いただきたいのですが。能力があるかないかは客観的に測れない者も多いのであくまでも主観ですから、田北さんは、サイババにあるとしていらっしゃるのでしょう。もし本人のみの主張なら、「〜と自称していた」というでしょうねえ。
 
④。「日本で知られる」この「られる」は何でしょう?受け身?自動使役?「歌手として知られる松田聖子さん」
という使用法は、松田聖子が歌手として一定の実績があり音楽業界以外の人にも認知されているという意味ですね。この意味でしょうか?するとサイババ氏はその道の人々以外にも広く日本の大衆が「超能力者」として認定しているというのが、田北氏の認識なんですねえ?ちがうか?
 
⑤最大のツッコミどころです。「入院先の同国南部アンドラプラデシュ州プッタパルティの病院で死去した」 入院したんですね。不治の病を治した能力はどうなったのでしょう?まさかまさか「老」には通じない能力だったのでしょうか?なら、サイババ氏の超能力or霊能力は「老眼」は治せないということだったんですね。
 
 
いろいろツッコンだが。
 
 
このニュースがたとえば、


4月20日、インド宇宙研究機構(ISRO)は、南部
アンドラ・プラデシュ州スリハリコタのサティシュ・ダワン宇宙センターで国産ロケット「PSLV(極軌道打ち上げロケット)−C16」の打ち上げを実施し、搭載していた衛星を軌道に乗せることに成功した。
(インドチャンネル・http://www.indochannel.jp/index.html


というニュース、これにインドの科学技術とロシアとの関係、さらには貧困率の改善を問題にして解説をしてくださるほうがうんとニュースになると思われるが。
 
それより、サイババ????? 産経新聞、だいじょうぶですか。

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「無縁」を考える3

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(阪堺線応援シールとバッチ:無縁でない証拠!?)
 


―無縁社会というとき、「孤独死」が真っ先にもしくは中心的に語られる傾向があると感じる。しかしながら、「孤独死」は、無縁社会から生じる様々な問題の一つであって、社会全体から見た場合、無縁社会問題はより大きな広がりを持つ、というのが現時点での私の考えである。即ち、「貧困」「介護ニーズの増大」「介護負担から来る諸問題(介護者の生活苦、高齢者虐待など)」「児童虐待」「自殺」などが無縁社会において生じる(増加する)問題であり、そうした問題が増えることにより社会不安も高まるおそれがあると思っている


 
「無縁」というコトバをキーワードに語る、「報道」や「評論家」のモノ言い。もうすでに「無縁社会問題」がある、ということを前提に話が進められている。しかも、注意深く読めば、「貧困」という問題はかつてニート問題(派遣切り)でくくられていたコトバであり、「介護ニーズ」や「介護負担」さらには「高齢者問題」は、高齢化社会というキーワードで語られていた。
 
 
児童虐待問題は単親家庭問題にかかわる。さらには、自殺という問題がどうして無縁になるのか???である。
 
 
で、過去に別の切り口で問題だ問題だ、とさわいだとき、どんな答え、解決方法や想定される未来像とそこに至る方法が提示されたか、みなさん記憶にあるでしょうか?
稼いだ評論家や学者、識者は沢山いらっしゃったでしょうけれど。
 
 
結果として今、また問題にしているなら、メディアの報道には解決力はないという証明いなりますね。
 
 
マッチポンプに踊るというのはこういうことです。人々が利を求めて動くように、欲望を刺激して欲望の実現が「幸せ」であり、成功であるというイメージを広めて、商業活動を活性化して経済効率を上げて豊かになる(貨幣や財の独占)。そのための宣伝。
 
 
報道、というきれいな言葉の中に、一つの方向に人々を導く思想が隠れている。これを見抜くことを「メディア・リテラシー」といいます。
 
 
マッチの部分の①は人間観。人間はモノであり、親や家族そして自分も消費対象であるという資本主義的な思想を疑わさない。②は人生観。人生は成功するものだという断定。そもそも言ってから「成功」を示すというサギ的パターンですから。それらを援護する「幸福感」や「成功感」のばらまき。「セレブ」「選ばれた自分」「他の誰とも違う自分」という演出やイメージ、プチ整形にエステ。お気づきであろうが「女性」を消費ターゲットとした戦略である。
 
恐るべきは、左翼的・解放論的に思われる「ジェンダー」理論すら、「女性解放」と括られて、家庭から女性を抽出し、労働力(それも安価の)に動員し人間の物質化に拍車をかける方向で利用されます。
 
「食事」「子育て」「教育」「介護」という、イリイチが「シャドウ・ワーク」と定義した「無償の行為」が、イリイチの予言通りに見事に資本化されて「企業」となり、「職業」として、貨幣との交換対象となっている現在。①②の隠れたカリキュラムで、メディアによって私たちは教育されているわけです。
 
 
ポンプの部分でも商売商売。ワタミの社長は、都知事に立候補であるからねえ。それはさておき、今そのポンプ商売にかかっているのが「無縁社会」を流行させようということなのです。それによってポンプ型のビジネスチャンスを生むわけです。
 
 
もちろん。我々が選択した社会。ハムスターの回り車のごとくに、くるくると次から次へと、ありとあらゆるものを物質化し消費し続けなければならない流れが人類の在り様である。だから、欲望へのアクセルを止めよとおっしゃたのがオシャカサマであられた。それはこの車がまだ小さくしかも回転速度がゆっくりであったから可能であったのかもしれない。
 
世界市場が成立し、西洋近代と資本主義が、キリスト教亜種の「共産主義」にも勝利したと宣言するとき、ニーチェの言葉は繰り返され二度目の「神は死んだ」のである。もちろんこれは社会認識のレベルであって、実存的にはむしろ「宗教」は希求されているのでありますよ。
 
 
けれども、巻き込まれて自己を喪失する生き方と、それを主体的に選択していることに目覚めて、自己責任を引き受け(「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫(こうごう)より已来(このかた)常に没し常に流転して出離の縁あることなし」と信ず)、そうであるからこそ真実はこの流転輪廻の外にあると目覚められる。それは人類の現実、自己の在り様においては悲しみであり苦しみであり傷みである。
 
 
それをそのまま表現することを「祈り」や「懺悔」とキリスト教はいうのであるが。わが真宗はそれをそのままに生きる喜びに転じていくという位相転換をするのである。するのはもちろん私ではない。阿弥陀さまである(決定して深く、「かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受(しょうじゅ)して、疑いなく慮りなくかの願力に乗じて、定んで往生を得」と信ず)。
 
 
私たち念仏者は、そのような実存、人々の日々の日暮を根底から支えていくはたらきを受けて、あるいは回転を緩め、あるいは車を小さくしていく、ブレーキを手に入れているとも言える。
 
 
そうして「報恩」という論理、旗印でもって、「無償の行為」「シャドウ・ワークの非資本化」を達成するのである。ヒトとヒトが利害や恩義で直接つながるのではなく、浄土を介在して同じ方向に導かれるものとしてつながるという、新しい可能性をも示しているのであるけれど。
 
 
ここまで本音を書くと、ちょいと辛いですね。賢明な読者はお気づきのように、「真実信心」の道は、現代社会のトレンドを無効にする道ですから、「受け」という点では「絶望的」です。はっきっりと名前を出せば、〈創価学会〉や〈幸福の科学〉はこのトレンドを宣伝する役割を担ったからこそ大教団に育っているわけですから。
 
 
まいっか!南無阿弥陀仏。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

「無縁」を考える2

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(『法の園』明治〜昭和期の真宗法話雑誌 読む法話のハシリである)
 
問題の立て方に問題意識をもつ、これアリストテレスですね。
 
メディアが番組を作るとき、報道という意識がベースになる。今回のケースでは、葬儀をしてくれるものが無い死亡事例が3万人を超える、という事実を、より多くの人に知らせたいということでありましょう。加えて既知のことである、中高年層の自殺の増加という事実、さらには「引きこもり」が増えているという事実。これらをまとめて「無縁」という言葉でくくられた。これは人間が社会化されないという意味で使われたように思います。
 
さて、さてしかし。孤独死しようが自殺しようが引きこもろうが、とにかく衣食住があって暮らしている(いた)わけで。
 
食一つとっても、人間と自然の営みのネットワーク(縁起)の中にあることは言うまでもない。コンビニでおにぎり一つ105円払って食べれば、そこに10を超える原材料が示される。さらには合成繊維のパッケージがある。商品名等のラベルがある。商品としての「おにぎり」が製造される過程で、多くの自然物が利用されている。そして、それが商品となるために、今度は多くの人手と機械が費やされる。エネルギーも必要である。原子力発電所が建設され送電線が整備されてこそ機械は動く。さらに、商品を運搬して販売するのにも流通と販売とに、機械と人手がかかっている。等々、言い出せばきりがないなあ。
 
おにぎり一つに、言い尽くせない縁起がある。そしてそれがあなたの口に入るということは、そこにあなたが存在せねばならんわけで、宿れし業によって今ここに人間の命を生かされているからこそ、おにぎりと出会えたわけでありましょう。
 
 
いったいどこが無縁なのでしょうねえ? 事実としての「無縁」なぞない。ならば、問題は自己存在に「縁起」を見ない、あるいは実感できない、人の意識。「社会や他人や自然と私は全く関係なく生きられる、生きている」という思いこみ、『無縁』と断ずる人の意識こそが問題なのであろう。
 
 
そのような誤った思い込みを、誰がどうして育てたか?そこを議論するなら意味がある。
 
で、誰がというなら、「有縁なのに無縁とするように生きる」ことを、今問題を立てたメディア自身が進めてきた(いる)のではないかと申し上あげねばならない。
 
自身が知らない縁起によって動かされていくことがあるという真実に目をそむけて、全ては人間意識の中で把握できるという思い上がり。そういう近代意識を無反省に経済的側面を中心にして拡げた結果、縁起は単純化されてしまった。一因一果であります。
 
こういうのを、マッチポンプというのである。問題や問題やと言い立ててどうしようどうしようと騒いで、かならず誰かのせいにして、そのうち忘れるというパターン。これが日本のマスメディアの戦前戦後を通じての特徴である。
かの戦争は一億総懺悔とみんなのせいにしたな。そしてマッチポンプが大好きなのがこの私である。だから、番組が受ける。作る側だけの問題ではないなあ。こっちもおんなじである。「無縁」という言葉に踊るのは御互いである。
 
 
そこで宗祖にたずねよう。


故聖人(親鸞)の仰せには、「卯毛・羊毛のさきにゐるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずといふことなしとしるべし」と候ひき。
 またあるとき、「唯円房はわがいふことをば信ずるか」と、仰せの候ひしあひだ、「さん候ふ」と、申し候ひしかば、「さらば、いはんことたがふまじきか」と、かさねて仰せの候ひしあひだ、つつしんで領状申して候ひしかば、「たとへば、ひと千人ころしてんや、しからば往生は一定すべし」と、仰せ候ひしとき、「仰せにては候へども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしともおぼえず候ふ」と、申して候ひしかば、「さては、いかに親鸞がいふことをたがふまじきとはいふぞ」と。「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて害せざるなり。わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人・千人をころすこともあるべし」と、仰せの候ひしかば、われらがこころのよきをばよしとおもひ、悪しきことをば悪しとおもひて、願の不思議にてたすけたまふといふことをしらざることを、仰せの候ひしなり。
 
意訳) (自身についてつくづく思うであるが)うさぎや羊の細い毛のさきについているちりほどの、ほんのわずかな罪とがでも、宿業のむくいの結果でないものは一つもないと自覚せねばならんなあ」と親鸞聖人はおっしゃられた。(中略)業縁がととのはないから人を害することがないのだ。決して自分の心がよいから人を殺さないということはない。調えば百人でも千人でもころすであろう。人間とは、自分とはそもそもそうするはずの因縁がもよおせばどんなことでもする存在である。自己の善悪の意識にとらわれ、またそれで他者を裁いてばかりいることに気が付けば、この究極の矛盾、自己を滅ぼし他者を滅ぼしていく地獄の宿命から、究極的に解放されるには「阿弥陀仏の誓願」に順ずるほかはないと知られると、おっしゃったことである


 
もったいないことである。
 
NHkも番組制作の前に、大無量寿経の五悪段や教行信証の化身土巻を参照すればよかったねえ(笑)。
 
 
 
附)関心の高い人には、仏説全体の中での「化身土巻」をいただくことをお勧めします。
教行信証においては、「方便浄土化身土巻(観無量寿経・阿弥陀経)」から「教巻(大無量寿経)」という構造があります。法華一乗から生じる万行肯定、つづまると行の抽象化観念化から、現世全面肯定という堕地獄の危険性を超えられるのは念仏一行であるといただけます。
 
また、涅槃経における「悉有仏性」の問題、すなわち父殺しのアジャセは成仏できるのかという深刻な問いへの答えもここに含まれます。
 
★これらをnazuna は「平野修著作集」を通して、生前にお聴聞がかなわなかった大谷派・平野修先生から教示されました。
 
 
 
 
 

「無縁」を考える1

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:大きくなって家の王者となったトマト!
 
エジプトでフェイスブックの呼びかけから政権が倒れた。
 
この始まりのニュースをnazunahaは、「ネット」で知った。そして、ツイットはしないけれど、世界のいろいろな人の書き込みは読んでいる。読むことで、nazunaは、「読まないnazuna」とは違う展開に生きている。
 
たとえば、この話を12日のお朝事の法話の導入として話した。そこで、絶対にネットに縁のない老人に「CPで情報が瞬時に伝達されることで、その正邪や当否はともかく、一つの国の政治が変わった」ということが、伝達された。それはまた、それぞれの方の意識にはたらきかけ、nazunaの知らないところで何かを変えているのである。
 
縁起とはこういうことである。
 
 
なんでも、孤独死し身寄りのないものが沢山増えているそうな。それがどうした?と言いたい。そんなことを大上段に「無縁社会」などという頭を疑う。NHKというメディアが賞をもらって調子に乗っているそうな。島田某という似非宗教学者がさっそく商売をしているもんな。
 
 
要するにそのことは、①死体の処理に困るということ②それにともなって後始末に公共のコストがかかるということ③モノのように処理されていく「死」に対して何らかの畏れを感じている、ということではないのか?
 
 
①〜③のことは、本人以外がかかわることになるから「問題」になってきたのでしょう。なら、ちっとも「無縁」じゃないじゃないか・有縁だ。
 
 
あの戦争のときでも、孤独死はいあっぱいあった。誰が誰やらわからん黒焦げの死体や戦死通知しかない葬儀などなど。また、歴史の中では山中や海上で孤独死するものはいた。この孤独死は、世間一般の感覚で申しているのであって、看取るものがなく人知れず死すという意である。
 
 
けれども。ren'ohさんが書かれているように、大無量寿経によれば
 
人在世間愛欲之中 独生独死独去独来
 
である。人生は孤独を生きるのであって、たとえでいうならレールが一筋というイメージである。仏教であれ宗教とは、孤独をよしとするのである。親子兄弟夫婦という家族の絆などは地上の原理である。だからこそ宗祖は
 
親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。
 
と仰せになられた。これは、この娑婆の業縁を超えていく原理としての阿弥陀仏の大悲大慈に貫かれてあらせられればこその物言いである。
 


大信心はすなはちこれ仏性なり。仏性はすなはちこれ如来なり。仏性は一子地と名づく。なにをもつてのゆゑに、一子地の因縁をもつてのゆゑに、菩薩はすなはち一切衆生において平等心を得たり。一切衆生は、つひにさだめてまさに一子地を得べきがゆゑに、このゆゑに説きて一切衆生悉有仏性といふなり。一子地はすなはちこれ仏性なり。仏性はすなはちこれ如来なり
 
意訳)
真宗の信心とは仏性であり、仏性はそのまま如来である。その仏性の在り様を「一子地」というのである。菩薩は、全ての生死あるもの一つ一つをまさに「一人っ子を育てる親ごころ」のように、わけへだてなく平等にながめることができるのである。すべての衆生は、ついには必ずその位を得るから、すべての衆生にことごとく仏性があると説いたのである。この一子地は仏性であり、仏性はそのまま如来である。


 
阿弥陀仏の本願に帰依することから、感じ取られる「仏さまの世界」とは、以上のような個々の命を個々のままに包摂sていく世界であり、「もれなくすくう」はたらきの中でこそ、「真の平等性」が実現されてあるのである。
 
娑婆の縁がつきはててこその浄土往生。無縁=アジールは、世間と切れてこそであ
る。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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