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「願行一致の南無阿弥陀仏」お寺イラストより
平成23(2011)年9月28日
堺市 市長様
堺市役所健康部様
堺市立堺斎場様
「堺斎場の式場使用について」の質問状(質問2)
去る7月に、葬儀社××××を経由して当方門徒の○○家の葬儀に貴施設の式場を貸借いたしました際の質問について、多用の中にご回答いただきましたことをお礼申しあげます。しっかりと読ませていただきまた、条例も検討させていただきました。その上で、疑問点が多々ございますので、再度質問させていただきます。このたびも、ご回答いただきますよう重ねてお願いします。なお、このやりとりは前回同様、真宗僧侶有志のHPにて公開させていただくとともに、大阪教区教務所(津村別院)広報部並びに、浄土真宗本願寺派(京都・西本願寺内)に報告させていただきます。
A.前回の①で「行政の側が一方的に「告別式」と規定されるのはなぜでしょう?」とうかがいました。それについてのご回答はなく、名称の規定をしていないかのような言辞であります。しかしながら、堺市斎場条例施行細則(平成11年3月)=以下「細則」、の3条において、「式場を次の各号に掲げる目的のため使用することができる時間は、当該各号に定めるとおりとする。ただし、市長が特別の理由があると認めるときは、この限りでない。」とされて、
(1) 通夜その他これに類するもの 午後6時から午後9時まで
(2) 告別式その他これに類するもの 午前11時から午後2時までの間で市長が指定する時間
と示されてあります。これは人の死にかかわる際に執り行われる儀式は、「告別式」との規定が基本認識にあり、「その他これに類するもの」とすることで代表させている規定としか読めません。だからこそ、式場使用申請の際に「告別式と表示するか」「表示しないように申し出があった場合」とされるのではありませんか。ならば、堺市の斎場の式場は「告別式」つまりお別れに代表される、無宗教の場面を想定し、宗教儀式をハナから類するものにくくるという価値観でありませんか。そこでお尋ねします。
A-1 「細則」の「その他これに類するもの」とは具体例としてどんな式名を想定されていますか。お教えください。
A-2 斎場が掲示として「告別式」だけを掲示し、それ以外の名称は掲示しないという事実(表示しない)は、堺市が名称として「告別式」と呼ばせることを市民や使用者に強制していませんか?また、細則に「その他これに類するもの」を含めておきながら、それ以外のときは掲示しないとするのは、この細則に反しませんでしょうか。「その他これに類するものは」全て「告別式」で代表されるという見解が市の見解であるなら、これら斎場の指示や行為は理解できますが、そう理解していいのでしょうか。
A-3 さらに条例に示された、様式第1号(甲)(平12規則6・一改)「堺市立斎場使用許可申請書(死体)」における施設使用許可部分において「告別式」としか記述されていず、「その他これに類するもの」の記述スペースがありません。これは「細則」の「その他これに類するもの」を排除し結果として式の名称は「告別式」しか使用させないことになっていませんか。
A-4 民俗・慣習において使用されてきた歴史のある「葬送儀礼」「葬儀」「葬礼」という教団宗教を超えた名称を用いず、「告別式」で代表させている堺市及び市議会は、宗教を軽視しむしろ、市民国民を無宗教へとすすめる政治意図を有されていると思われますが、この点についてはいかがでしょうか。
※告別式とは、「葬送に於いて、葬儀の後、或いは葬儀の代わりに行われる式で、故人に別れを告げ、参列者・社会に挨拶をする式」「死者の霊に対し、親族や知人が最後の別れを告げる儀式」などが辞書的説明であります。いわゆる「お別れ」が告別式です。
日本で最初の告別式は、1901(明治34)年、中江兆民の死において「葬儀」がなされなかったので、青山墓地にて無宗教葬として行われたことが最初といわれます。以上のように、無宗教あるいは仏教においては誤りとされる認識(邪見)である「霊・肉」分離論を前提とした儀式が告別式です。これを宗教的に許容できるのか「キリスト教」「ユダヤ教」「イスラム教」などの一神論や神道、神仏習合的仏教です。宗教儀礼である葬儀では僧侶等の宗教者が主導するのに対し、告別式は、喪主が主導します。したがって呼称を「告別式」で代表させることに疑義を示される宗派・教団は、当流のみならず存在すると推測されます。
次に②において、「宗教に基づく儀式を行政によって禁じられたからです。これは、信教の自由を犯す行為ではありませんか?」と質問しました。これに対して市は、
1.式場ホール内等専用使用施設につきましては、御遺族様の意向に より様々な宗教により御葬儀をおこなっていただいております。
2.しかしながら火葬炉前ホール、通路等の共有部分につきまして は、他の葬儀と同事進行することもあることから、相互の影響を 考慮し読経は御遠慮いただいています。堺市立斎場条例= 以下 「条例」、(使用許可)第6条で「管理上必要があると認めると きは条件をつけることができる。」としています
(段落番号は質問者が追加)
と回答されました。
そこでさらに詳しく見解を求めます。文面から市は斎場施設を区分されていることが理解できました。そこで、お示しの「条例」を見れば「第3条 斎場に次の施設を置く。(1) 火葬場 (2) 式場 (3) 待合室 (4) 霊安室」とあります。ところが、回答には「通路等の共有部分」とあります。そこで、質問です
B-1 様式第1号(甲)(平12規則6・一改)「堺市立斎場使用許可申請書(死体)」を参照しました。その限りでは、書面に示されている「専用使用施設」とはこの使用許可の対象となる部分を意味すると思われますが、それでいいのでしょうか?火葬場とは通常火葬窯を含む建物全体を示すことと理解されます。歴史的に「火屋」と称される建物を継承しているものであるから、堺市斎場以外の多くの市では窯前での「火屋勤行」という宗教行為を含めて「使用許可」に含まれるという解釈をしています。堺市の場は、許可するのは「窯の使用」だけなのですか。それならば「火葬場」の使用ではなく、「火葬窯」のみの使用許可とすべきではないですか?名称は火葬場としながら「窯」だけを使用させるのであって、その前のスペースや通路は使用許可に入らないという解釈をされるというのは「法律行為が社会の一般的秩序または社会の一般的道徳観念に適合していなければならない」という法の一般原則に反しませんか。この点について、堺市の判断をお聞かせください。
B-2 火葬場の使用申請を許可すれば、通常は遺体を火葬する際の宗教儀式の執行も含んで許可されていると理解されることは前項で指摘しました。堺市は使用許可申請書において式場以外の読経の禁止を示していません。また、他の場所で葬儀をして火葬場のみを「専用使用許可」をされた場合は、火屋勤行用の空間に案内され勤行を妨げられた経験はありません。これを堺市は「火葬場の申請時における付帯条件」とされます。
①回答が根拠とした「条例」は「第6条 斎場を使用しようとする者は、市長の許可を受けなければならない。2 市長は、前項の許可をする場合において、管理上必要があると認めるときは、条件を付けることができる。」というのが正式な条例文言です。では同じく火葬場使用申請をしても、式場使用も申請した場合のみに生じる問題、「相互の影響を考慮し読経は御遠慮」と宗教行為を禁じないと生じる管理上の問題とはなんでしょうか。お教えください。また、それが他の手段で解決できることなく、「勤行の遠慮」のみで解決されるという根拠・理由をおきかせください。さらにそれが常時の付帯条件とされる理由を教えてください。
②上記の条例において「管理上必要と認める」のは市長であるわけですが、憲法に定められた国民の権利や政治の宗教的中立を損なう恐れがあるときは、その条件付けそのものは無効と考えます。そこでそのような事態をさけるために一方的通告ではなく市民・国民との合意の形成が必要であると当方は考えます。市議会において堺市は、この点において十分検討されたのでしょうか。
③現在、「この管理上必要があると認めるときに付ける条件」は、どのような形で、市と申請者との間で確認されているのでしょうか?
④またそれが市長と使用申請者の合意の上での確認申請許可であることは、何によって客観的に担保されておられますか。
⑤申請書についてお聞きします。見本を見る限り、死体の親族者を使用申請者として想定されておられます。では、次の空白欄は誰を想定されているのでしょう。知人、友人、法人でも申請できますか。
⑥過去において実際の使用者と使用申請者が一致しなかった例はありますか。また、申請者とは違う人物が使用した場合、式場や火葬場の使用を中止させた例はありますでしょうか。
⑦上記、⑤⑥において使用申請者本人と申請者名の一致をどのように確認されておられますか。
⑧上記③〜⑦においてこの申請許可を葬儀社が死体の親族の代行をできる根拠が「条例」及び「細則」には見当たりません。けれども、社会通念では葬儀社が手配してくれるとなっています。中には、代理申請分を葬儀費用に含む会社もございます。実際の手続きがなければ、葬儀社の架空請求になります。これは重大な問題となります。そこで確認ですが、堺市においては葬儀社の申請を認めている事実はありませんか。もしもそのような事実があるなら、それらをどの条例規則によって認められるのですか。ここだけは社会通念上の慣習にしたがって、現場の判断で許可されているのであれば、市長は形式論理上の責任者で判断は窓口職員か課にあることになります。その場合、その便宜供与の目的が収賄などの犯罪行為にならないように堺市は当該職員や課においてどのような内規や指導をなさっておられるのでしょうか。(ちなみに教職員の場合、保護者からの中元歳暮は収賄と疑われるに足る行為として、教育委員会権限で禁止あるいは辞退を勧奨されています)
以上、のべ12点にわたって、質問させていただきます。
謹白
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住職、涙チョチョ切れる
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コメント(5)
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隣接墓地からのぞむ自坊の庫裏
先日、近所の会員さんから「お話を聞いていろいろとしてほしい」との相談。
嫁になるお婆さんの実家の人が数人、こられていた。
話は、お墓をなくす、仏壇をなくす、という話。
かみあわない話が続くのだが。
長男の家族はクリスチャン。長男(といっても80歳)だけがちがう。二男は養子に出て、三男は姓はついでいるが子どもがない。仏壇を処分し家墓を処分したいということ。
nazunaの立場ではよく聞く話。しばらくは、語るにまかせる。
お釈迦様の御教えを学び生きるものなら、「墓が仏教における必須アイテムではない」ことは自明。
ところが、メディアの害(天皇制と国家神道のための意図もある)で、お墓=お寺=仏教というイメージを現代人は植えつけられている。
特にテレビ。で昨日、連れ合いが「まあ見てみ」と見せてくれたのが、NHKの「セカイでニホンGO」という番組。『シューカツ』特集で、シューカツとは終活、だそうである。
で、案の定、何宗のお坊さんかわからんが、出てきて「見る人のない人のための集合墓」の宣伝。ここで、坊さん=墓守となっている。
番組そのものは、スリランカの人やたかのてるこさんのシャープなコメントがあって、ほっとしたけれど。日本の坊さんは墓守でお墓教の人、というイメージは増幅されたまま。
最後は、墓ともだちの紹介で、生前にいっしょの墓地に埋葬される仲間の紹介でした。
番組を見ながら、言葉の通じない人を見るようで、哀しさと通り越して笑っちゃう、わが家族でした。全く理解できないのですよこれが。
①この人たちは、死ぬということをどう理解しいるのかがわからない。
②今から準備しておけば安心、というのは何の安心???
③誰かに「墓参りしてほしい」というのはどういう気持ちなのか???
④今の意識のままでその墓地の土の中に埋まっていることを望むというのは、地獄へ行きたいという願望があると、理解すればいいのか???
⑤遺体は土となっていく、ことは理解されているようだけれども、だとすれば死後のイメージをどうもっているのかが不明。
まあ、こんな感じです。
つまりこの番組の角度でいうと、大震災で死んだ人のうち遺体もない人は、どう理解されるかというと、「ひどい目にあっているかわいそうな人」のまま、ということになりませんか。石碑や石塔に執着せずに、眺めれば自然に還られた命といただけるのに、墓に執着する心を育てれば、「かわいそう」なまま。
死を恐れ、遠ざけたいばっかりに、「死」を自分の人生から切り離し、空間的にも時間的にもどこかの誰かに委ねる。その上で、そっち側で「ええようにしてほしい」ので、多少の出費は惜しまない。でも、身代全部投げ出そうという覚悟はない。
現代日本人はこんなふう。
さてさて、上記の相談は全くそういう影響化のお話。結局、自分たちがどう生きどう死ぬのかということは抜きで、「先祖や死んだ人」をええようにしてくれ!という話であった。どあつかましい話であるな。
しかしプロは思っていてもそんなことは言わないのである。
大阪でもお骨寺の一心寺というお寺があって、お骨ビジネスに精を出されて、お金持ちである。集まった浄財で、「墓に何ぼ参っても地獄へ行きまっせ」と宣伝してくれればいいのだが。で、お墓をなくしてそこに収めるという案があるが、「永代供養料が高い」そうである。
「浄土真宗から浄土宗へ改宗なさるのですか?」と聞いたら、何をいわれているかわからないという風情。でちょっと説明して、真宗ならお墓が要らない人は東西とも大谷本廟祖廟へ納めることや手次寺にある合同納骨地に収めることを言う。
すると、そうきちんと心配しているわけでもなさそう。お墓やお骨のことはめんどくさいことで、専門家の坊さんがええようにしてくれて、しかも一番お金がかからんのがええ、という話をされた。自白させたわけです。
ふーん。
「お墓やお骨のことはお経にはないので、めんどくさかったら、わからんように生ごみといっしょに捨てはってもええのとちがいますか?」「自分が尊敬・敬慕の感情があるなら、お墓詣りしはったらええやないですか。長男がとか誰が見るかとかそんなんほっといて。」「自分たちが大事にしたいと思うなら、その大事にしたいというのはどう大事にしたいのか。それはお骨を大事にしたいのか。墓標なのか。それとも、今の自分の命なのか。それもただ生きてるのではなく、人して生まれたこの命を本当に生き切っていくような生き方を求めるのか」
時間をかけて、このようなお話をした次第である。
さてさて、続いて、フジの坂元裕二オリジナル脚本「それでも生きてゆく」の最終話を見る。
とっても真宗的な設定と展開。切なく、深く、厳しいドラマ。
ここでも墓参りのシーンがあった。加害者家族と被害者家族が共に墓参りする。
和解ではなく始まり。娘を殺された大竹しのぶがいう。「謝らないでください」「私今、アキにいいました。あなたはちゃんと生きたのよって」「7年の人生を全うしたアキの冥福を祈ってください」と。
このセリフが今のテレビの限界設定なんだなあ。念仏者が宗教的フレーズを使わないでいうならと、視聴しながら以下のセリフをnazuna がシュミレート。
「謝らないでください。謝らないであなたの命を精一杯生きてください。それは加害者である息子、兄を、そのまま受け止めて生きることです。苦しいけれど悲しいけれど逃げないでください。私もまた娘を可哀そうに思い涙し、けれども娘がしっかり生きたことに学び、しっかり生きよう、まじめに生きようと思います。それが揺らいだり、そのことを忘れそうになったら、またここにお参りしましょう。」
ところが、そのあとの、瑛太と満島ひかりのスリリングなシーンの連続の果てに、二回目の被害者の娘の母となって生きます、と宣言した双葉にそのセリフが。
罪を犯したのはあなたの兄であって妹のあなたじゃない、責任ないじゃないですかと「なんであなたが背負うんですか?あなたが引き受けるいう「ヒロキ(瑛太)」に。
「まじめに生きたいんです、まじめな人でいたいんです。甘えたくないんです」
視聴率は高くなかったろうけれど、マジメなドラマでした。
最終話のタイトルは「光の方へ向かって」 nazuna が付けるなら「光に抱かれて」になるなあ。
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阪堺線:軌道部分は阪堺線の私有地。市が借りる形式で道路としている
次はクイズっぽくなる。上記の写真はヒント。
③また、告別式の名称につきましては、場内表示システムで斎場入口及び各式場に表示していますが、使用申請の際に式名について表示をしないように申し出があった場合は表示はしておりません。
④本件につきましては担当葬儀者から申し出がなかったため表示させていただきました。
以下は条例施行細則。
第3条 式場を次の各号に掲げる目的のため使用することができる時間は、当該各号に定めるとおりとする。ただし、市長が特別の理由があると認めるときは、この限りでない。
(1) 通夜その他これに類するもの 午後6時から午後9時まで
(2) 告別式その他これに類するもの 午前11時から午後2時までの間で市長が指定する時間
(中略)
第9条 使用者は、条例に定めるもののほか、次に掲げる事項を遵守しなければならない。
(1) 騒音、放歌、暴力等他人に迷惑となる行為を行わないこと。
(2) 所定の場所以外で、飲食し、又は火気(喫煙を含む。)を使用しないこと。
(3) 所定の場所以外で、しきみ、飾花等を設置しないこと。
(4) 許可なく斎場内にはり紙等をしないこと。
(5) 許可を受けた以外の施設又は付属設備を使用しないこと。
(6) その他職員から指示されたこと。
(入場者の遵守事項)
第10条 入場者は、次に掲げる事項を遵守しなければならない。
(1) 騒音、放歌、暴力等他人に迷惑となる行為を行わないこと。
(2) 所定の場所以外で、飲食し、又は火気(喫煙を含む。)を使用しないこと。
(3) 場内を不潔にしないこと。
(4) その他職員から指示されたこと。
問1)回答と条例施行細則の矛盾点をあげよ
問2)上記回答と細則を参照の上、堺市の施設において宗教儀式が禁止される理由や事態とは、どのようなことなのかを推測してあげなさい。
おもしろいねえ。堺市。政令指定都市の条例細則がこれでよく議会をとおったねえ。
細則に文字化したことで、堺市は「告別式とそれに類するもの」と宗教内容まで規定しちゃってます。「通夜」は風俗であり民俗です。同じく「葬送儀礼」の短縮化した「葬儀」「葬礼」も民俗です。
辞書的には「告別式とは葬送に於いて、葬儀の後、或いは葬儀の代わりに行われる式で、故人に別れを告げ、参列者・社会に挨拶をする式。霊肉、霊魂存在を前提とした思想、主としてキリスト教やその文化圏と霊魂の昇天を前提とした宗教に依拠する儀式。」
日本では、明治34年、中江兆民の葬儀の際に行われたのが、最初とされるので明らかにキリスト教やそれに対する国家神道の構築の際に採用された表現です。メインに対するサブではなくカウンターカルチャーはメインの裏焼きですから。文明開化←→復古神道。
創価学会&公明党さま。堺市のこの見解支持されていいのですか??
タッグを組みませんか?
蛇足ですが、「仏教は輪廻から解脱して仏(ブッダ)になる教え」です。仏教として行う儀式は死者が成仏する(した)ことを、遺族や同信のものが求めたり確認したりする儀式です。その上で同じ教えを生きて後に続いていくという「学び」や「目覚め」の場として、遺族や同信者や有縁のもののために、宗教者が設定する宗教活動です。
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本堂のお荘厳。南無阿弥陀仏の視覚的展開−さとりのヴィジュアル化である。
②の部分に移ります。
②しかしながら火葬炉前ホール、通路等の共有部分につきましては、他の葬儀と同事進行することもあることから、相互の影響を考慮し読経は御遠慮いただいています。堺市立斎場条例(使用許可)第6条で「管理上必要があると認めるときは条件をつけることができる。
」としています。
※しかしながら市道などの共有部分におきましては、他の通行者と同時に進行することもあることから、相互の影響を考慮し、スキップでの歩行をご遠慮いただいています。堺市立市道条例(通行許可)第6条で「管理上必要があると認めるときは条件をつけることができる」としています。
もうこれで十分ではないでしょうか?
2で書いたように、火葬場部分と別の機能をもった貸ホールを運営する堺市。それは自由なのです。問題はその貸ホール(つまり葬儀場)と火葬場の弁別をあいまいにした建物を設計設置しておいて、法的義務のある火葬場と社会的であるが私的な決定行為である葬儀とのつなぎ目を、行政が規制できるとしていることです。
そして実際に規制した。その理由は「管理上必要であるとき」です。この管理は通常は建物を指すはずです。先ほどのパロディでいえば、市道をどう歩くかを規制できるとするならそれは市道を管理する上で、つまり公益を守るためにのみ規制できるはずです。例えば、街中の道路をピッケルを打ち込みながら歩くとするなら、それは規制の対象になるでしょう。
では、葬儀におけるそのような行為とはなんですかと堺市に問えば、それは「読経」であるというのです。確かに読経が同時に何箇所かで行われれば、相互に影響するでしょう。それはしかし、路上ライブをする若者の歌声にも言えることです。あるいは選挙期間中の街宣車にもいえます。
しかしそれを条例でしばって権力で規制することなのかどうか。選挙期間中、「やたらうるさい」「違う候補者が同時に二台三台もまわってやかましい」と思ったり、実際そういう苦情が行政に寄せられることもあるでしょう。
しかし歴史的経過の中で、「選挙権・被選挙権の行使」が相互に影響することの問題よりも重要であるからこそ、規制の対象にならないわけです。路上ライブの若者もケンカを売る気でなければ、適切な距離を開けて場をとります。
以上のように、堺市が「読経を規制」できる根拠は全くありません。条例があったとしてもそれを適応できるとするなら、「読経は騒音である」という認識があるとしか思えません。そう理解したから、nazunaは激怒したし今も問題視しているのです。
大阪市の火葬場や他市の火葬場では「葬場勤行」を行えなかった経験はありません。では堺市のいう「相互の影響」をそれらの市はどう考えているのでしょう。
経験論で言えば、時間と距離で解決しておられます。通常、12基の火葬窯があれば、火葬場は同時刻に最大でも6つしか使用しません。つまり一つとばしです。そうして、相互の宗教儀礼が同時並行してもいいように配慮されます。まあそれでも同時に6つ重なるということは日常あまり経験しません。
私の経験では3つが最高でした。それでももちろん相互に影響します。こちらもそういうときは、常識として配慮しながら執行します。同宗派なら遠慮せずお互いにしっかり声をだしますし、ウチ、学会さん、真言さん、となると結構うるさいので、少し抑え目に発音します。
つまり、公益とは政治が権力でもって確保することでなく「公俗良序=公の秩序(社会の一般的秩序)および善良な風俗(社会の一般的道徳観念)のこと」に順じて市民は振舞うことを前提にしているわけ。
ちなみに、法律行為が社会の一般的秩序または社会の一般的道徳観念に適合していなければならないことは、法の一般原則です。、「読経は騒音である」という認識はこの原則に反しないのか。裁判するときはここを問うことになります。
堺市は、常にそういう認識ではないというかもしれない。けれども「互いに騒音に聞こえるともあることはある」のだからと、偶発的なケースを先制できるのかどうか。立ち話であったって騒音になることもある。路上ライブでも下手なヤツは騒音だし、好き嫌いで騒音になる。
たとえば、窯が20基あって、その窯が全部同時に使用されて20件の宗教儀式が窯前や通行部分で行われることを仮定して、そこで必ず紛争が起きるので、事前に規制する、という論理の「正当性」を問うことになります。
まあ常識的にいえば、そのような運営をする斎場がアホということになると思いますが。
でこの場合、一番の問題はそういうアホな運営に「従ってきた僧侶がいる」ということです。結果論として世間に読経に意味はない、真宗で言えば「前三後一」の助業(称名に至らせる働きを持つ行為)の一つである「読誦」を僧侶自身が「騒音扱い」したわけです。悲しいですね。
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韓国の葬儀には明確に「遺体の葬送」が主であることが表現されている。
お返事の分析に入ります。
①式場ホール内等専用使用施設につきましては、御遺族様の意向により様々な宗教により御葬儀をおこなっていただいております。
「斎場」とは「火葬場」である。その歴史的経過は措くとして、もともと共同体の共有地であり、墓地(埋め墓)も併設することも多い。
現在では法律によって、人の遺体は火葬することが原則となっているので、各自治体が公立で「火葬場」を建設所有する。
もちろん、わが区の「津守斎場」のように村持ちの土地を個人所有して現在では私立の「斎場」となっているところもある。
もうお気づきのように、「式場ホール」は斎場とセットの存在ではない。つまり、何らかの意図をもって、堺市が併設しているだけで、斎場とは原則、建物も使用目的も違う。「葬式をせねばならない」という法律はないからね。
ここで説明が要るのは「専用使用施設」という表現である。公的用語であろうが、「葬式専用に使うことを目的とした施設」という意味であろうか?
はたまた、ある人や団体が専有して使用することを前提とした施設、つまり専有使用を前提とした施設、ありていに言えばレンタルしてチャージをとることを目的とした施設という意味であろうか?
ただしココに「等」がついているので、式場ホールの他にも専用使用施設がある、ということになる。それは何を指すのであろう。この規定によって、意味がいろいろと変わるので、これは質問しなければならない。
次に、「御遺族様の意向により 様々な宗教により」と宣言されている。ここで明らかになるのは、式場ホールを葬儀社に貸すのではなく遺族に貸すとレンタルの主体を定めていることである。これは大変重要なポイントである。
これは確認事項となる。すなわち葬儀社が式場ホール・その他(これが不明)を借り式の準備や手配をするのではなく、市は葬儀社を相手にせず相手は遺族であると明言されたわけである。
みかけは葬儀社と堺市と見えた(斎場長のふるまいも葬儀社のふるまいも)が、それは擬制であって、契約は遺族と市の契約だということだ。
つまり、堺市斎場のホールは、誰であっても個人が「いついつに貸してくれ」という交渉をして借りられるホールであるということである。
以上の論理にたてば、「御葬儀をおこなっていただいております」という市の言い方は、①人の死に際や遺体を火葬にするまでの儀式や儀礼については、こちらはしない②遺族の方でおこなわれることは否定しない、内容形式にもかかわらない、という意味であるという2点を確認したい。
これを前提にすると、いくつかの疑問がもう生まれる。箇条書きにする。
A.ホール施設のレンタル手続きを「葬儀社」、いわゆる業者だけを相手に限定していないかどうか。
B.式自体の「呼称」について、市が電光掲示板で掲示するのは、遺族の意向を確認後でなければ契約違反あって、そのような行為、つまり遺族の意向確認がなされているのかどうか。
C.無宗教のお別れ会を含み、勤行や称名、あるいは演奏や音楽などを、専用施設について制限するとするならば、レンタル前にその確認が必要となる。そうでなければ、市の自由意思によって特定の形式以外の儀式や手続きを排除できることになる。これは明らかに信教の自由の侵害である。限定するなら予め「以下の条件に従えない場合は貸さない」としなくてはならない。
D.最後に上記のような微妙でプライベートな問題にかかわる事実について、市自身が責任を取らず、葬祭業者をクッション代わりに利用していないかどうか。これはこのホール使用にかかわる葬儀社を取材すればすぐにわかる。
お返事の②で詳しく検討しよう。
この中ではDの部分が大変重要で、優先使用やお目溢しが汚職(リベート)につながっている事実が過去にはあった。ときおり新聞に出る。つい最近は現業者に「心つけ」という習慣事態が問題にされたこともある。
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