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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

書庫住職、涙チョチョ切れる

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 親しき友のために

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讃題『噫、弘誓の強縁、多生にももうあいがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。」と(『教行信証』総序)』

ネットによって、single40さまのお祖母さまのご往生を知る御縁をいただき、しばしの御取次をいたします。ご讃題は親鸞さまの御文にて、真宗信心領解の姿をば、慶びとともに述べられたものであります。大きなお慈悲に目覚めた時に、自分を取り巻いていた全ての出来事、人生の多くの苦しみや悲しみすらもこの慶びのためにあったという目覚めを申されたのであります。


このお正月。門徒さんのおばあさまに、元旦会のご案内をしました。「『冬休み』ですから、皆がおばあさまの元へと集まられるでしょうから、孫さんを連れてお参り下さい」とお願いしましたら、「それがねえ。孫も大きくなりましてお受験ちゅうのをするそうで。習い事が多くて大変です。近頃は何かとぶっそうですから、娘のほうも息子の方もその送り迎えに追われまして、この正月里帰りは無理やというておりました」とおっしゃられました。どんなことですかとおうかがいしますと、ピアノやバレエに英会話、スイミング、習字、とあげられました。そして、いよいよの受験塾に入られたそうです。昨今はこれが常識だそうです。


ただ、心に残りましたのはそうおっしゃっているおばあさまが心なしかさみしそうであったことです。無理してあいたいといえないという事でしょうね。こういう事の背景には、最近の教育、いや社会全体に、「個性的であるべきだ」とか「強い個」を育てるというような風潮がございます。一人ひとりが自分の夢に向かっていっしょうけんめい努力し夢を実現させる、それが「人生」である、それをサポートするのが親だというお考えで、お子さんに熱心に習い事をさせられる。確かにそれも親心でしょう。


しかしこのお話の最後に、「孫は小さい時から喘息があったので、インフルエンザが流行してますし心配です」とおっしゃりさらに、「息子(44歳)は、ウチの御節の棒だらが好きでしたから贈ってやりますねん」と、台所の鍋を指して微笑まれたのが印象に残りました。


ああいくつになっても親は親やなあと思いました。私は長男でして、弟が生まれたときには入院中の母に代わって終始私をネンネコで負ぶい、あやして下さったのはおばあちゃんでした。そのとき、うとうとしながら見るとはなしに見ていた「夕日」の赤さが目を閉じますとありありと浮かびます。それと同時に祖母の背の大きさと温かさが甦ります。安心して眠っておりました。そうすると連綿と思い出が甦ります。お寺の旅行や最勝講の集いに本願寺さんや天王寺さんへのお参りに連れて行ってもらいました。


大人といっしょにいる、それだけで子どもは安心しながら活動する世界を広げられます。人間はネオテニーと申しまして「未熟児」でうまれてくるのです。ウマの赤ちゃんなどは生まれて数時間で自分の足で歩けますが、人間はそうはいきません。誰かに保護されないと死んでしまうわけです。だから、私はおばあちゃんに保護されていたなあと思います。


逃れ難きは無常なりです。「老・病・死」は遠慮会釈なく私たちを襲います。だから別れる日が参ります。私はその最後の日々の中でわずかですが祖母の世話をさせていただきました。その日々の中で、今寺務をしております後継の長女が、回らぬ口でお勤めするのを悦んで、祖母はひ孫にリンをたたかせていっしょにお勤めをしておりました。


祖母が往生して15年。今、「あなたの人生を共に生きる如来があるぞ」という阿弥陀様の行信を獲て念仏を悦ぶ長女の姿に、祖母の慈しみを感じます。と同時に、かの背中のぬくもりと膝の暖かさを想い涙がこぼれます。しかしそれは哀しみだけではなくこの上もない返しようにも返せない大きな恩徳をいただいた感激の涙でもあります。


葬儀は一人の人の遺体を葬る際の儀式です。それは別れの痛みの悼みの中から、一人ひとりの命のかけがえのなさととともに、その命に込められた仏さまの願いに気づかせて下さいます。この世で生きる私たちが「ああ、私の命にはこんな願いや思いがかけられてあったのだ」と気づくとき、死者はあの世のものではなくなります。今の私の命に存在するのです。これを浄土真宗では南無阿弥陀仏と申します。


このご縁を哀しみとともに我が命の豊かさへの目覚めのご縁とされますことを申しまして、親しき友へのお悔やみとさせていただきます。南無阿弥陀仏。

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週刊ダイヤモンドである。たびたび「葬儀」「宗教」関連の特集を組んでくれる。もちろん、経済雑誌であるから観点は、コストパフォーマンスになるのである。それにしてもこの雑誌の掲載、おそらく関東の相場であろうが、高いねえ。この半分もお布施があれば摂寺も少しは潤うのであるが(笑)


さて、われわれ「仏教」界、仏教系の新宗教があるのでしばしば「旧仏教」といわれるのだが、批判と揶揄の意味をこめて、「葬式仏教」といわれることが多い。


しかし、これも過去のシーンになりつつあるのではないか。今、葬式するまともに執行しない僧侶があるのではないかと思われる。いや、そう感じることが、またあった。


先週である。薄い縁ではあるが葬儀を依頼されて引き受けた。互助組織の葬儀社であった。まあ、びっくりするね。サービスと勘違いしているのか、めったやたら仕切りしゃべる。


通夜。打ち合わせに来た司会の女史。まず「マクラ経」「通夜式」などとのたまうので、通夜勤行と訂正する。すると臨終勤行と訂正したので、はいはいと承る。ちょっとは理解してるのかなあと思ったら大間違い。


こちらが入場する前にながながとナレーション。「永久(とわ)の別れの前に…」「別れを惜しみ…」「故人を偲ぶ…」 もう内容が支離滅裂。おわかりであろうか?


通夜は、臨終(現在では医師の判断でもう復活はしないとされた状態で死ではない)を迎えた人を寝かせて、皆で行う暇乞いの時である。皆がまだ耳が聞こえておられるとして、御恩をのべてこの世での別れの言葉とする。だから普通に布団にねかせてお棺に入れないのが常識であった。あった、というのはもう現在の日本は忘れ果てているから、この日も通夜からお棺に入っている。これは葬儀社の会場の都合なのである。

従って「故人」ではない。「故人」に生者たちができることは葬ることだけであるから、それなら「葬儀」である。ナレーターは「故人」といいつつ、一方で「別れの前に」という。なら死亡ではない。矛盾している。矛盾している上にnazunaが遺族に呼ばれて来ているという意味が、理解できていない。


通夜を通して皆がいずれ出会う問い、「人は死んだらどうなるのですか」という潜在的かつ根本的な問いに答えるように、仏法を聞きたいという要請を受けて、経典・論釈を朗読してその主旨を讃嘆するのであるよ。坊さんの前で、死生観を語るとはいい度胸であるが。



そこで、勤行後の法話で、
みなさん浄土真宗でよかったねえ。葬儀社の人は死んだらしまいや、と思うてはるから、先ほど『永久の別れ』ちゅうたはったね。お気の毒やね。ここで折角愛しいものに会えても、全部捨て果てて意味がなくなるから、さみしい人生やね」「私たちは大悲の親さまに抱かれて、皆がともに生まれていく浄土がある。そして永遠の命、ほとけさまにならせていただくことが既に決まっておるという法に遇わせてもろうたから、今の家族は永遠の家族や。いや、あんたがたと私は仏さまからみたら阿弥陀ブラザースやなあ」
「我々の頭では永遠の別れとしか思えない。阿弥陀さまの仰せは必ずこいよ・もれなく救うじゃから、いっときの別れ。さあどちらをいただくのか。己の頭で命を見るか、それとも如来の仰せに従うか正念場であります。」「さて、但馬に東井義雄という先生が…(因縁譚・略)」
と讃嘆しつつやんわり諭してみた。


さらに、帰りに大阪教区で作成した真宗儀礼の冊子を2冊プレゼントして帰ってきた。これでちっとは静かになるかなあとね。

すると、翌日こんどは、出棺の際(異安心がおこらぬようにまた、迷信に囚われぬように僧侶が立ち会う)に、わざわざ「棺蓋をする最後に私がお花を入れるから。御遺体(なきがら)への執着を断ち切るためにいるからね」と言ってるのに………。やってくれました。 

例:( )内はnazunaの無言のツッコミです。

「それでは蓋させていただきます。(わかってるって、黙ってやれ!)最後に(まだなんかあるの?)、みなさんで故人の冥福を祈りましょう(おいおい!!! お前は導師か)」


リー五世じゃないけれど、しばいたろか!ちゅうとこですね。nazunaは紳士ですから、心の中で叫びまして後で、火葬場まで付き添ったスタッフに、注意しておきましたが、どれぐらいわかったもんか(泣)。


でも、スタッフはマニュアルで動くから責めてもしかたがないのも真実。責任は坊さんにある。


高尚な教義を知っていても、棺蓋の現場に立ち会わなければ、そこで葬儀社スタッフが「葬儀社教の布教をしている」ことに気づかない。式前後のナレーションに耳を澄まさなければ、葬儀がどのような文脈で理解され語られているかも視えない。


成仏道ではないことが、なぜ仏教として世間に広がるのか。それは、葬儀という一番大事な仏縁を、僧侶がいい加減にしているからである。決して日本文化がどうとか神仏習合がどうとかではない。「現場に教学が無い」これに尽きる。トホホである。

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2月4日 鄭早苗氏の訃報が入った。肺がんであった。

彼女の履歴を記す。

大谷大学教授。専攻は古代韓国・朝鮮史。神戸大学文学部卒業後、大阪市立大学大学院文学研究科修士課程修了。主な活動として大阪府在日外国人有識者会議委員、京都女性協会理事、豊中国際交流協会理事、アジア太平洋人権情報センター評議員、 NPO法人在日コリアン高齢者支援センターサンボラム理事長、(社)大阪国際理解教育研究センター理事長

今日は通夜であったが、夜間の授業があって間に合わず、10時前に葬儀会館に訪問した。遺影とご遺体の前に法名と南無阿弥陀仏の御軸があたので、阿弥陀経を勤行してのち、生前であるとみなして行うのが通夜であるから、御礼を申してきた。

nazunaを、自身では侵略の歴史としか見られなった本願寺の歴史に対して、日朝交流の歴史や親善の歴史、さらには仏教交流の歴史に導いて下さったのは、早苗ソンセンニムである。

そのダメ押しが、1987年に共にした「韓国ツアー」であった。行き先にnazunaのリクエストを入れて下さって、慶州での仏国寺、そして伽耶山の海印寺、を訪問できたのである。

上田正昭先生、姜在彦ソンセンニム、金達寿ソンセンニム、らとともに、教員になってから日朝交流史を学ぶご縁に恵まれてたのは、たまたま6年生で担任した朝鮮人児童たちに「歴史をどう語るのか」という課題があったからである。

それは、古代から近世にかけて日本の中の朝鮮文化としてたどる道を志し、京大受験したものの失敗し、いったんは歴史への道を閉ざしたnazunaにとって、再び歴史への関心を呼び覚ますものであった。

当時、早苗ソンセンニムは大阪市大にいらっしゃった。彼女の長男を担任したご縁。さらには妹である鄭和江氏が「指紋押捺を拒否」して、外国人登録法や国籍法、さらには在日朝鮮人の法的地位や人権問題について、問題提起を行われたことにかかわり、運動の渦中にあったご縁。これらの中で、上記のような韓国ツアーが実現したのである。

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88年ソウル五輪前。戒厳令がとかれた韓国へのツアー。それは、仏教の道を学ぶことになった。海印寺の高麗大蔵経の版木。これこそ日本に輸出されて、三河版となった原典である。当時の伽耶山にはホテルはなくいわゆる宿坊で宿泊。風呂はなく水シャワーという記憶がある。また、完全な韓式の食事。茶房。伽耶山の印象は濃い。

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さらには、梵鐘や岩肌に彫られた「南無阿弥陀仏」。新羅の元暁律師のことなどなど。朝鮮浄土教と日本浄土教。同行の小中の教員をさしおいて、早苗ソンセンニムとnazunaだけが交わしえた会話の数々。真宗僧侶であることと朝鮮文化を学び在日の歴史を日朝交流史の中に位置づけていくことが一つになった瞬間は、この伽耶山の地で起きたことである。


ありていに申せば、大蔵経に感動したとき、念仏者がそのまま民族差別とたたかい在日朝鮮人を貴重なパートナーとして共に新しい日本社会を築いていく道を歩み、時には政治・社会運動家であることに何の矛盾もなくなった啓示であった。

10年に近いブランクの中で、喪主を勤める大輔氏や姉の優姫氏の成長された姿を拝し、また和江氏と旧交をあたため、立派になった彼女の息子たちとも再会できた。

早苗氏は、見目麗しき女性としてのたおやかさの中に、二世としての誇りと悲しみを湛えて、それを学問の道と市民運動の道へと展開された先達であった。64歳。病を得てのこととはいえ、早すぎるご往生であった。けれども、ここに真宗の一人の住職・僧侶をお育てになられたことは、是非とも言い置きたい。


うろ覚えの朝鮮語であるが、「チョミョソンセンニム、カムサハムニダ。シンセルル チョスムニダ。ウネヌン イッチ アンスムニダ(早苗先生、ありがとうございました。お世話になりました。先生のご恩は忘れません)」


合掌。

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(長岡京市・赤根天神社 当寺創建の地。京・西岡今里・天神堂道場「極楽寺」と文書に残る)

大病をなさって、入院されていたという、わが宗派の重鎮、梯和上が、自坊の阿倍野・廣臺寺の元旦会にご出勤なされたそうである。


梯和上には、父が在世のおりには「報恩講」講師として毎年、ご縁をたまわわった。nazunaは一番最初に「ご本願=他力本願」の御取次をいただいた善知識(仏法の師)さまである。


経典に表れる「十方の衆生」というおよびかけは、あなたを呼んでいるのですよと、平易な言葉で客観的真理と実存的真理を明示してくだされて、回心への道を開いて下された。


ご入院・手術の予定が、敗血症にもみまわれて、たいへんな病の縁を得られたのであるが、1月1日にご門徒さまの前にお姿をお見せになられたのである。


病を意識し手術して今、歎異抄の九条をなぞらえて、「やっぱり死にとうはないですなあ」と仰せになられたそうである。


成仏が目的の仏教である。そして他力門は浄土往生がイコール成仏である。ならば、いよいよの末期は、「ああ、これで苦の世界を離れて安養の浄土へ参って仏さまに生まれかわるのだ」と喜ぶべきことであるはずだ。


ところが真実は全く反対であると親鸞さまはおっしゃる。この親鸞はは浄土往生のことや成仏のことなどはちょっと疲れたり病を得ると、頭からすっとんでしまい「死ぬのとちゃうか?」と心細い気持ちになるのです、と告白なさる。


これが人間のノーミソのはたらきなのである。明日をも知れぬ翩翩流転の世界で、苦悩はつきないのに住み慣れた旧里を離れることが寂しく辛い。そして未だに知らない「安養の浄土」をいくら説いてもらっても恋しくは思わない。


これこそが自身が「煩悩のもえさかる人間である」ことの証である。名残惜しく思いつつこの世の縁が果てて、力なく淨土へ参ることになるのでしょう。つまり仏道に入らぬものであることが証明されたということである。不思議にもそういう自身であるからこそ、特別に阿弥陀如来は哀れみんされて「捨ててはおけない」と必得往生の果報を与えられたのである(過去完了)。


だから、立派な末期の態度、死ぬのがうれしいようなことであるなら、省って「煩悩がなくなったのではないか」「それなら阿弥陀さまの救済もないことになる」と心配せねばならんという、」また別の煩悩が起きてくることにもなろう。


「そむくものまで」ではなく「そむかずにはおれないものであるからこそ、如来が救いたまふ」のである。証とは縁遠いものだという実感が深まることそのものがまさしく、如来の救済の真実性とお慈悲の有難さを深めて下さるのだよ。その如来の側におまかせて、こちらが計らうことではないのだ…。


歎異抄のお言葉は時を超えて、梯和上ご自身の身に味わわれ、そのまま私のもとへとどいて下された。
尊いことであるなあ。師の思いがけない御取次に、感激の念仏をいただくことである。




歎異抄九条
一 「念仏まうしさふらへども、踊躍歓喜のこころをろそかにさふらふこと、また、いそぎ浄土へまいりたきこころのさふらはぬは、いかにとさふらふべきことにてさふらふやらん」と、まうしいれてさふらひしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことをよろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもひたまふべきなり。よろこぶべきこころををさへてよろこばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに、仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおほせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごとし。われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。また、浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんと、こころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだむまれざる安養の浄土はこひしからずさふらふこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にさふらふにこそ。なごりおしくおもへども、娑婆の縁つきて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいるべきなり。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じさふらへ。踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくさふらはんには、煩悩のなきやらんと、あやしくさふらひなまし」と云々

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今日は、寺での法事が3件。それぞれの家族と、先の仏様を思いながら、朝10時から夕方4時まで、読経と讃嘆と世間話。

中でお話ししたメインのエピソードは、おとといの月参りでのこと。


嬉しかった!感激した!のは、ご門徒さんからいただいた言葉

「ああ、今日初めて娘の命の尊さが知れました」と喜んでくださったこと



ここのお家はおばあさんが安芸門徒さんで、私の祖母とよく話しが会ってご縁を喜ばれた方。息子さん夫婦は、自営で2つのお店をやられているので、長男さん夫婦も共に仕事されて、なかなかお聴聞がかなわない。


そんななかで、東京で活躍されていた長女さんが結婚間もなく「不治の病」に倒れられた。ホームドクターによる家庭での看取りを選択され、大阪の店の二階の仏間で過ごされ、往生なさった。


それがご縁となり、お母さんとお嫁さんと私の3人で、お家の仏壇の前で、「正信偈六首引き」をいただくことが、ならいとなっている。そのあと、お正信偈の御文をご讃題にいただき、15〜20分ぐらいの御取次をする。

(まあ、ご本人が外出不能であったり、そうではなくとも家族が沢山あつまっておられるとき、ご希望のときはできる限り、御取次をする。連れ合いは「法話はでけへんわ」といいながらも、いろいろな世間話や身内のことや悩みをよく耳を傾けて聞いているようである。当寺の月参りはしたがって、1件1時間となるわけだ。長いから困るという空気のところはお勤めだけでさっさと帰るようにしているがね。)

で、一昨日。竜樹讃の「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」でお話をした。

その日の午前中のお参りの家でお話した内容から。元気自慢の80代が、ドクターから、ヘルパーさんとともにで「車椅子でないと外出してはいけない」と、言われたことへの愚痴を聞かされた。で、私は「じゃあ、もしも寝たきりになったらどうなん?」と聞いたら、「そんなんいややわ。みじめやし」とおっしゃったから思わず、「私らがそう思うのは無理ないけれど、仏さまはにうかがえばそうはご覧にならんよ」「私らが自分のモノサシで図って、自分の人生を自分でみじめにしていくのとちがうやろか」と申し上げたことであった。


これをマクラにして、じゃあ仏様はどうおっしゃるかというと、「人生が長かろうが短かろうが、みじめであろうが立派であろうが関係ない」と仰せになる。それを、少し聞きましょうとつないだ。


親鸞さまは「念仏成仏是真宗」と仰せられた。この「念仏して仏になる」というのは、普通の頭では、私が念仏をしてその結果仏に成ると理解されるだろう。けれども、当流では違うのである。


丁度先週の夜間の授業で、動詞の連用形を教えていたときにふと気づいて、「ああありがたいなあ」と思った話であるのだが。郵便局に行って、小包を出す。というとき、動作の順になるから、2つの動詞は先と後になる。

ところが、よくよく考えてみると、「小包を送る」ということが因となって、「郵便局へ行く」という行動が結果としておこされていることに、気づかれるだろうか。

しかも、先ほどの文の主語は阿弥陀様である。するとどうなるか?

阿弥陀如来は、私を仏に成らせるという意志をもったから、私に念仏せしめる。あなたがたは命を「立派」だの「可哀想」だの「みじめ」だの「良い」だの「悪い」だのと、色分けする。それが煩悩であるから仕方がない。仕方がないけれどもそこに止まるのであるならば、どんな人間も最後には、ベッドやお棺の中で〈寝たきり〉になるのであるから、「人生はみじめだ」という結末になってしまう。だからこそ、この阿弥陀はあなたのもとへと現れて、必ず仏さまに成る人生であることを知らしめんがために念仏せしめるのである。どうか衆生よ、この願いを完成させた私の心を受け取ってくれ

これが、間違いのない「命の価値観」。私のノーミソではないところから届いてあったおはたらきでありました。とお話したら、上記のお言葉をいただいたのである。


「私、ずっと娘が可哀想で可哀想で仕方がなかったんです。けれど看取りにかかわってくださったお医者様が毎回回診のあとで、(お仏壇に向かわ)娘に『仏様にしっかりお参りするんやで』とおっしゃられてたんです。なんでかわかりませんでしたけど、今日わかりました。」
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「そうですね。きっと娘さんがかわいそうであるという思いは消えないしなくなることはないでしょうね。息子を失った祖母がそうでしたからね。でも、その悲しみや痛みを癒したり消したりするのではなく、それがご縁となって出会える広大無辺のお慈悲があるんです。そのとき、ああわが子であると思うていたけれどもそうではなかった。この私に真実の命の尊さと喜びに導いてくださる仏様であったと、これからいただいいていきましょうねえ」としめくくったが、切ないことでもあった。


チンチン電車で1駅。お寺へ帰る私をお母様とお嫁様二人で、電車がくるまで待ってくださりいつまでもお見送りいただいたことも、胸に残った。あなたに会えてよかったと、別れのときに思える人生をいただけるのは奇跡であるなあと、念仏申した次第である。
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