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スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

書庫住職、涙チョチョ切れる

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誕生日

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12月5日が誕生日である。

でも、その日は組内での説教会で出座するので、翌日に晩餐ということで、近所のお店に食事・ライブに行った。

(ちなみに、5日の節は、朝から4座5座ということで、5座目はしっちゃかめっちゃかの50点であった。お恥ずかしい。これも試練じゃなあ、精進精進。)

で、お食事とライブ。わたなべゆうくんのアコースティックギターライブ。眼の前30cmでの演奏。

大好きな「踊り子の唄」や「BABY YOU」もつまった1時間半。あっという間に時がすぎ、連れ合いと二人でゆうくんのCDをお客さんに売りまくる。うちのコンサートに来て下さった、高橋さんも来店で、11月29日のソロライブの話題でもりあがる。

9時半に帰宅したら、3番目の娘が高熱。なんと新型であった!!!

救急外来でタミフルを処方してもらうが、ぜんそく持ちなのでぜんそくが出て、姉がまた近所のお医者に緊急電話で指示を仰いで、熱覚ましや薬の副作用を詳しくおせえてもらったそうな。

とほほであるが、末っ子は余計にうるさく可愛く、であるから、おろおろする。

一段落して、録画していた「感染列島」を観る。

バタバタとひとが死ぬ映画である。こういうときにチョイスミスしたと思ったが、手遅れ。妻夫木聡に壇れいとならば観てしまうのであるな。

映画の感想は★1つであったが、途中からいろいろなことを思う。なかでも、眼の前で力及ばずに死んでいく多くの人の家族の声を聞くと、胸が痛む。

三部経、げにげにしく千部よまんと候ひしことは、信蓮房の四つの歳、武蔵の国やらん、上野の国やらん、佐貫と申すところにてよみはじめて四五日ばかりありて、思ひかへしてよませたまはで、常陸へはおはしまして候ひしなり。


恵信尼公消息にある、親鸞さまの迷いの姿である。本願に帰したはずの親鸞さまが、三部経、浄土三部経4巻を千回読経なされかけたというのである。千部読経というのは、日本仏教で再々なされることであって、祈祷に近い心情がそこにある。災害を防ぐ、逃れる。長寿を願う、病を治す、等々。


息子、信蓮を連れての旅の中で、これを始めたというのだ。飢饉や噴火、地震、と想像できるがおそらくは台風水害で、被害を被り、結果としての飢餓や流行病が蔓延していたように思う。

映画の状況であるな。そういう中で、わずかな知識で旅の僧侶、しかも家族連れであるものに縋ってくる人々がいたときに、「生老病死は無常です。死ぬことや病の苦しみは取り除けません」と真理をそのまま語っても、誰も聞かない。

「何とかしてくれお坊様」と言われたときに、「何もできません、ごめんなさい。」と言えなかったろうなあ、と思われる。けれども、思いきり断ち切って途中で止められ、そこを去られたというのである。


娘がインフルエンザというだけでおろおろしてしまう。ああ、凡夫というのはそうなのだと、つくづく納得した次第。


残るは地獄、去るも地獄。この体験から、親鸞さまは「弥陀をたのめ我にまかせよ」という他力真実の信心は、「間違わざすお前を仏にする」道であることを再確認なされ、むしろ布教への決意が育てられたのではなかろうかと思う。


それにしても、上がったら下がったりの誕生日譚である。

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我が寺は、「祖霊信仰」にこめられた人の感情や想いをふまえつつ、それからジャンプして「仏教徒」と目覚めていただくために、nazuna が住職になってから、他宗でいう「棚経」を止めました。


父はさまざまなしがらみから、行われていたこの「お盆参り」を苦々しく思っていたようです。生まれた寺は興正寺派の学問僧の家柄ですから、お念仏の教義に反したり誤解されたりすることに若いころは大変な嫌悪を感じていたようです。西本願寺という大きな宗派の末寺では、「信心もないのか」と絶望したようなところもありました。熟してのちはずいぶんやわらかくなったようで、反対にええ加減すぎるくらいになっとりました。勤務していた大谷学園のご縁の方がぬきさしならずになってお寺の方はまあまあでええとよくいうてました。


そんな風に、社会にもまれて次第に世間を知り、nazunaや弟を育てるお金もいることになりますと、貧乏寺ではまとまった現金収入がある(1件につき2000〜5000円 ×100件=20万〜50万)ということの大きさななかなか捨て切れません。これは、現在でも葬儀の収入に依存している寺院の実態にも重なります。


これは、それぞれの門徒の家で「真宗理解」が十分でないからしょいうがない。「お寺や坊主が先走っても檀家に離れられるだけやで」と理由づけて現状維持にきゅうきゅうとする。


これは卵が先かニワトリが先かというタイプの議論。


で、議論するだけムダ!と、nazunaは判断したわけで。


8月12日〜16日までを「歓喜会」の期間として、お寺で法座を行い、また諸般の事情でお寺に参拝できない家での法座を行うこととしました。


さて、こうして20年近くたつと、お寺参りが定着しました。で、家族そろって「お念仏の相続」のご縁にしてくださることも増えてきたので、大人から子どもまでが感じ取ることのできる「絵本」法座を行っています。また、みんなで仏讃歌を歌いながらする法座を、合わせて5法座行っています。

絵本法座


写真は、今年の3冊。オススメです。この法座の絵本をこっそりと2学期以降に教材として、授業する教員の門徒さまもいらっしゃるようで。



13日は、アミダさまの「親心」を味わえる『ちいさな あなたへ』。

14日は、今回のメインとした『星つむぎの歌』.真実の宗教とは、「癒し」などではなく絶望を超えた果てにある「赦し」にあることを味わいました。それにしても、覚和歌子氏ってナニモノ???

15日は、終戦の日なので『おれはなにわのライオンや』で、業縁による絶望とそれを引き受けて生きる悲しみをいただきました。戦没者は私たちを仏道に導く「菩薩さま」であります。



それぞれのご法話は、アップするかもしれませんが、絵本そのものがステキですよ。

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彼女は、北海道・利尻島の昆布問屋の娘に生まれた。成長して通学のために、島を離れて、稚内、東京へと出る。商売人の娘であったから、自立心が旺盛で、おそらく好奇心も豊かな少女であったろう。


京都で学ぶことになりそのまま京都で縁あって家庭をなす。やがて、一男二女にめぐまれたが、末弟である夫が家を相続したために、家族にかかわる様々な悲喜劇の中心に座ることとなる。


たまたま、長女がお寺の息子と縁あって一緒になった。滋賀の山から出てきて京都で一代の家をなした舅が「真宗門徒」でありマメな人であったこともあって、実直な暮らしぶりと様々な「始末」の中で、堅実でつつましやかな暮らしを学び、子どもたちの成長を支えとする夫婦となられた。



孫が生まれてからは、「楽しみ」は増えて、長女などは休みのたびに「キョウトばあちゃんとこいく」と、お泊りもさせたもらった。


お寺の父が倒れ、婿が住職となり兼職になって、娘がお寺の日常を切り盛りすることになって、大阪の孫たちが京都を訪れることが無くなっていく。すると今度は、「キョウトばあちゃん」が、もともとの料理好きもあったのか、いろいろな料理やお菓子を作っては大阪まで、やって来られるようになった。中でも、シナモンの利いたアップルパイは婿のお気に入りで、「美味しい」と喜ぶと、何枚も焼いて来てくださるようにもなった。



また、ときには数分ということもあったが、「ちょっと届け物だけで」と来られて、そそくさと帰京されることもあった。義理の息子は、ついついその振る舞いに「慣れ」てしまい、丁寧なお礼をいうことも、またはるばる電車に揺られてやってきてくださるその思いの「ぬくもり」にも、十分な敬意を払うこともなく。いらっしゃったの?あれもう帰られたの?と、不義理を重ねていた。


去られて見ると、実に、不孝の息子であったと思い知る。後悔の涙禁じ得ず、である。


さらには、娘が坊守となり、娘夫婦がお寺を中心に様々な活動を計画し実行し始めると、その1つ1つに参加されるようになり、また住職の「法話」の会には、欠席なしで参加してくださった。もちろん、すくすくと成長する孫に会うこともその理由の1つであったが、やはり、慣れないお寺暮らしから自らも僧侶となって活動するようになった、愛娘を思いやってのことであったろう。


そのような有様に、「少しでもしっかりとお取次ぎせねば」と励まされ、あるいは支えられて今日の住職があることは、間違いない。


不治の病であることがわかってからも、その思いや行動はたゆまず、今度は娘の方が時折、母のもとへ馳せ参じることが増えていった。


BE.2552(2009)年7月28日 釋普念(法尼)往生す。


尽きせぬ感謝の思いの中で、合掌。

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本願寺御影堂平成大修復完成記念慶讃法要 5月22日〜26日


パンデミッツの影響で、どうなるか?と危ぶまれた法要。各地からの団体参拝が2割減という状況ではあったが、無事開催されている。

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わが寺のメンバーも昨日参拝のご縁に合わせていただいた。ご門主ご親修のもと3000人で「正信偈」を読誦。それから、ご親教をいただく。

「親鸞聖人のご真影に御帰りいただいた」
「ご真影さまに話し聞いていただく、ご相談申し上げる場所」
というフレーズに胸を熱くする。

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ご門主こそ、迷われたり悩まれたりされるとおひとりでもご真影さまにむかわれてお話をなさるのであろうなあと感慨一入である。

「迷いのままに悩みのままに救いとられていく阿弥陀様のおはたらきが、南無阿弥陀仏になられて私のもとにとどけられてある宗旨の尊さ」をお示しいただいた。わがご門主さまは、あくまで親鸞門徒として生かされていくことをお喜びになされていらっしゃる。

nazunaもその末席に連なるものであるから、それが何より有り難くうれしいのである。

立派な伽藍、文化財としての値打ち、縁儀を含む伝統的な衣体と声明作法。それらも「報恩の南無阿弥陀仏」といただいて、研究・継承・発展されるべきであるし、その伝統の重みと価値も感じる。
けれども、道俗いづれであっても同じ道を歩む仲間であるという思いが根底にあっての有り様こそ、浄土真宗の真髄であろう。

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4月2日には、阿弥陀堂での仮住まいから御帰りいただいたのであるが、読者はどう思われるのだろうか?

「笠地蔵」という民話がある。ご存じであろうか。そのお話の眼目は、「雪をかぶり埋もれていく石の地蔵さまを見て、貧しいお爺さんが気の毒である」と感じたことが、お爺さんの行動の規範になるところである。そして、笠が売れたらその金でお正月を迎えようと待っていたお婆さんもまた、そのお爺さんの行動規範に大いに賛同する。

「石の地蔵が寒がるか?」といえば、そんなんことはなかろう。唯識的にいえば「お爺さんの心がそう感じたのが事実」であって、真実ではない。しかし。

生活費をかせぐことを忘れて、「ああお可哀想に」と迷う愚かな爺さまの姿に、人の世を生かされていける暖かいお慈悲をいただくのではないか?

よく、ご讃嘆で申させていただくが、恋人の写真はモノである。モノであるが、大切にする。誰かに踏まれたり破かれたりすれば、たとえ肉親であっても腹が立つ。なのに恋も夢もさめて別れてしまうと、自分で破いて棄てることすらあるものだ。

モノを通して「はたらき」を感じることが、人間の人間たる由縁である

弥陀仏、如来さまの存在は真(まこと)である。けれど悲しいかな、われわれ凡夫にはその存在と救済のはたらきをとらえることができないのである。だから生身の親鸞さまの人生が必要であったのである。

真実がわからんお前があるから、わしが出た。阿弥陀仏がお出ましなられたのであると
====「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」 ====

ご門主と門徒。宿縁によって役割の違う生まれ合わせであっただけのこと。「釋即如」として阿弥陀様に抱かれ、常々こう仰せであった親鸞さまのみ跡を慕う、この道である!

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終了後は、皆でこの期間中にのみ開放の庭園「百華園」をめぐり、さらには国宝の唐門、金閣・銀閣と並んで「京都三閣」になる、飛雲閣を見学できた。

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申し添えれば、nazunaは、何百年の古から、大屋根の雨水を一身に受けてくれる「アマノジャク」の姿に、心ひかれ頭が下がる。新調なった御影堂の前のすりきれた石桶にも気がついていただきたいものである。

明日まで法要は続く。どうぞお参りを!!!
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伯母の往生

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昨年、便通が悪いということで入院検査手術となった伯母であった。

結果は、「大腸ガン」でそれ自体が転位であったようで、原発も不明のまま、幹部切除と、本人が嫌がったので〈人工肛門〉によらない便通の確保という手術であった。

本人は天真爛漫の人であったので「治った」と快気祝いも配り、日常生活に復帰していたのであるが、家族はドクターから「余命1〜2ヵ月」と告知されていた。

大野記念病院のN医師は、入院生活の間に患者の気性を見抜かれてか、非告知という方針をとられた。以来、普通に日暮しをしつつ、調子が悪くなると入院治療を数度繰り返したが、伯母は「ワタシの医龍」とドクターの仰せのままに生きた。

曰く、「元気のでる薬をいれましょう(抗がん剤)」「便通を確保できるように体調を管理するシールです(痛みを緩和するモルヒネシール)」等々。

家族の方が、「予防薬、といって抗がん剤を飲んでいても、ほんまに病名に気がついてないんやろか???」と首をかしげるほどに、本人は治っているというふるまいであった。

おかげさまで、一年生かされ、しかも「永代経」「報恩講」「歓喜会コンサート」「彼岸寄席」とお寺の行事はほとんど参加できたし、毎土曜の朝事にも参加できた。

往生した4月17日の翌日の朝事に参拝されて、初めて事の次第を知った同行が、まだ納棺前の伯母と対面してくださり、共にお勤めをできたことも、不思議なご縁であった。以下は、葬儀にかかわる挨拶状である。事情のある人で、帰敬式受けそびれて間に合わなかったので、家族の葬儀とし喪主は母にした。

御会葬御礼
 このたびは、壽蓮院釋妙幸の通夜葬儀にあたり、様々なご縁に依ってご参集いただき誠にありがとうございます。姉は昨年来、病縁により数度の入退院をしつつも、大野記念病院のドクター、看護師の方々のお力添えで臨終に至る道を多くの喜びをもって送らせていただきました。八十余年の娑婆暮らしは、必ずしも順風満帆とは言えませんでしたが、好きな人形制作に華道・舞踊等にいそしみつつ、生まれ育ったお寺にて如来のお慈悲に抱かれ朗らかに日々をおくり、父母・兄がはたらくお浄土へ往生いたしました。
 
「無明長夜の燈炬なり  智眼くらしとかなしむな
  生死大海の船筏なり  罪障おもしとなげかざれ」

 末の妹として、頼りの姉との別れの涙は乾くことはございませんが、親鸞聖人のおさとしのごとく、そのような愚かな者こそが目当てであるという「大悲」を、皆さまとともに味わわせていただく次第です。ここに姉に賜りました皆様方とのご縁を深く感謝し、厚く御礼を申し上げます。

都会では信心も何もくちゃくちゃな状況があるので、「門徒葬儀」というスタイルを敢えて言あげして行っているのであるが、臨終⇒仮通夜⇒納棺⇒通夜・夜伽⇒出棺葬儀⇒火屋⇒収骨⇒還骨、を宗門規定にしたがってきっちりと営ませていただいた。

そして、人がいなくなるのが嫌いなガブリエラは、中陰台の前で今日もたたずむのである…。合掌。
nazuna
nazuna
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