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やなせなな「願い」http://www.yanasenana.net/
上寺・下寺である。本寺・下寺ともいう
法事の時にお坊さんに座って貰う座布団について。
明日、祖父の一周忌があります。
その時に上寺と下寺のお坊さんがこられるんですが、座布団の色でどちらが上なのか分かりません。 紫と赤の二色あるんですが、一枚づつしかありません。 どちらの色の方が格が上になるんでしょうか? ちなみに家は浄土真宗です こういうことである。2011年のヤフー知恵袋の記事。日常の中で使われる「格が上」である。
いくらリクツをいおうと、部落問題に真摯に取り組もうと、真宗の寺院や僧侶間に経済関係を伴う上下関係が生きている。
もっとも教団は歴史的に形成されているのであり、それにはそれなりの由緒がある。
Webで公開されているものとして、『福井県史』がある。真宗王国であるから、越前国においては、中世末から戦国期にかけて、現在に至る教団構造が成立していることがわかる。
本願寺中央による一家衆制度と、地域秩序の中での「リーダー寺院(僧侶)」が、まずは地縁によって形成され、それを利用する形で本願寺血縁集団が取り込んでいくという構造である。
福井の場合は一向一揆時の支配関係や命令系統が、そのまま幕藩体制における、国役触頭(幕府や藩の法令を末寺に伝える役)や寺役触頭(本願寺との取次)に定着していく。
江戸幕藩体制が、地域秩序の整理統合には力を出すがその内実にはふみこまず、地域権力に委ねていった証左でもあるが。
また、幕藩体制のおける大名と家臣団の構造もそのまま、寺法のもちこまれ特に在家仏教教団である真宗では、類似構造を形成する。ゆえに、門主<首)の兄弟は「連枝」と呼ばれ、それらが住持する寺院は「別格本山」とされた。いわゆる中本山である。
本願寺派の場合これに、兄弟格の興正寺(蓮如期に仏光寺と別れて加入し本願寺家と兄弟相続した)下もそのまま維持されたので、地域いよっては極めて複雑な上下関係が形成された。これは明治に入って解体されるどころか、家父長制による民法制定と天皇崇拝(血縁共同体を社会の基礎とする)によって、むしろ強化されて、
いく。
水平社宣言が生まれた状況において、水平社は本願寺教団の在り様へのアンチテーゼであったことも今更ながら、明示せねばならない。
全国水平社 第二回大会宣言
一、我々に対し穢多及び特殊部落民其他の言行によつて侮辱の意志を表示したる時は徹底的糺弾をなす。
一、東西両本願寺に対する募財の拒絶断行を期す。 一、政府其他一切の侮辱的改善及び恩恵的施設の根本的改革を促す。 右の決議中にも見ゆる通り、水平運動と本願寺との関係はまた頗る注意を要する。昨年の四月十日、全国水平社は決議の結果東西両本願寺にあてゝ、「向後二十年間我等部落寺院及門信徒に対し如何なる名義による募財をも中止されたきこと」を通告した。之が募財拒絶の皮切りで、第二回大会でも之を繰り返して居る所を以て見れば、その決意の程は窺はれる。加之第二回大会の二日目には、会衆は十数丁に亙る大示威行列をなして先づ東本願寺の御弥陀堂にくり込み、満場一致左の決議をなしたのであつた。 我等水平社員は東西両本願寺開宗七百年に対する募財を拒絶す。 此決議文を東本願寺に差出して後、この大行列は更に西本願寺に向ひ、同じく之を差出し且本堂を占領した。代表達はこもぐ賽銭箱の上にのつて本願寺攻撃の演説をはじめ、中には銅貨を阿弥陀本尊に投げつける者もあつた。「偶像を破壊せよ」とは会衆一般の異口同音に叫ぶ所であつたと云ふ。 抑も本願寺は多年特殊部落に伝道を続け、多数の忠実なる信徒を有つて居り、少くとも他宗に比し著大なる勢力を此部落に布いて居る筈である。然るに何故斯くも反抗を向けらるゝのであるか。是れ両本願寺が部落民の信仰深きに乗じ従来過当な募財を要求するを常としたからであらう。部落の経済的疲弊の主なる一因は確にこの募財にあるとは、多くの人の一致する所である。孰れにしても水平運動が部落解放の第一眼目として先づ経済的改善に着目し、東西両本願寺に向つて反抗すると云ふ破格の挙に出でたのは、当今の改造思潮とその一面の基調を同うするものとして、太だ注目に値する現象と謂はねばならぬ。 猶も一つ注意すべきは、部落僧侶間に亦一種の運動の起りつゝあることである。本願寺は従来特殊部落を伝道区域としながらも、部落の僧侶即ち穢多寺の住職はとくに之を忌避し嫌悪する風があつた。之に不快の感を抱いた僧侶は、水平社に投じて本願寺の官僚的統制から免れんとした。堂斑を投げすてゝ独立せんとする黒衣同盟は斯くして起つたのである。水平運動の傍系を為すものであるが、本願寺に取つては是亦僅かに一個の脅威であらう。 (中央公論1923年4月号) さてさて。戦後、憲法・民法が変わり相続法も変わって、市場経済が拡大し都市化が進行して、血縁共同体は解体に向かったが、地縁共同体は一定の歴史性を担保しながら継続している。その中で、真宗寺院もまた、本山―末寺という上下関係を、末寺連合=本願寺教団として、本山本願寺を仰ぐという構造に変化した。
nazunaの寺院などは移転を繰り返したので、地縁が切れむしろ血縁で自庵としてお寺を維持しているのであり、都市寺院や都市開教寺院は同様であろう。
ゆえに、上寺・下寺などは歴史的遺物という意識である。しかし実態は違うのである。
実態
①葬儀。かつての下寺は、門徒の葬儀に際してはその式において、上寺の住職に導師を譲らなければならない。必然的に布施は上寺に厚くなる。それはその地域の慣習として門徒衆に定着している。
②寺院法要。報恩講や永代経など、本堂の内陣と外陣に分かれたり、或いは同じ本堂内で結衆と列衆という座る位置と作法が違う役割がある。これが固定されている。ひどいところでは、下寺のものは外陣にしか出勤させないところもあると聞く。
もちろん、内陣は仏壇の中でありそこに出勤する僧侶は浄土の衆として、仏願の生起本末を「演技する」のであって、あくまでもヴァーチャルなものをアクチャル化してリアリティを生むためのものである。そこに固定的な役割が生まれれば、その役割のける優劣を参加した門徒衆僧侶で再生産していることにもなり、真宗儀式における一味平等性の表現を自ら損なっていることになっているのだが。
③さらには、この上下関係を逸脱しようとすると当該寺院が関係性を失うという恐怖がある。寺院同士の「参り合い」という慣習である。すなわちどの寺院でも上記の内陣におけるパフォーマンスを担保しあうことを前提に、数件の寺院僧侶が互いの行事に出勤しあうという慣習である。部落差別の一つである「穢寺差別」は、nazunaの見解では三業惑乱以降に形成されると思われるが、いわゆる幕藩体制の中での五人組寺院や触頭制を逸脱して、地縁によるこの「参り合い」が成立していないことがその一つである。すなわち、部落寺院同士が遠距離ながらも参り合いの関係を形成してこの事態に対処している。
④この関係が日常化し、下寺を寺号で呼ばないという地域もある。
これらが現在どうなっているのか、詳細な論考は未見であるが、重大なことであると考える(この点については、左右田昌幸・奥本武裕・のびしょうじ各氏の論考を待ちたい)。
以上のような実態では、本寺・上寺の住職は「格が上」とイメージされる。また、女性僧侶や女性住職に対しても上記のまなざしは同様にはたらく。
これらが、運動のリクツなどを粉みじんにして、上寺の直属門徒と下寺の直属門徒に明らかな差別意識を形成する。また、それは地域によっては安定した地域秩序の名で、村と村の関係や、現在では選挙区、議員の後援会関係まで及ぶのである。
もちろん、上寺・本寺とされてきた寺院もまた、戦後の改革で一切の門徒を失った寺もあり、その意味では上記のような実態でもって、下寺の門徒を直属化していく方向でしか寺院が存立しなかったということも事実である。
現在の教区・組という組織と、歴史的生産物である上寺・下寺制が共存し、また別院制度と教区制度が「併存」しているのが、実態である。
さてこの実態をどうするか。その軸は「門徒・僧侶の信心決定」である。これを邪魔し或いは妨げる制度や仕組みは極力廃止改善する。組や教区もその対象である。
先走るけれども、教団の機能がそのように働いているか否かである。ここに全体課題と地域課題の2つを分別する必要がある。nazunaは大阪教区に多少かかわったが、あきれ果てたことに「大阪独自の課題設定」と「教団全体の課題設定」が分別されずに「運動!運動!」と観念論に終始していた。
そこで、大阪の実態を元に地域課題を考えてみたい。
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浄土真宗をカタル
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築地本願寺(洋風伽藍である)
本願寺教団は、八代目蓮如上人から拡大し、全国的展開をもつ組織となった。
実如上人、証如上人、顕如上人と時代を経て、教団は社会的認知を求めて現実的な行動をとる。おおまかにいえば、
①政権との親和的関係の構築
②教団の基礎を信者集団(講・道場)へおき、本末関係を結ぶことで、組織化する。ただし、東西本願寺分流期、江戸初期の行政村分立期以前は、惣村(郷村)という大きな地域を大寺院が支配していく方向で、荘園公領制における権門の支配を蚕食した上での経済圏の確立。
③それらを経済的軍事的な支配力とした、大名「本願寺」の形成
を3本柱として、教団は成長する。
さて、ここで、歴史的選択として、現在以外が可能であったのかどうかである。たとえば、朝廷・幕府と比叡山や東寺、興福寺・東大寺をあくまでも、「仏敵」とみなして、たたかう教団が構築できたであろうか。
nazunaの考えでは、否である。
まず、教義である誓願一仏乗では、シャバ=浄土とする、すなわち教義に基づく理想世界をシャバに構築していくという原理は見いだせない。
親鸞聖人、法然上人にさかのぼっても、縁起の中で阿弥陀仏(法身)と衆生が実存的に同一とされることで、いわゆる真実の人間として個が確立されて自由に生きうる世界は啓かれるけれども、その個がどのような政治を求め、どのような社会組織を形成するかは述べられていない。
インドの仏教教団の歴史に鑑みれば、大商人や農業資本家や国王・貴族レベルからの寄進で、教団経済は支えられていたことは明白である。そこでは、「長者」といわれる富の蓄積者や政治権力者を否定するのではなく、その富や政治権力を、真実の人間のありよう、すなわち仏法が繁栄する方向で使うことが勧められている。
みな共に仏となる浄土を目指して、阿弥陀仏に支えられて人生を生かされ臨終即往生と、仏に生まれ変わっていくことが決定すみのもの(現生正定聚)の世界としての現実は、業と縁起によってくりかえし『苦』を受ける世界であって、だからこそ永久運動としての「還相の回向」が説かれるのである。
ならば、当然のこととして教団は政治権力からの一定の独立を確保しつつ、親和的融和的方便的に政治権力といい関係を構築することに腐心すべきであろう。①は必然である。
次に、寄進の問題である。長者のパトロンが存在すれば教団は経済的には苦労しなくてもいい。しかし、規制教団が既に政治的経済的に社会の部分を占めている現実の中で、後発の教団にはそれはのぞめない。ならば、今現在成長しつつある経済力を取り込むしかない。それこそが、応仁の乱以来成長をみせた自力救済の国人層、すなわち前時代の「荘園公領」から自立して、自前で生産地を確保してきた惣村の姿であった。
ゆえに、教団は門徒信徒としてその層をとりこみつつ、それらへの教化を行うこととなる。しかしそれは、その小領主層の意向に、教団がある程度従わざるを得ないことも生み出す。
歴史的な一向一揆とは、この両者の矛盾した状況から生まれた、政治形態であり組織であった。したがって、これはやがて分裂することが必然であった。なぜなら領主層は自前での領国経営が成立していく方向で教団を利用しようとするし、教団は教義に基づく仏法領形成にかたむくからである。すなわち、教団は一味平等を説くが、門徒集団は戦闘力も含めて上意下達の支配関係を強化して、利害を中心に行動するからである。
この分裂を回避(領国にも教団にもマイナス)せずに、再びばらばらになるにまかせるには、戦国という時代がそれを許さない。それは教団人にとっても領国人にとっても、別の権力の支配を受けまた、生命の危機にさらされるということであった。たとえ教団が滅び、一向一揆が自壊しても、親鸞聖人の御教えに背かないことが第一義であるとするなら、目の間で数千数万人が殺され切り取られていくことを座視しなければならない。庇護者としての本願寺、③もまた必然であった。
もちろん、それを行うのは「悪」である。けれども、人の難儀を傍観視せずにそこに飛び込んで共にあるという「慈悲を生かされる」もののリアリティから見れば、「親鸞へかえれ」という志向は、確かにロマンチックであるが、この時代にあてはめれば空想的いや妄想的であるとしかいいようがない。また、覚如期の家産型本願寺を批判する旨もあるようであるが、中世の職が家産化していくことは社会的現象であり、覚如上人が特別な思想家であったわけでもない。
kのように、①〜③の歴史を必然とすると、必ず「ならば、教団論は無批判に成立することになる」という輩が出てこられる。しかし、そうだろうか。
そうではない。批判すべき点、すなわち現在への志向のポイントが違うと思うのである。
教団とは、教えをキープし歴史的に再生産し続けることが可能になるという意味で有効な組織である。したがって、そのための経済力は現代でも必要である。だがそれは同時に、そこで職を得て生活していくものを抱え込むということでもある。したがって、組織には理想は実現できない。有効性で判断するしかないのである。
ユーティリティの議論において、教団の在り様をとらえる。教化は教団にはできない。個々の門徒僧侶の「自信教人信」でしかない。しかし、それを支えるための基盤や拡大するために、その経済力と政治力で貢献するのである。
現在はそれそれの門徒が生活権を保障するために、また布教する自由を獲得するために武装して戦闘する必要はない。
政治の側も宗教的中立をいい、また宗教的権力を侵さない姿勢がある。ならば、今現在の教団論は、①親鸞聖人の御教えを正確にキープしつつ時代の要請にあった教化活動を行うための有効性②時代を超えていく指標となるような人間や人間関係(家族・社会)の実現を志向した「現生正定聚」の在り方を顕現する僧侶門徒が育つ有効性③多宗教や多元的な価値観をふまえた、真宗教学の再構成を可能にする有効性、という3点が視座となる。
さてそこで、組織をながめれば②の問題がある。前時代では有効であったが、今はどうかという問題。すなわち、上寺・下寺という制度<慣習)である。これをまず、教団改革の課題としなければならない。詳細は次に。
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やなせななさん&黒石淳子さん
「歌う尼さん」やなせななさん。
待望のコンサート。
病のお育てに遇われたのか。そのような縁と宿業であられたか。
真宗僧侶の生き方に、教恩寺の御住職としての職務が加わり、歌うことがそのままに人をつなぎ共に生きる新たな縁を生み出していく。
地震以来、新たな縁の中で、「負けないタオル」を歌う。作詞は宮城県亘理郡山元町にある徳本寺ご住職・早坂文明さん。作曲と歌はやなせなな。というお坊さんコンビ。
タオルもCDも1000円。彼女のHPから。 50名の聴聞衆とともに、奏でていくステージは、真宗宗歌や恩徳讃を交えて、いつしか人の業を語りまた、仏徳を讃嘆し、仏縁を喜ぶ。
終演後に飛ぶように売れていったCDは、彼女の歌声の力。
今を精一杯輝いて生きる姿に如来のおはからいを感じる。
お医者さまのお父様お母様もお越しになって。
向かいの「GENJI]で打ち上げ会食。親の前では急に子どもの顔になったななさん。
それが見れたのも嬉しい。
食事をしながら歓談。節談の話やコンサートの話などなど。
お互いに声が命。『天性の声を大事にしましょう』というと、お母様。
「わたしが作りましたんや!」 大笑い。
こうして会えて別れる。お念仏のおかげさま。
遠く離れていても、消息がなくても、念仏者は同じ仏さまに抱かれているから、つながっている。節談の仲間、音楽の仲間、落語の仲間、夜間中学の仲間。
有難い命をいただいたことである。
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(京都駅前掲示板)
4月から、親鸞さまの法要がスタートしている。
同慶の至りではあるが…。
気になる話もちらほら。
お西のお向かいには、法衣・仏具・土産店が並ぶ。
いくつかの店主さんからの聞き書き。
「みんな食べることばっかりですな」 「両手に持ちきれんぐらい、京漬物やらお食べ・八橋の土産袋を抱えて」
「本山に来たんやから、お念珠一つでも新調しよ、という思いは無いねえ」
「なかには、『今がすいててチャンス!』と、法要の時間に土産物を買いに来る人もいてびっくりします」
「金襴銀襴の打ち敷きあるでしょ、ご院さん。あれがわからんのよ。『これなに』『あんたわからんの?』『わからん』『浄土真宗はお仏壇も金やから派手やねん』『何が』『ほれ、死んだら頭につけるやつ』『へえ、こんなキンキラのをつけるの』思わず笑いました」
笑ってはいられない。
数珠を購入しようとする友達を「あんた数珠は持ってるねんからもういらんやろ」と止める一幕もあったとか。
「数珠は土産にならんで。縁起悪い」とのたもう門徒さん?もあったとか。
称名も勤行もお内仏さまのお給仕も、共同体社会が強固であれば社会の側で「相続」して下された。お寺の住職は住職でござい、とふんぞりかえっていても。
住職が先頭切って聞法に励み、お念仏の相続を仕事として門徒様とともに歩む。これを先の700回忌から今日まで目標にして「門信徒会運動」は起きたんじゃなかったっけ???
本願寺の境内で、、門徒さんと住職さんが仲良くソフトクリームの立ち食いをなさっておられたという光景もあったようで。そういうのが「同朋」であると勘違いしたままの50年なら、ご法義も「信心の社会性」も捨てて、単に俗化しただけでしょうなあ。
ご門徒である仏具店の御店主が「せめて座って食べていただきたいですなあ。ご開山さまの前やのに」と嘆いておられた。
恥ずべし傷むべしである。こういう話をしていい相手であると認めていただいているウチに、nazunaもしっかりと住職の役割を果たさねばならんことである。
「門前町というても、今回はあんまり商売にはなりませんねんなあ」というと、
「だからお客さんに思い切って言ってるの。『ご開山さまの法事に参られて、御本山に参拝されたんだから、人間ばかりでなくて、お家の仏さまにもお土産を買って帰ってあげなさいな』って」と。
いいお言葉でありますなあ。称六字。
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(5月7日 セレッソ大阪VSベガルタ仙台)
セレサポ(セレッソ・サポーター)として、また地域から全国、日本からアジア、アジアから世界へと、常に下から上、身近から身遠くへと思考を深め拡げていくことをシャバのモットーとしているnazunaは、キンチョウスタジアムに是非ともいかねばならん!とかけつけました。
もちろん仙台戦です。野球評論家にして「ベンチがアホやから」という名言で引退した、元タイガースの江本孟紀氏は、「今回の震災後の対応について、サッカー界は見事であった」とおっしゃってである。
この日試合は1−1の引き分け。仙台の突進力健在であった。瞬間の力にチームの意気を感じ、陣頭の手倉森コーチの姿にも迫力があった。タフな試合だった。
今、Jでは試合開始時に黙祷して、震災の被災者(死者生者ともに)に思いをはせ、今ここに共にある喜びをサポーター・選手・観客がかみしめる。
サッカー場はしばしば、クリスチャンにとっての祈りの場ともなる歴史がある。
nazunaは、そのことをマンUの航空機事故後のことや、フォークランド紛争後のイングランドサッカーから教えられた。また、だからこそ時にはサッカー場は戦場となり、或いは人種差別民族差別の現場となり、紛争の基にもなるのである。全てはサッカー場にあるのだ。
7日はベガルタのコールリーダーからセレサポに「今回の地震震災にかかわって、みなさんのサポートを感謝する」と直接のコメント(セレッソサポータ席にて)があり。ニッポンコールがあり。
そして、試合後にはキンチョウスタジアムの大型モニターには、ベガルタマスコットのベガッ太の中から元セレッソ元ベガルタの岡山一成(堺出身やで)が登場。
セレッソのフラッグを背にtwisted「ベガルタ仙台〜 ゴーゆくぞ仙台 俺たちとともにレディゴー」を熱唱。セレサポ・ベガサポの大合唱で試合をしめくくった。
つくづく思うたのが「依正二報」のことである。
(以下は、サンボマスター、山口隆の魂のボーカル「I loveyou&Ineedyouふくしま」
を聞いていただいてから読んでいただくとなおいい。
猪苗代湖ズ!バージョンも見ていただきたい)仏法は縁起をとく。業縁とセットでいうときもある。私たちは時間と空間を離れては存在しえない。「場」の思想である。ベガサポたちは「ユアスタ」での試合(ホーム)に被災した仙台市民全ての願いを込めて12番目の選手たらんとするだけでなく、アウェイにおいても仙台を希求する。
ヒトはその「実存」において、「場」、故郷というものが与え育てるもの(地域社会のヒトモノコト―風景・空気)を抜きにして存在しえないのだ。
ブッダになることが目標の仏教であるが、ブッダになる「場」、皆が笑いあえる場、煩悩の無い場、三毒(貪欲愚痴瞋恚)の無い場とブッダになることすなわち「心身」は切り離せないのであった。
真宗の場合、阿弥陀仏の本願の正報が「仏身」であり、依報が「浄土」である。浄土に生まれて仏となる。そして、願成就の浄土の荘厳は経典に綿密に説かれてある。
なるほど、そのような帰りたい場所、抱かれたい世界に支えられてブッダは存在する。だからこそ「浄土」は衆生には必要なのである。「浄土」を説かねばならない意味を改めて知らされたのであった。
セレッソのアンセム(聖歌・讃美歌・頌歌)は「オオッオ オーオ OSAKA、オ・オ・オ OSAKA セレッソ大阪 ララララーララ オオッオ オーオ OSAKA、オ・オ・オ OSAKA セレッソ大阪 ラララ オーサカ セレッソ(大阪!)セレッソ(大阪!)セレッソ(大阪!)セレッソ(大阪!) 」である。
なるほど。 称名報恩とは、阿弥陀仏と浄土からのアンセムである。
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