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竹内師からのお話で、はっとしたことがいくつもある。 大阪・大東市の大谷派・本伝寺の住職である、間野大雄氏はnazunaの叔父になる(父の妹の連れ合い)であるが。「天満別院史」という著書があり、史学者である叔父は、「清沢がくちゃくちゃにしてしまいよった」と嘆き、「【すねいる】はわしがせえ、いうてやらしたんや」と豪語するのだが。 その「すねいる」の功績をまず思った。3、であげたように多くの説教者のテープを採集して市販化したのは大変貴重な事業であった。竹内師の龍樹章説教はこれで記録されたのだから。 また、落語から説教まで、日本の話芸を中心に、フィールドワークと資料発掘を行った関山和夫博士の功績も言うまでもない。nazunaは学生時分に関山氏の研究フィールドにふれて、自己の研究方向に影響を受けた。記述されたものを中心に研究するというスタイルから、大学4年で「桂枝雀論」を研究誌に発表し、小学校教諭になってからは趣味であった「演劇」に本格的に取り組んだのも、「身体が語る」ということへ「芸能論」から導かれたからである。 そして、それらが全て結晶化するように、現在のnazunaの親鸞門徒としての生き方や、宗教理解を形成しているのであるから、まさに「遠く宿縁を慶べ」である。 また、東保流は「不思議の因縁には合弁しない」という約束があったという。さらに高座の位置などの解説をふまえていくと、蓮如上人が説教者(取次)の基準であることがわかる。夢の話はあるものの、基本的には教論釋の領解と味わいを中心に語るのであり、あまり極端な譬喩因縁話を説教には持ち込まない。 だから口調が「ご伝鈔」「ご文章」に基づくのであろう。 ただ、福岡徳栄寺・大野義渓の流れは譬喩因縁話に面白みと特色があり、東保流といっても演者で幅がでる。談義本や因縁譚への大衆の関心を煽りつつ法義へと誘うという意味では、「説教師見てきたようなウソをいい」という格言が示すとおりであろう。 又西田師の実演から、演者の個性も感じたし、読み物のような説教、の有り様を知った。声調の美しさも説教の大事な要素で、一声二節三男ぶりと、現代のミュージシャンに通じる要素も見つけた。 詳しくは先達の谷口幸爾師の見解をうかがいたいものであるが。 随行修行と寮での修行という2パターンが説教者養成にはあった。椿原真福寺、大阪信楽寺、西栄寺、徳栄寺、東保福専寺、亀山法因寺、内弟子修業をその2パターンで行った形跡がうかがえる。また、弟子台帳が残されているので、そこから本山―末寺という系列ではなく、法義相続、宗学共学、説教伝承、等々の理由で形成された地域寺院同士、僧侶同士のネットワーク形成が確認できる。 実にそれらこそが宗教的な現実を示すものであり、生きてはたらく「場」と「力」さらにはそれを人々がどう受け止めたかも含めて検証していくことで、教団の方向性への大いなる示唆を得られるであろう。 であるから、真宗寺院に残された「談義本」や「説教本」さらには古文書こそが、新しい教団史への書き換えを行える唯一のアイテムなのだ。 ネットにかかわる僧侶門徒さん、あなたのところに貴重な史料が眠っていませんか!?
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節談
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コメント(3)
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'''浄土真宗には「節談説教」という、お取次ぎがある。'''他力の宗旨であるから、一般の方の理解とは少し違い、「お坊さんが説教する」というコンセプトではないのです。 |


