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法蔵館である。
京都の書肆は慶長年間から元和年間(1590年代から1610年代)に、その存在が見えてくる。
菱屋・丁子屋は、中でも仏書の出版で著名である。
元和偃武、という。大坂夏の陣が終了して、秀忠政権が安定する。と同時に戦国時代は終わったのであった。
また、寛永年間にかけて、武家、禁中と公家、そして寺社と、いわゆる幕府制定の諸法度が制定され、
統一政権による統一ルールが示される。混乱から秩序へ。
仏教教団は、政治権力との距離感を確認しやすくなり、それぞれが所領や既得権を安堵されることで、自宗派の発展に心を砕くことができるようになった。
真宗でいえば、東西本願寺が競うようにして、地域の「道場」を核にした門徒集団を組織化し始める。名号や本尊など絵像を下付して僧侶や門徒集団に権威を与えてやり、門徒集団から本願寺への集賽構造を確立していく。
そうなったときに、江戸の出版ブームにつながる。安定を志向する社会において、思想的な危機は「島原の乱」であった。キリスト教イデオロギーに対して、仏教界から盛んに経論釈を、そして庶民教化としての「説教」「唱導」が展開され、儒教の側からも盛んに中国文献が引用され翻案されいわゆる「勧化本」が登場する。
また、劇的な移動が収束し人々が共同体を中心に地域に定着しだすと、地域の権利関係の中で「歴史」への関心が高まる。武家の家柄すなわち家の歴史が記述され武勲を語ることとなる。これらもまた庶民教化に拠りこまれて物語化するのである。
これらは或いは「説教記録」であったり、「説教」のネタ本であったりするが、活字化され広められることでさらに経典への関心や論釈を活発化した。真宗においても「唱導」「説教」のみならず、この出版ブームの10〜20年後に学林、すなわち教団における「正統な経論の解釈」を定め学び広げる機能が生まれるのである。
落語の祖といわれる安楽庵策伝の「醒睡笑」もこの時期に出版されている。
真宗において教団化の画期となった、蓮如時代において、正信偈六首引きが開版されていわゆる「聖教」が大衆化されたことが、その大きな力であったように。
あるいは最初の活版印刷がグーデンベルグによる「聖書」の出版目的であったように。
仏書の出版というのは、仏教の高揚とともにあるのである。
法蔵館は、丁子屋九郎右衛門から始まりの末。すなわち、西村七兵衛を当主は名乗るのである。現在、祖師750回忌を記念して真宗史料大系を出版してくださっている。有難きご縁である。
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節談
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染二さんとのコラボも4年目になった。
当寺では、彼岸会に参って続いて落語を楽しむというパターンが、春と秋の年二回あるということになりますね(笑)。もちろん、公益法人ですから、誰でも入れます。これ、案外知られていないのは、見えない『檀家制度』にしばられるように思われるからでしょうか。
先日もご近所のマンションの方がご夫婦でこられて、「将来二人きりであるから、お墓を持つのはナンセンスであるし、永代供養?をしてくれるところを探している」とのことでした。ゆっくりとお話をうかがうと、実家の末の男子で家の宗教からは自由であって、特定の宗教に帰依していないとおっしゃる。
nazunaが「戦後の日本は『お墓』教ばかりでしたものねえ」と申し上げて、イメージとしては「家族のある家なら死後に誰かが自分たちのことを供養してくれるが、誰もないから死後の保障のためにお寺が永代供養してくれればいいと考えられた」ということでしょうか?とうかがった。
そいうである感じであった。で、かいつまんで、「仏弟子となること」の意味をお伝えし、「死んでからでは仏説は聞けませんねえ」というと、奥様の方がさわやかに笑われた。
nazuna夫婦よりもおそらく10年あたり上の世代。死生観というものはもたなくてもOKであった世代でしょう。
老後の年金や保険に入るように、どこぞのお寺にお金を積んで(それもできるだけリーズナブルに)死後をまかせておく。そのときに、葬儀をしてくれるお寺と戒名や法名をちゃんとつける約束、そしてできるだけ日常はお寺や僧侶とつきあわずにすむ、という3点セット。これがトレンド。
なんとなくこういう空気を教えていただいたことである。坊守が「好きな時に来て好きな時に離れていけますよ。ゆるゆるです」と申し上げたが、お寺の役が回ってきますか?との質問もあった。
自由意思で学び自身の帰依するものとして選択していくという、主体的な生き方は、こと「宗教」に関しては、等閑視される社会であり、時代。お寺の仕事は大変である。
そんな中でのセットイベント。これが仏教入門につながりますように…。
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『報恩講』説教20席・浄信房充賢』
諸師のお導きで、年間に数回、お寺様の法座に呼んでいただくことである。nauznaは布教使ではなく「説教」者なのであるが、呼んで下さる方がいらっしゃるのである。
16日は、光明寺さま。都呂須先生のお寺である。父が10数年前に常例に寄せていただいたお寺であり、nazunaのお念仏の師のおひとり直海玄洋師の弟さまである。
(高田慈昭師から阿弥陀経、20願から18願へのお取次ぎをいただき、直海師から、二河白道のお話から二種深信の教えをうけて、「ああ、浄土真宗スッゲエ!」と感動したのであったなあ。さらには、西元宗助先生が思春期にごっつい一発を下さって)
また、教職にあられたご中兄、直海校長先生は、大同教時代にいっしょにお仕事をさせていただいた「同和教育」の先輩である。
感慨深い法座であった。もちろん、高座で二席。
西村哲夫師の高座をお借りしてなので、目の前に哲夫師がいらっしゃったから安心して語ることができた。お寺まで送っても下さった。
都呂須師、住職の孝道師、哲夫師と、「情念のお説教」について、しばし歓談する。
さて。
nazunaの今の課題は、お前座で一席ではなくこうしてメインの講師として扱っていただいた御恩に報いるために、
二席一座という組み合わせの中での「節談」。
さらには、昼・晩・昼、という最低六席セットで語る組み合わせを考えること。
祖父江佳乃師から「祖父ちゃん(省念師)は、讃題は一つでええ」と言ってたよ、という有難いお示しをいただいたので、過去の説教本と符合して。なるほど、○○説教で50題、100題としていくのはそうか!と。
で、「報恩講式文」説教で50題を持つことを目標にして、台本づくりと実演にかけている。わが寺での彼岸会説教でオリジナルを年二本作成しているので、現在十本となっている。こっちでは初めて、セリ弁も自作した。これを、式文説教に焼き直していく作業で、現在20本の説教台本ができあがっている。
問題は、一座二席の持ち方で、大阪では二日で三座とか四座が限界であり、しかもその数はマレである。二日二座が多く、常例や他の法会では一座である。
そうすると、「節談説教」は余技扱いされることにもなる。一座だけの「節談」と立ってやる講演形式の法話で一座が務まる。結局、「節談説教」台本1つであちこちと回れてしまう。
ここに、「節談説教」師が育たないもう一つの理由があることに、最近やっと気が付いた。わが寺の布教大会も一人一席でいくから、場を増やすことに貢献はするが、常時4つ5つと語れないわけで。
これは大変頭の痛い課題であります。台本作ってもお取次ぎの場がなければねえ、となってしまいます。
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「節談説教研究会」主催の布教大会が決定!!!
2000人がつめかけた「築地大会」より4年ぶり。大阪にて実施します。ふるってご参加ください。
2007年・築地大会(藤野宗城師)
(広陵兼純師)
(松島法城師)
(茂利真正師)
期日 平成23年8月3日(水)9:00〜開場
会場 本願寺津村別院
■第一会場(ホール) 【祖師聖人御一代記説教】
09:45 開会・勤行 釈 徹宗副会長
10:00 第一席 出家・学道 祖父江佳乃
10:30 第二席 信行両座 松島法城師
10:45 集 賽
11:00 第三席 信心諍論 本多龍典
11:30 第四席 桜花の別れ 藤野宗城師
12:00 昼休み (親鸞鄙伝 蕚慶典 ギター法話 小泉信了)
13:00 第五席 弁円済度上 赤松円心
13:30 第六席 同 下 茂利真正師
14:00 集 賽
14:15 第七席 一切経校合 園家信勇
14:45 第八席 御往生 廣陵兼純師
15:15 恩徳讃・閉会 釈 徹宗副会長
■第二会場(総会所)【御和讃讃仰説教】
09:45 開会・勤行 直林不退副会長
10:00 第一席 岩崎一道
10:30 第二席 茂利真正師
10:45 集 賽
11:00 第三席 井東信道
11:30 第四席 廣陵兼純師
12:00 休憩
13:00 第五席 葦原理江
13:30 第六席 藤野宗城師
14:00 集 賽
14:15 第七席 杉本光昭
14:45 第八席 松島法城師
15:15 恩徳讃・閉会 直林不退副会長
■第三会場
モニターによる第一会場の中継
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