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nazunaは、親鸞門徒であるから、中世史を文学・歴史の両面で学んだ。独学であるが(ここら少し学問履歴をふりかえる。面倒くさい人はとばして太字から読んでください)。
まず、本願寺が描く自画像や一般化された歴史知識から、逸脱した研究や論証に魅かれた。
井上鋭夫「一向一揆の研究」。初期の親鸞門徒やそれを抱合する「一向衆」「念仏聖」のルーツに「ワタリ・タイシ」という、渡し守・杣人に代表される「川の民・山の民」を描き出した。その方法には実証的であるとは言い難い側面もあり、賛否両論のものであった。
しかし、近代や江戸社会という枠組みからのぞくのではなく、あくまでも当時の実態に迫るという迫力を感じたし、何よりも親鸞伝説が伝説ではなく、史実を含んでいるという直観と一致するものであったことに、強い影響を受けた。
歴史学界では60年代において、荘園研究と階級史観による南北朝革命説の是非等が議論の中心で、およそ素人が関心をもてるものではなかった。
しかし、「無縁・公界・楽」をひっさげて網野善彦が登場し、天皇という制度をそれを支える側から描き出して、後年「天皇神秘主義」といわれる、非農業民の世界を歴史の中心にしたことで激震が起こった。
また、同時期に河田光夫に出会い、彼が今宮工業夜間で働く教員でありつつ、中世被差別民研究、親鸞研究を重ねて著述された論文群(のちに明石書店から著作集としてまとまる)に圧倒された。
百姓=農民、というステレオタイプが打破され、脇田夫妻による実証的な中世研究、さらにはこれも敬愛する丹生谷哲一の「検非違使」「非人論」、五味文彦の絵巻物研究、五来重による宗教民俗学。
これらを広く追跡するの中で、石母田正という中世研究の大御所を知り、さらにそれを克服すべく実証的に奮闘し、ついには中世宗教の主流は「鎌倉仏教ではない」ことを明らかにした黒田俊雄を知る。
また教員としてだけではなく自らのルーツとして或いは教団史として「被差別部落の歴史」にかかわり、近世・近代と範囲を広げてきた。それがまた、寺院史や真宗理解に深い影響を与えてくれている。
さて、それらの中で大山喬平をまとまった形で学ぶことがなかったのであるが、このたびまとまった著作に触れられたのが題である。
「大地と海原における自由な生活の本源的ひろがり=無縁の保障が、天皇」!?
先日、産経新聞の正論欄で知ってびっくりしたのだが、「雅子妃の苦痛が宮中祭祀にあるのならそれは辞めたらいい」という学者がいらっしゃるそうだ。網野善彦がいたらどうコメントするか、宗教学者、チベット通の中沢新一にでも(網野の甥であり尊敬している)聞いてみたい。
nazunaは腰を抜かしたね。天皇制を守ろうという人々が「天皇の本質である祭祀を廃止する」と提案するのであるから。彼らの頭が現行制度上の「天皇」という無理をふくんだ制度固執にある以上、仕方がないのかもしれんが、本居宣長がいたら私と同じように腰を抜かしただろうな。
太字は網野の天皇論であるが、私はこれは正しいと受け止めている。ただしもう少し宗教的に。
お説教の導入でもよく話すが、現在でも人口1億以上の国で人口密度が高いという点で、日本は抜きんでている。もちろん上位にはインド・バングラデシュがあるが、かの国が階層社会で極端な富の集中のある社会であることをふまえれば、日本は別格である。
なぜか。それは歴史的に形成され後天的にカテゴライズされた「民族の優秀性」などでは全くなく、自然条件の恵みである。中でも水である。山地と海との間が狭く水がよけいなものを吸収しないで流れる。また島であるゆえに海という防衛ラインがある。兇暴な権力に対してワンクッションおけるのだ。「日本人は水と安全はタダだと思っている」と揶揄される。
明治期の世界的な民族学勃興期のおかげで今日では「差別的」「偏見に基づく」と調査不可能な実態調査がなされて、日本列島には南からと北から流れ込んできたグループが大きく3時代に分けて存在し、それらが相互にとけあっていることがわかっている。
「南方系」「北方系」「旧石器」「新石器」「縄文系」「弥生系」と形容される。これらがグループ間での多少の闘争があっても、ベーダやベーオウルフさらには「春秋・戦国」に見られるような殺戮合戦にいたらず、融和しあるいは住み分けて、島全体を支配するような中央集権的な権力の必要がなかったことが特質である。
それも、自然のよる食物相の豊かさなによる。食えるから争わない。そのような自然が主体である祭祀、それを集積したのが「天皇制」の基底にあると読む。このブログで繰り返し、祭祀権=天皇存在とする理由である(続)。
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