|
戦前の北御堂 我々夫婦は主として、「人形劇」の役者であり、台本作家であり演出家であり音響・照明など、舞台芸術は全て貪欲に学んだ。こn間、京都人形劇サークル連合「汽車」と人形劇団京芸や劇団京芸のプロたちに大変お世話になった。連れ合いは、京芸の座員たるべく研究生として劇団かよい。
私の方はというと。
学内やサークル内では主として「科学的社会主義」を標榜する青年グループが自治会を牛耳り、ドグマをふりかざして自己に懐疑的な青年を一定ひきつけていたが、私たちは「ホモ・ルーデンス」ホイジンガの読み合わせや、カイヨワの「遊びと人間」を先行知見として、実感(情感と納得)のともなわない「社会行動・政治行動」への批判点としていた。
さらに、フロイド的ドグマから自由になりたくて「心理学」から決別し、カイヨワ→バタイユ→バシュトゥールとすすみ、言語学的なフィクション論に強い関心をもち、ソシュール言語学から歴史記述と隠喩(メタファー)をフィールドとするようになり、物語全体がメタファーと意識される「ファンタジー」文学を追求する。
「指輪物語」、「ナルニア国」シリーズ、「小人」シリーズ、「邪龍ウロボロス」、「ゲド戦記」、「グイン・サーガ」シリーズと、SFからサディズムやフェティシズムまで渉猟する。少女マンガ批評も、萩尾望都や山岸涼子に大島弓子や竹宮恵子が登場したから向かったフィールドであった。
これらが、「騙り」=「語り」芸への関心へと収束していくわけであるが、いづれにせよ仮想現実を共有することで、人が自己の現実を知らないうちに客観視でき、同一の空間で再生していくことで「仲間意識」が生まれること、それが道場としてのお寺の本質だと知った。
そこで、①地域文化の収束点ーコンサートや講談落語浪曲に謡や民謡の練習や発表お場づくりをする②真宗の「おみのり」を衒わず、また歴史経過に縛られず、きちんと「仏教」として説く―先祖崇拝や葬式仏教をべーずとするもそこから羽ばたいていく方向で③実践が大事だから、週一回土曜法座をする。そこでお勤めをしながら、聖人ご和讃を一首一首ずつ味わっていく、という方針で地域や檀家に臨むことととした。
|
お寺のくらし
-
詳細
お寺の日常を綴ります。外から見た認識とのずれが、おもしろいかも?
コメント(0)
|
とだえていた「はなまつり」を復活した。はじめは夫婦劇団でパペットショーを数年。それから、児童演劇書評を書いていたご縁で、人形劇団クラルテに協力をお願いした。 「月二回の寄合(法座)」が原則で、常例講師は外部から招請。父が所属していた「仏と人」同人、「無名会」のメンバーさんを中心に出講していただいていた。永代経は、祖母の従弟の西王地壽眞師から、足利孝之師へ。報恩講は、梯實圓師から、師が勧学となられたので、天岸浄圓師へ。そして天岸師も多用となって、貴島信行師となった。
もう一回の法座は「婦人会」法座であったが、思い切って「聞法の会」としてこちらも誰でも参加できるようにした。正信偈・三部経を讃題にして法話する。前後席の呼吸を学び始めた。同時に、住職たるもの「祖師聖人のお伝記ぐらいは、諳んじて語れるようにならなければいけない」と感じた。これは、歴代住職とは、『報恩講の夜に「御伝鈔」を上下巻、拝読できなければならない』という口伝からでもある。当面は私が前半、父が後半と分担して学習したが、やがて一人語りとなる。
御伝記の学習中に、祖父江省念師「口伝の親鸞」と出会い、うちのめされて完全コピーをする。そこから、小沢昭一氏の仕事とつながり「節談説教」と出遇っていくのである。さらにはその台本たる、「説教本」が存在することを知り、収集と分析を始める。机を積んで高座にして、報恩講の朝一座を「高座説教」し始める。96,97年あたりだろうか?
また、お盆に各家庭へ棚経にいくということをすぐに辞めた。お寺で法座を12、13、14、15日開催するので、お寺へ参ってほしいと訴えた。家族参りを意識して「絵本法座」を開始、「Guitarー弾き語りの歌法話」も開始して、15日のご満座を「第二次世界大戦総戦没者追悼法要」として、7座をもった。
この二つには相当反発があった。「お参りに来るのがめんどくさくなったやろ」「婦人会メンバーの法座にいろんな人が入ってくるのは、いや」とベテランの同行や檀家から反発された。
もちろんご家庭に集金にうかがえば、収入は増える。けれども、13歳からこのお参りをずーっとやってきた結果、完全に「真宗教義ではないところへ檀家を連れて行っている」と判断したからである。
そこから、直球勝負でずっとやってきた。といっても、学校では新しい教育課程のデザインや導入されたばかりの「ゆとりの時間」「総合的な学習」そして、市の組織幹部として「部落解放教育」を中心として、「解放と自己実現」を目指す教育を創造していく責任を負っていたから、
寺務や平日の常例はできない。全て愛しき連れ合いの坊守が受けて支えていただいた。子どもたちは、8歳、6歳、4歳。ここから20歳を越えるまで、この親爺は「子どもをきちんと見ていない」のである。
忙中閑ありであったはずだが、子どもの担任を評価することになってしまうので、成績を褒めたり励ましたりを遠慮し、深夜に連れ合いから情報を聞くだけであった。
可哀想な娘たちであったが、走り続けている以上止められないプロジェクトがいっぱい。しかも別途、民族学級の立ち上げや外国人教育のオリジナルカリキュラムや教材集を作成していたし。
といううわけで、理想のお寺づくりは 2003年に小学校を退職してからスタートすることとなった。(続) |
|
「愚か者」さんという方から、記事に書き込みをいただいた。
夜は非常勤で非識字者、義務教育未修了者のための「夜間中学」で講師をしていますので。お返事を今書いています。
さて、直截な書き込みなので、改めて今の「ジュコウジ」の取り組みを見直す御縁となったことを、感謝しておきます。こういう書き込みでなかったら、レスしようということもなかったかもしれませんので。
さて、マンション僧侶の記事は、書かれていない前提がありました。
それは、実態として大阪府内で「浄土真宗」を看板にして、いわゆる儀式だけを行い、浄土真宗のみおしえや儀礼のありかたを伝えないお寺、僧侶が活動していることです。
また、きちんとしたお寺であり、教師資格をもった僧侶でありながら、通夜布教や還骨で法話をしなかったり、門徒宅での法事においても、読経はするが法話をしないという例が確実にあることでした。
もちろん、「前三」といいます、獲信前の礼拝も観察も読誦(読経)も、「後一」といわれる獲信後の「仏法讃嘆」も、全て浄土真宗における正定業である「称名念仏」のための助けであります。
しかし、そのお念仏を門徒さんのみならず縁あって参集される方がたのお口にかけていただくことを、ひたすら勧めるという真宗僧侶<念仏者>の本分を見失ったお寺や僧侶が「ある」ことを、受け止めて私やウチの寺族は「道場」としてのお寺を機能させることに心をくだいています。
しかし、本願寺派において、得度だけをお寺でして(あるいはさせて)、その所属寺院との連絡をたったり、金銭の授受でもってそれを黙認する住職があったのです。「自分で自分の首を絞める」ことをしていることに気が付かないわけです。そこで、この時期に衆徒制度の厳正化を私たちは望み本願寺派はそれなりに動きました。
連絡のとれない僧侶、その寺院の日常活動に全く参加しない僧侶の存在をチェックして、できるかぎり組や教区という単位で点検をして、なくしていく方向をとりました。
以上のように宗派内の問題は、どのように「宗派」の認定制度を受けるかは個々人の自覚に追いますが、それでも育成する側は、それなりに「釈の名乗りは仏弟子の名乗り」ですから、在家僧侶としてどうあるべきかを共にか投げ実践していく方向では機能します。
制度の不備は教団内のメンバーにおいては批判し改善していけるものです。
しかし、記事で批判した新聞に出る「在家僧侶」資格獲得制度は、まずもって既成教団の僧侶ではない。そして、比較的簡単に資格がとれるとあり、記事内容からはその資格でもって葬儀要員として活動できるように読める。
以上のことから、他者の死を縁として自らの生死問題に向かっていくという回路ではなく、死者がどこかいいところに向かったとして今の自己との関係を切り捨てるという近代的な思考、学者さんはこれを「宗教の世俗化」といいますが、そちらへ加担する動きであると理解しているのです。
だから、批判した。
従って、①全て既存の宗教団体と末寺の布教と伝道活動の欠落。さらに、寺の世襲制、檀家制度にあるのではないですか、という意見の前半は、当寺も同じ問題意識であるとわかられるでしょう。
しかし、後半の寺の世襲制については真宗にはあてはまらない。それはカキコしたとおりです。船場の商家と同じ実態で、世襲されますので、血縁だけではありません。法縁も多い。これが実態です。ウチなぞは五代同じ血縁で続くのが珍しい例ですし、むしろその志向は「明治政府の民法制度<家父長制)」下の方が強まります。つまり、江戸期の寺請け制度(檀家制度)と同一に議論できないのが事実です。
むしろ寺請けがなくなったのに、国民大衆の側が地域共同体の中の個(身分)という規定がなくなり、血縁を自己確認にしていったのかもしれません。なくなった檀家制度を今度は習俗として民衆が維持したということです。
ですから、これが先祖崇拝と墓・仏壇の相続が、財産相続を象徴するという習俗の中核です。そして、こういう習俗にのっかって「先祖教」として仏教を説き、財産権や相続権の由緒を「追善主体」のおくという、宗派があります。
御承知のとおり、真宗は先祖供養ではなく、『先の仏、還相のブッダ』として有縁の死者をいただけますから、先祖供養あありません。
全て自身の聴聞の御縁であり、称名の御縁です。
ですから、世襲云々がおかしいというのは、むしろ出家であるというのに在家している宗派への批判となりましょう。
②として、「檀家、門徒から僧侶になった方々の方が寺族より仏教を勉強しています。僧侶の資格?国家資格ですか?たかが金権第一主義宗教団体の認定資格ですよ。在宅、マンション僧侶と全く相違はありません。寺族、既存の宗教団体が憤慨するのも当然。これまでの温床を崩されるから…?。既存の宗教団体(本山)と末寺の関係、末寺は檀家数をごまかして本山に毎年、ミョウガ金、お取り越し金を上納。本山は上納金の何%かを末寺にバック!寺は無縁仏の墓を集めて私有地に変更、檀家が墓を建て替える時は石材屋にバックマージンを請求する等…。既存の宗教団体、寺族の実体を檀家が知らないとでも思っているんですか?」という部分もnazunaに答えて欲しいと読み込んで回答します。
太線の部分は、そうとも言えるしそうでないともいえる、です。寺族でも仏教を学ばないものもおります。しかし、お寺にうまれ暮らすからこそ、より学ぶものもいます。したがって、この部分以下は「愚か者」さんの個人的感傷になり、。コメントしようがないです。
お書きになられたようなお寺や僧侶を具体的に指摘していただかないと流言飛語に終わります。具体的に指摘していただければ本願寺派であれば大阪教区の問題として、指摘できます。現に、そういう門徒さんからの証言と苦情で、僧侶資格をはく奪した例もありますから。
西本願寺が金権第一主義宗教団体であるというなら、その事実を示して下さい。地域によって事情がだいぶ違います。道場ですから、個別差が激しいです。門徒300という大寺院もあれば50という寺院もあります。
すくなくとも、当寺が本願寺派であるのは、本願寺門主一家や本願寺派という宗派は、問題はあっても「ご法義相続」という中核は依然として大切にされている事実をふまえています。
上納金のバック?ってなんですか。そんな制度が本派にあるのですか?無縁仏お墓を集めて私有地に変更?
法人規則にのっとらなければ、違法ですから処分されます。
具体的におっしゃってください。事実であるならその寺院の門徒なら裁判できますし、裁判所で仮処分申請できます。
次に門徒数の問題。本願寺の認定する「門徒」は門徒式を受けたものです。厳密な意味での門徒はそれなりに主体的に活動されていますし、僧侶との対話批判も行われています。また、宗議会においても門徒議員枠があります。
本末制度はない。檀家制度もないのに、愚か者さんが無い制度をあたかもあるように受け止められるのは、なぜなのでしょう(末寺や檀家という言葉を使われますね)。
そのような習俗意識を振り回す、真宗僧侶やお寺に直面されているということでしょうか。
ちなみに、当寺は会員のうちのコア会員(壮年会婦人会員)のみを、宗派のいう門徒としております。もちろん会名が門信徒会ですので、拡大して会員さんをふつうご「門徒」さんと称しますが、厳密な意味では、帰敬式を受けて門徒式章をもち、釈〇〇の法名をお持ちの方を登録門徒とします。それでも宗派登録数は一定ですから、年度によっては人数より多い金額jを払うこともあります。おしなべてということです。
二つ目の書き込みは、事実誤認もありまた一部回答していますので、一応ここまでにします。必要なら、論破しますが。あまり意義を感じません。
それよりも、私たち真宗僧侶にとっては、古典的批判である、檀家制度や世襲制やら、はたまた寺院不要論やらを出されて批判される、愚か者さんのおかれている門徒としての実態が気になります。
お取次ぎ寺院から、帰敬式の案内はありますか? また、月二回程度の門徒の集会はありますか?
さらには、さまざまな寺院や組や教区の活動への参加勧誘がありますでしょうか?
もしも、不活性寺院やお教化のない僧侶と御縁があって、不満が多いなら活性化している寺院・僧侶とおつきあいされたらどうでしょうか?どこのお寺を自分の所属にするか、はたまた講という門徒のみの組織で聞法するかも自由に選択できます。
同じく批判的でありながらコンタクトをとっている、このブログにもカキコをなされている河野さんのブログにも飛んでみてください。門徒推進員さんです。
愚か者さん、何かお力になれることはありませんか?
|
|
伊藤麻衣子(箏演奏家)と田畑裕美<フルーティスト) これから二人セッションの機会を増やしていくとのこと。
いいコンサートでした。
おなじみの曲というコビ方をせずに、それぞれの楽器の力、自身の技量を信じての、音の出会い。
二人がつけたタイトルどおり。「和と洋、心の出会い」というコンサートになりました。
曲は以下のとおり。
プレ:真宗宗歌(フルート)
敗戦の日を想う:住職による詩の朗読(「ナンクルナイサ」高丸もと子)
①春の海 / 宮城道雄
②エーデルワイス
③夏の小曲 / 宮城道雄
風鈴
線香花火
④シリンクス / C.ドビュッシー
⑤南山手-グラバー邸〈回廊夢舶来〉-
「長崎組曲巻一より」 / 飛山桂
(休憩)
⑥トルコ行進曲 / W.A.モーツァルト
⑦クレッセント / 吉崎克彦
祈詩REN-MEN
⑧浜辺の歌 / 成田為三
アンコール:唱歌・故郷/岡野貞一
お箏とフルートの組み合わせ。ありそうであまりないのです。邦楽界もクラシック界もそれぞれに、がっちりとした徒弟制度のようなものがあり。
でも、⑤や⑦など、オリジナル曲では、お箏の倍音とフルートの倍音が、きれいに重なる瞬間が何度かあって。全く違う楽器の音に聞こえてくるのです。
「南無阿弥陀仏」のお名号から聞こえる、それはもう、浄土の音楽でした。聞けば、飛山桂さんと奥様の百合子さんは、お箏とフルートの奏者であられるとか。また、17弦という新しいお箏をつかい「TOKYO KOTO派」を結成されている、吉崎克彦氏のセンスもすごいなあと。
20代の二人には少々荷が重いかとも思ったコンサートでしたが、なんのなんの、音楽的には言うことなし。
いささかたどたどしいMCも年配の観客には「初々しい」と、大受けでした。
もっと、お客さんを集めて沢山の人に聞いていただきたかったなあとも思いました。
終演後、お向かいの「GENJI]でお食事。
お寺コンサートに二人は意欲的なので、もっともっと他のお寺にも呼んでいただきたいものですね。
|
|
錦織寺ご本尊(親鸞さまが網で引き揚げられた旅本尊、ゆえに坐像です)
5月21日(日)2年ぶりのバスツアーを再開。
滋賀県野洲市 木辺の錦織寺さんへ参拝。
親鸞さまご旧跡の一つにして、真宗木辺派の御本山。
昨夏の説教大会に、木辺圓慈ご門主の来臨を賜りました。
そのお礼参りの意味も含めて、寄せていただきました。
親鸞さまが田植え歌を歌われ、藤の木をさされたところ。念仏繁盛の御しるしに、藤が育ったという場所に「藤塚」があり、そこでみんなで記念写真を撮ってから、御影堂と阿弥陀堂そして天主堂をお参りしました。
満足の御影
親鸞さまお誕生会ということで、初参式を行っておられましたが、わざわざご門主もご挨拶いただき、ありがたい御縁でした。前住職とは、交流があって、いっしょにご旅行させていただいたこともありました。親鸞聖人の主著である「教行信証」の真仏土巻と化身土巻はここでご滞在のうちに完成されたと伝承されます。ここの御影はその満足を表された御自筆の御影といわれます。
nazuna は木辺の伝承はほぼ真実であろうと、考えています。
中山道の美濃と近江の国境で、木辺天主堂の毘沙門天の勧進を受けて、親鸞聖人がご滞在になられたことから、お寺ができたこと。
それゆえ今でも天主堂で毘沙門天を仰いであおられることを、浅薄な近代的な理解である「神祇不拝」を言い立てて批難し、結果、木辺錦織寺が肩身の狭い思いをなさることが、気の毒でなりません。
そういう立場の御坊様方々は、鹿島門徒の系譜が鹿島神宮にかかわる人々でありことや、或いは善光寺聖と近しいことは間違いのない高田門徒や、絵図を使った絵解きや血脈伝承(師弟関係による教えの伝承の確かさ)を謳う、荒木門徒や仏光寺門徒、そして木辺門徒などなどの存在を、「なかった」かのように、親鸞聖人のお教義を言い立てます。
もちろん、nazuna自身は進んで、神様参りはしません。けれども、この大阪の地で真宗が繁盛する以前から、地の人々の尊敬を受け信仰されていた、生魂さんや住吉さん、そして今宮戎や天神さん、そして高津の宮などを、大切に思っていますしそれなりにそのお謂れを学んでいます。
木辺に参拝するのは二度目ですが、蓮如上人以前の真宗信仰と門徒集団の動向を、呈示して下さる大切なお寺です。
(お寺に天人が舞い降りて錦織を織って、真宗繁盛をお祝いしたというお謂れで寺号がつきました)
覚如上人や存覚上人の教義上の理解を批評し、現代の教学を求めることは必要ですが、それと現実に展開された歴史をたどり学ぶこととは別なのです。
吉野の秋野川門徒や、伊勢街道沿いの門徒、備前山南門徒や大分の真宗、そして瀬戸内海に展開された真宗は、雑多なものを含みながらも念仏一つで浄土参りと受け入れられたという姿からこそ、「浄土や阿弥陀様」をハナから絵空事としかとらえられない、この国の一億人もの人々への、伝道のヒントがあるはずです。
(笈かけの松と、田植え歌風景)
当日は和上さんが「我流ですが」と田植え歌を披露してくださいました。木辺の御絵伝も素晴らしく、この絵解き説教を是非お聞きしたいものです。また、木辺の御由来もnazunaのレパートリーに入れたいと思います。
|




