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ミニイベントホールとしての機能はなんとかできたと思う。 さらには、プロジェクターと100インチ・ワイドスクリーンを常備している。 使用時間帯は ①9:00〜12:00 ②1:00〜5:00(2分割可能) ③6:00〜10:00 11月1日からスタート。布施で使えます。 ただし、①葬儀が入っているときは× ②お寺の主催行事があるときは× とお断りする場合もあります。法事の際の食事場所としても使用されますので。 ということで、26日の「コケラ落とし」落語会 満員御礼です! |
お寺のくらし
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お寺の日常を綴ります。外から見た認識とのずれが、おもしろいかも?
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新しい会館の外装がととのい足場がとれた。 早速税務署さまから、見学にこられた。非課税手続きをするので、チェックである。 説教と芸能の寺、たらんとするといろいろとクリアせねばならんわけである。 出来上がった会館は、布施で使っていただくこととする。したがって営利事業はしない。 ①いろいろな地域芸術家の発表の場(お寺プロデュースもあればセルフプロデュースも) ②地域やお寺の目的にあった集団の集会の場 ③葬儀会館 として、布施で賄う。 ところが今の日本社会は、この「布施」がわからん。 先日も、近所から「料金表を見せる坊さん」がいる、と聞いた。葬儀なら、「臨終勤行○○円、通夜勤行○○円、葬儀○○円、火屋勤行○○円、初七日○○円、戒名料○○円、交通費○○円食事代○○円」というもの。さらには、法事○○円、初盆○○円、というものまであったそうである。 これは料金ですね。勤行という労働の対価(お経代)なのか、仏教的価値を金銭化したのか??? これでは非課税にはできません。「税金とらんとあきませんな」という感覚になる野も無理はない。 ところで、折角近代化したのであるから、社会の中で確固たる地位を宗教が占めるのであるなら(あるいはそうたらんとするならば)、お手本を示せばいい。 布施の基準は「出す方がものであれお金であれ気持ちよく出せる額」である。食を乞うといのが仏教教団の原点であるから、衣食住の最低保障があればなんとかやっていける。家族があるといっても公立学校で給食費などでまあ子ども一人当たり1万円。高校・大学へ行きたいなら奨学金もあるしね。きちんと仏法をいただき自信教人信につとめれば、お寺はなんとかやっていける。いけるだろう。いけると思う、多分(泣)。 さてさて、お手本の話である。これは「教会税」というヨーロッパの伝統を借りる。全所得の3%をお寺に収めるわけだ。年収300万の人で年間10万ほど。毎月月参りのお布施、5000円×12=6万円 お寺詣りに年1万円、そして法事一回分3万円。こう予算配分しておけば、ええのではないかしら。 年収が500万ある人なら、年に15万はお寺にお布施しようとすればいいですね。 ちなみに、ウチの門徒衆もおしなべて平均すると,これくらいになるようです。 |
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こんなのが来てます。 新猫のシーズンに2匹きてうち1匹が、庭で暮らしてます。 朝夕に娘が、水とエサをおきに行くと、「悪いいことせえへん?」と様子をうかがいます。 しばらくすると近寄ってきます。今度は「たたいたりせえへん?」と様子をうかがいます。 慣れるまでのエツケ期間です。夜は自転車のカゴに入って寝ています。 大阪の西区で子どもが二人死にました。身を切られます。オカーサンと泣き叫んでいたそうです。 何とも言えない悲しさと虚しさと怒りを覚えます。けれども。 縁起の法に聞けば… 最初、ネコの子たちとして、この子は2匹できました。今1匹です。もう1匹カラスに目玉をつつかれて食われたいたという「情報」もあります。 私たちは私たちの見える範囲でしかものを見て、考えることしかできない。それが悲しいですが、だからこそ平穏に暮らせるのです。見ないことにしてなかったことにするのは、私たち十八番。 日々見逃し起こしていく罪の自覚がない。これを、祖師方は「煩悩具足」とおっしゃられたのですね。 トマト、今日は、庭の石影でやすらでいます。 |
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夜間の「理科」授業では、博物学(生物学中心)が中心になる。生徒さんたちの日暮らしの中での知識と名称を結びつけることが、大きな課題であるからだ。 ところで、博物学とは政治学ともかかわる。人間が自分のまわりに存在するものをカタログ化することが、その起源であるが、それは未知のものに出会うことによって要請される。自然界のものはその地域における秩序を構成するから、未知の地域にヒトが行くことによって、初めて可能になる。 ところで、客観的にみれば、この世界の至るところにヒトはいるわけであるから、「博物学」とはある特定の人間集団の立場から、他を対象化することになる。つまり、他の世界をモノとして扱うことが前提となっている思考といえる。 これが政治学とかかわる所以である。「もも」なのか、桃なのか、タオなのか、ピーチなのか。名称一つに政治がかかわる。 誰の視点でものをみるのか、によってずいぶんと世界が変わる。わが師、親鸞さまは阿弥陀様の視点に世界観をゆだねられたのであるが。 さてさて、源平桃という。紅白二色の花が咲く。もともとの梅は紅梅であるから、アントシアンという色素である。これがスイッチのように、酵素が順番にはたらくことで発色するのだが、そのシステムがときどき働かなくなると色が出ない。 私たちも何回に一回か、電気を消し忘れたりするのだが、自然はそういうミステイクまで組み込んでいるらしい、と近年の遺伝子学でわかってきている。 そのような偶然、縁起によって流動的に生命の姿形はもともと変化するようにできているらしい。諸行無常とは釈尊の直観的による真理と仏教ではされるが、どうも科学でも証明されつつあるようだ。 この世界の本質は運動。その1つの証が、お寺の庭で咲き誇っている。
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