ここから本文です

スウィートbonbon(壽光寺の内緒話)

書庫仏教をカタル

記事検索
検索

全15ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

あまり無理な注文はしないように。nazunaは念仏者ですから。それ以上も以下でもないので。

さてさて、こちらの物言いがコミュニケーショ不全を起こしたのかと反省するのですが、またまた厳しいつっこみをいただきました。

「死生観」も「人生観」も人それぞれですから、いろいろな意見があってもいいのですが、明らかに錯誤であると思われることは退けます。で、とりあえず1つだけ。

世界は、人間が存在してはじめて存在します「人間の側からは左右できないダルマのはたらき」など存在しませんというご意見。

私は毎日酸素を吸って二酸化炭素をはく。そしてその酸素が程よく存在する、大気は私が生まれるよりも前に存在していた。さらに、科学という、ダルマをある条件に限定して観察実験した上でダルマの一部を論理化したもの、によると。なんと人類がまだ地球に存在しなかった時代があるという。人間が存在しなくても世界はあったんですね(ま、この目で見たわけではないので最後は信頼ですが)。

植物は二酸化炭素をすって酸素をはくので、私とは縁起によって支えあっているのであるが、昨今人間が己が煩悩を具足するために森林を滅ぼしている。そうすると二酸化炭素が過剰になっている。つまり私が息をすること(生きていること)で、人類を滅亡に追いやっているのである。むろんあなたも。

だからといって、「よし!それでは、私は今日から二酸化炭素をすい酸素をはいてやる」とダルマを左右しようとしても無理です。唯心論は仏教では「有見」と称されて退けられます。人間の脳が作り出す自分たちにとって都合のいい幻想ということです。

「諸行無常」がダルマの本質、それをダルマに依って生み出され生かされていながら倒錯する存在の我々人間は、固定的にとらえたり私の智恵知識で因果関係が読み取れていると「我」をたてる。しかしそれは錯誤であるから、「諸法無我」。

「生まれたものは死ぬ」ことが自然(ダルマのまま)。それを受け入れ難い我がある。だから人生の様々は全て苦のタネとなっていく。お釈迦様における人生問題は、この「一切皆苦」の解決。解放でありました。

解放されダルマとの一体感を回復した状態を「さとり」といい、それはあらゆる苦のタネが滅ぼされた境地であり、静かな命の喜びに満ちているので「涅槃寂静」といいます。

これが仏法の基本認識、四法印といわれるものです。

開くトラックバック(2)

私だけが知っている。情報を独占している。でもそれは、情報がないのと同じ。だって誰も知らないから。で…

「私だけが知っている情報があります」という情報を伝えなくてはなりません、まず。そして次に「その情報をあなただけに伝えます」とする。ここに情報の価値化がおきる。現代では、これが価格になる。

でも古代や中世でも同じです。文字情報を占有することで権力は成立しますし、神や仏とのコミュニケーション手段を言う情報を独占することで、「宗教者」もその地位を確保します。

しかし占有するだけでは情報は死滅します。人から人へとキープされねばならない。ここに情報の文字化とその管理、さらには情報を伝達されるべき人間の選別がおきる。中国の科挙もそうですし、日本の仏教の国立戒壇もそうなのです。

あるいは「古今伝授」という公家さんの生き残り法も、そうです。師資相承というスタイルで、情報の適度な寡占化と現代化が同時に可能になる。

あらゆる組織はこの適度な寡占化と配分の可能性で成立します。学校も会社も役所もお寺も同じです。

さてここに問題が。情報の寡占化と配分の可能性というのは、個対個で最も高価値で成立します。だからそこだけみると、組織に意味がないように思える。ところが、実は組織によって情報を守り情報保持者を保持し供給の仕組を作り出すことで、その個対個、つまり相承を可能にしているのです。

全く組織のない個人対個人で、口コミだけで相承は連続して成立しにくいのです。

いささか抽象的になりました。ここで具体に戻れば、親鸞さまの生活は同族の支えによって成り立ち、さらに門弟が生まれてからは、彼らの支えで成立していました。それらは、門弟の側からの志でした。面受による師資相承があった証拠を求めたがるのは弟子。親鸞さまは「弟子一人もたず候」と阿弥陀様の救済の中の「同朋」であり、念仏の「同行」という意識であられたが、求められるままに「名号」を書き与えることは名号下付となり、ソレに対する御礼という交換感覚になっていき、教えと等価交換になる。

現代でもお花やお茶の家元から切り紙をいただき社中が謝礼するという仕組で芸事の世界が経済的に成立するようにである。もちろん仕組があっても肝心の芸事が陳腐であったりニセモノであれば、情報価値がどんどん低下するのだから、その組織は枯れていく。

だから組織化が問題ではない。あくまで「個対個」の関係がキープされて情報の伝達共有が正確に行われるているか否かが大切なこと。

もちろん価値付けの現代化ということは絶えず起きるのであって、それは情報発信者の意図を裏切ったり変質させるかもしれない。親鸞様との対比で蓮如上人の俗性が批判されるのは、そういう評価であろう。

しかし蓮如上人は既に成立していた仏光寺教団や専修寺派等のもつ大衆教化の方法や、情報開示の法を教団利益誘導型からより大衆解放型へともちこんだことが、この10年くらいの研究で明らかになりつつある。組織者蓮如という五木寛之氏が喧伝した姿は多分にデマゴギーを含む。本願寺派寡占意識がはたらくあまり、歪められている。

たとえば現在のお寺にもある「聖徳太子信仰」は専修寺派が担っていたものであるし、あるいは師資相承を客観視し教えの正当性を保持する「絵系図・名帳」も、前住上人像図の掲載という習慣になって本願寺派の寺院荘厳に取り込まれている。仏光寺経豪(蓮郷)の本願寺派帰参が実は対等合併であったように、本願寺神話をはぎとり事実を古文書から眺めていくと、分裂し親鸞聖人の念仏があまりにも多様に解釈されてやせ細っていく事態に対して、再構成を図るというのがその志であったように思われる。また同時に、時代が組織の時代となり地域が「惣」として結合していく流れに乗ったと思われる。

それは、師資相承を密室化せずに公開したこと、積極的な名号下付と巡教。さらに御文の下付という新しいアイテムの創出を「惣中」の宗教的結合のコアとして利用させることで「親鸞教としての真宗」が「雑種自力な一向宗」を圧倒していく方向を生み出した。あくまでも、金森道西や赤尾の道宗のように、師資相承の個対個の人間関係をコアとして蓮如教団は成立していく。

それらが形式化し組織化するのはむしろ、近世後期から近代のことであるのだが。そのあたりはまた後日に。

釈尊の悟りが、呪術化したり儒教化したりあるいは儀式信仰になったり、人依存(教祖型)になったりしつつも、繰り返し本質追及が起きて贅肉がそぎ落とされていくように。nazunaは実は、現代2000年代は仏教における淘汰の時代であると思っている。

少しずつ矛盾を拡大しながら、ネオ仏教になっていくのだろうと予想している。

お寺とのつきあい?

ここ数日、miginejikeさんとのやりとりで、やっぱり不思議に思ったので、皆さんに発信。

普通レベルで仏教に関心がある人で、お寺やお坊さんに納得できないことがあったとします。

1.お坊さんやお寺に質問しないのですか?
2.どう考えても理不尽であるとか、このお寺(お坊さん)大丈夫なのか?と思ったときに、なぜお寺を変えたり、お坊さんを変えたりしないのですか?

お坊さんであるnazunaはこれが、疑問です。もしも自分が僧侶でなく、1門徒ならば所属するお寺は自分で決めますから。

皆様教えてくださいませ。
前に続いて再掲。


「多くの僧侶の方々は、教理仏教を実践されていますか?葬祭仏教に成り下がっていませんか?わたしのお祖母ちゃんも、お父さんもお母さんも、なんっっっにも、教えを受けてないですよ。何にも知りませんよ、教義について。」ばかぁーーー(>_<… お金だけ取ってーーー


情報不足で実際がよくわからないのですが。「多くの僧侶の方々は、教理仏教を実践されていますか?葬祭仏教に成り下がっていませんか」。体験なのか伝聞なのか判断しにくい。でも、ブロガーは「教理仏教」つまり仏教教学を実践しているのかと問われている。そして、それを主として生きる人をイメージされて反対に、葬祭(儀式)の場での僧侶を対置して「成り下がっている」とされる。

思うに、葬式の経験はあっても法会への参加や法話会への参加経験がほとんどお有りにならないと見受けました。では、それは何故ですか?と問いに問い返します。

仏教に出会うことが自分自身の切実な課題であるなら、何をさておいてもそういう行動をとりませんか?
だからおそらくご本人は教えのレベルではなく、社会的存在としての僧侶に興味があるということでしょうね。それも貴重なご縁ですが。

で、ここからは推測ですので、違ってたらまた教えてくださいね。

「葬儀」という儀式を通じて、庶民の側の先祖崇拝意識に依拠し「死者にいい思いをさせたい」という俗情と結託し、或いは「地獄へ落ちますよ」と脅し或いは「極楽へ送りましょう」と進め、布施として多額の金品を要求するという僧侶の実態がある、という報告と受け取ればいいですか?

同レベルで、墓地を分譲経営しあるいは、先祖供養を勧めて寄付を募る僧侶の言動があるという実態報告でもありましょうか。


これねえ。何宗の何何寺ぐらいまで、わかれば僧侶名誰々まで。明らかにしましょうよ。そうすりゃ文句も言い易い。檀家さんに連絡して檀家を一斉に止めればお寺もつぶれますし、お寺をつぶした僧侶を教団もほっておかないでしょ?淘汰は必要なんです。

でも逆にそこまで特定できないのなら、イメージの話になっちゃう。それハ危険ですし、場合によっては「ためにする議論」になっちゃいます。僧侶や仏教に関心のあるふりをしながら実は批判しダメだしすることがねらいであるという。新興宗教や占い師のよくやる手でしてね、これ。


で、特定されたとします。でもね、そこに誤解はないですか?例えば、ウチは反対のケースで困ることも多いです。お寺も仏教もみんな死んだ人のためで、自分には全く関係がないともう思い込んでそこから出ない人。先祖供養が仏教だと思い込んでいる人。こんな檀家さんは結構いると思いますよ、どこのお寺でも何宗であっても。

ウチのお寺の法座開催数は、回数でいうと定例27回、壮年会婦人会6回、青年会12回、土曜礼拝52回と、年間97回あります。お仕事のある人のために、できる限り土日の朝昼夜を中心に開催しますが、1回でも参拝する人数は120名前後です。その他行事として、バスツアーが年に2回。遠足社会見学が年1回。落語会やコンサートがそれぞれ1回(あ、今年は落語会は2回か)。子ども向け行事が年1回あります。

檀家は200あまりで、家族数でいいますと400〜500人はご縁がある。日常おつきあいしているお家は150〜60軒くらい。とうてい生活が成立する数ではないとよく言われますが、何とか家族7人住んでいます(子ども三人とも大学へいきましたが、奨学金をもらったり私が夜の学校で非常勤をしていますので何とかなってます。お寺としては財産もありますが、家族としては一軒家を所有しているだけなので、子どもには「自分で生きてね」といってます)

むしろ50〜60名くらいの方が過半数以上参加されるコアメンバーで、それらの方は既に仏教徒としての自覚をもつ「帰敬式」を受式された「法名=釋尊の弟子の名乗り」をもたれた門徒です。

いくらアピールしてもいくら聞いて欲しくても、命日に仏壇にお経をあげてくれたら(お払いの意味で)満足、という非仏教の方も自分では「仏教徒」であるとか「○○寺の檀家」と周りにおっしゃる。うすいご縁ですが、それでもこちらからは切らないしご縁に預かりたいと思い続けます。

「わたしのお祖母ちゃんも、お父さんもお母さんも、なんっっっにも、教えを受けてないですよ。何にも知りませんよ、教義について」は、事実でしょうが、それにはお祖母ちゃんやお父さんお母さん側の問題はないのでしょうか?

少し振り返ってみてください。

サンガに参加!(下)

それでは次の問と回答とブロガーのつっこみについて


問い わたしは一寺院の住職です。それで、檀家にはよくお布施の心なんかを説きますし、実際に自坊の普請では寄付をお願いすることがあります。しかし実は、私自身は何につけても寄付することが嫌いで、慈善団体からの求めも路傍のボランティアも、まして乞食などにお金をあげることもしません。金銭欲はあまりないと思うのですが、こんなわたしは、僧侶失格でしょうか?


答え 私は、布施というのはコミュニケーションの触媒だと思ってます。そしてコミュニケーションこそ、私たち僧侶の仕事ではないでしょうか。仏様とのコミュニケーションは無論ですが、私たちは人々との交流の専門家なのだと思いたい。だってわたし個人が頂くんじゃないですし、使い道さえ工夫すればそれは世のためになるはずです。要は風のように入って出て行くだけで、われわれはその向きを少しだけ変えられるということです。



で、わたし

はい。僧侶失格です。すぐにやめて何かを生み出す仕事をしましょう。お坊さんが独身で清貧の生活をして、ホームレスの人などに食事を施したりしてるならいいですよ。でも、妻帯して子供もいて普通の人と変わんないじゃないですか。だったら、仕事なのかどうかあやふやなお坊さんなんか辞めちゃってちゃんと仕事しましょうよ。普通の社会人になりましょうよ。「檀家さんは、あなたたち家族を養うために大切なお金を納めてるわけじゃないですもん。」交流の専門家?ふざけないでください。「多くの僧侶の方々は、教理仏教を実践されていますか?葬祭仏教に成り下がっていませんか?わたしのお祖母ちゃんも、お父さんもお母さんも、なんっっっにも、教えを受けてないですよ。何にも知りませんよ、教義について。」ばかぁーーー(>_<… お金だけ取ってーーー

「 」はnazunaです


すいません。人事ながラ。で、切り替えしデス。わからないことが多くて推測するばかりになるかもしれませんが、ご容赦を。

とりあえず引用された質問や回答は意味不明ですね。同意します。聞いているほうも答えているほうも「ニセモノ」でしょう。何宗であれ伝統教団の僧侶でありえません。もしも、これが両者ホンモノであるならば、ブロガーに賛成。さっさと寺つぶして社会人になって働きなさい。

宗教法人は、現行の法律で規制されるところの存在です。お寺は、創価学会や立正佼成会とは違ってそのワクは後からかぶさってきたのであって、しきたりや仕組も既存のものとして歴史性を有してありました。だから布施=収入といわれるとすごく抵抗感があります、今でも。

私の宗派の場合は惣道場といいまして、「阿弥陀さまの救済によりブッダとなる」私であったと目覚めた人々が村や地域共同体単位に膨れ上がったときに、みんなで立てられた集会所がお寺です。したがって、「成仏決定」が絶対他力によりますので「信心決定」の上は、全てを「報恩行」と理解されます。

「このままの私が愚者往生する」ことに、何ものも要求されないという「もったいなさ」「ありがたさ」を、念仏する(称名といいます)ことで日暮の中で味わいつつ恩を感じていく生き方に、育てていただくわけです。

そういう尊さを共感し共有する場としての道場ですから、それを支え発展させていくのも「喜び」であり「報恩行」であるわけです。ただし「報恩行」であるということは、オススメであって義務でもなんでもない。それでも結果として、たくさんの道場(お寺)ができました。さらに、宗祖や善智識という、尊いみ教えを恵まれ維持し私に伝道してくださった方や組織にも、報恩の志をもち「奉仕活動」や「布施」などをしてきました。

発心して僧侶になり本願寺や組織の活動に邁進し、各地方の寺院の要請や課題解決に協力するタイプ。そして私のように、惣道場の「管理人」として道場に集う人々の中から委託されて、お寺へ居住し信者集団のリーダーたるべく日常に「仏教」や「浄土真宗」の学習を重ね、求められれば読経の導師をし説教することを期待されるタイプ。この両者が、私の教団の僧侶です。

道場主は一般の信者の代表ですから、もちろん肉食妻帯して家族もおります。同じみ仏を仰ぎ同じ信心をいただく身ですから一般の信者(当流では門徒といいますが)と僧侶になんら違いはありません。役割が違うだけです。ですから当流では、僧侶よりもストレートに教えを喜び体現された門徒も沢山いらっしゃいます。僧侶がお説教を聞きにいく一般人がいらっしゃるということです。これを染香人とか妙好人と経典の言葉をとって呼び慣わしております。

このようなことを、寺生まれは「入院患者」一般門徒は「通院患者」と例えます。いや、お寺に生まれるものは業が深いのでしょうね。そして、仏法に会う縁がなければ、寺育ちであろうがたとえ一旦僧侶になろうが(つまり職業としての僧侶です)、「縁なき衆生は度し難し」「無宿善のものに語るな」とおっしゃるように、生死流転していまうものもあるのです。もったいなく悲しいことですが。

寺も僧侶も「信心」が判断基準です。そして、多くの道場は「お仏所米」といいまして道場に集うメンバーが住職一族の食料保証をしてくださいます。それも仏様にさしあげてお下がりでいただくという習慣の中で。あくまでも「仏法繁盛」が主ですから、江戸期の古文書でも、そうでない寺族や僧侶が出たらクビになったり追放されます。

「 」の最初はしたがって残念ながら誤りです。檀家は檀那寺の僧侶の生活保障はしなくてはなりません。「教え」をキープし自分たちが受け取るために。で、受け取る気がないつまり仏教を学ぶきがないブッダの教えに関心がないなら、檀家を止めればいい。

さらに、お寺側や僧侶が要求しても「仏法」を説かない、あるいはどうも学んでそうにないなら、僧侶をクビにしたらいい。これは現行の宗教法人法で檀家であるならできます。なんならお教えしますが。


最後に「 」2については、長くなったので次で。

全15ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

nazuna
nazuna
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

ブログバナー

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン

みんなの更新記事