チャレンジドとして生きる

いつになるか分からない不定期更新です。

アダルトチルドレン(AC)

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「親子の問題」としていましたが、アダルトチルドレンの内容であることに気づきましたので書庫名を変更しました。
問題は自分が思っていたより深いようです。

自分の親のこと、子供のこと。
親や子供とうまく心を通わせられない自分から
同じ苦しみを持つあなたへ。
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 自分の変な行動、たとえば自己破壊欲求などに気づいて
自分はなぜこんな行動をとるのだろうと考えて、
自分がアダルトチルドレンだと気づきました。

 自分にとってこの気づきは大きなターニングポイントになりました。
ただ、ここからが難しい。

 親のせいだ!自分は悪くない!
その認識は、たとえ自分にも問題があったとしても
そう考えなければ、それを受け入れなければ変化できないので
絶対に必要だと考えます。

 しっかり、その考えを受け止めた後、どうするか。
ACにとっては、「自分が悪い。自分はだめだ。」という
呪文のように湧いてくる考えを打ち消すのは大変なことです。
親が故意であろうと、無意識であろうと
長年植えつけてきた思考だからです。

 この考えを無くすのは 訓練するしかない。
浮かんでは打消し、浮かんでは打消し。
湧いてこなくなるまで続けるしかないです。

 この思考をなくす訓練と並行して、新しい思考をインストール。
インストールする新しい思考をどんなものにするか
それが重要!!

 分かってる。でも、自分は再インストールがまだうまくできていない。
疲れのせいか、最近よどんでいます。
 
 
 長い間アダルトチルドレンの事を考えてきて、
自分の感情の変化を感じて、今思えるのは・・・

 自分が幸せになること。
自分が幸せだと感じることができたら、
とにかく、「自分を生んでくれてありがとう」と言える。
そのことは、これを書いていたころから思ってはいたのだけれど
そんな日が来るなんて当時はとても思えなかったです。 

 それに、振り返ってみると記憶の改ざんがずいぶん行われていて
自分を不幸に追い込むような思考回路が出来ていました。
これも、親が作り出したものだと言えばそうかもしれないのですが・・・

 親の老いは自分に変化をもたらしました。
同居していた主人の両親が2年ばかりの間に急に他界したことも
影響していると思います。

 考え方で長いことずいぶんと損をしてきたなと思います。
自分がACだと気づくことはとても大事なことです。

 もっと早く抜け出す方法を知っていたら
お互いもっと素敵な時間を持てたのかもしれない・・・

 でも、互いに歳を重ねてやっとこの日が来たのかもしれないです。
生きているうちに良い関係になれて 本当に良かったです。

 ただ、それでACの後遺症が消え去るわけではないようです。
自分に残るACの影響に気づいて捨て去ることが出来たら
もっとずっと幸せを感じやすくなるでしょう。
そして、「心から生んでくれてありがとう」と言えるのだと思います。


 前の記事にAC治ったかなと
書いたばかりですが、昨日大きな発見がありました。

 息子の同級生が スポーツ整体師となり独立するということで
今年の8月から 最初の定期的なお客さんになりました。週一でやってもらっています。


 彼とは施術中にいろんなジャンルのことを話します。
昨日はかなり状態が悪かったので 
ストレスもあるのかなぁなんて話しているうちに
うまくいかないメールの話になりました。

 前の記事の悩みの元になっている人のことです。
休止する前の8月に書いたときと同じ人です。

 そう、彼女とは今も毎日のようにメールのやり取りをしています。
何度も他の人の苦情を私に書いてこないでとお願いしていました。
数日前やっともう書かないというメールをもらったところです。

 それでも、しっくりこなかった私は
息子と同じ年の整体師にそのことを話し始めました。

 彼は開口一言、こう言いました。
「苦情は言ってはダメでしょう。嫌われます。当然の摂理です。」

 この一言で 彼女の語るに落ちていたことに気づきました。
「苦情という真実は伝えるべきことである」それが彼女の信念です。
「伝えなければどうして相手が気づくのか!」
「伝えなければどうして改善されることがあろうか!」
そう彼女は訴えていました。
私は彼女の確信の強さに そのことを受け入れてしまいました。

 さらに悪いことに、私も真実は語っていいというバカな考えを
ずっと手放すことができずにいました。
これは本当のことだから、真実なのだから口にしてもいいのだ!
そういう、甘えをずっと持ち続けていました。
文句ばかり言う母親を正当化するためだったのかもしれません。
自分も母親のように、かなり攻撃的なところがあり、批判的なところもありました。
「弱い犬ほど良く吠える」というのと同じです。
自分を守るためには、相手を非難するしかない。そんな感じだったのかもしれません。

 でも、平和を作る努力を始めたとき
自分を守ることより 相手を気遣う努力が始まりました。

 「どうして あんなことがいえるのか!!」と言葉自体に反応するのをやめました。
「どうしてあんなふうに言ったんだろう。何か辛いことでもあたったのだろうか?」
と言葉の背後にある状況や心情に思いを向けるようになりました。

 そんな中で苦情をいう友達は 自分にとっても釈然としない問題を提起していました。

 「苦情は言ってはダメ」
若い整体師のその一言で パッと目の前が開けた気がしました。
いわゆる、目からウロコです。

 自分も本当のところ 言いたい苦情がたくさんあるのです。
そこに目を向けず、相手の良いところを必死に探して
そこばかり見る努力をして 良い関係を築こうと努力している最中でした。
それは媚るというのではなく、愛で育まれる関係です。

 彼女の「苦情は言ってもいい、言うべきだ」という主張は
私にとってもどこかで甘い蜜の味がしていたのかもしれません。
私はそれを受け入れ、それを土台にして身のない空っぽの提案を
彼女にし続けたのでした。
そして、彼女はすべての提案を拒否し続けました。

 私は彼女のおかげで 自分の悪い部分を全部吐き出したように思います。
彼女に書くことで吐き出し 拒否されることで捨て
また違う部分を吐き出し、否定されて捨て、その繰り返しです。

 思えば、メールを始めた頃より
私はずいぶん成長したと思います。

 やっぱり、苦情は言ってはだめです。
良いところを見て 「好き」という気持ちで不足を覆います。

 大好きな相手のことを思って苦言を言わないといけないとき
それは苦情であるはずが ありません。
自分に対する不利益を訴えるのではなく 相手の不利益を教えてあげるのです。

 だから、やっぱり苦情は言うべきではないです。

 苦情を言っていいのは商取引などの 事務的な事柄に限ると思います。
行政の失策を正すというのもあるかもしれません。

 でも、よい人間関係を育もうとするとき正当な権利として苦情を言うのではなく
不満の理由が正当であったとしても 愛で相手を覆いたいと思います。

 私がメールの相手に 苦情を書かないでとお願いした時
それは 私から彼女への苦情でした。
そのとき 関係改善を願っていたのは確かですが
これで、彼女を失うことになってもかまわないという冷たさを持っていたのも確かです。

 いい勉強になりました。
もう、本気で人を悪く言いたくないと思います。
彼女に対する苦々しい感情も消えていきます。

 苦しむ彼女を本当に助けてあげたいと 思う気持ちが湧いてきました。

自分の成長を願うこと

 ご無沙汰です。
 
 行き詰るとここに戻ってきます。
ここは自分の思いをまとめるために、私には依然必要な場所です。
 
 悪口は言ってはいけない。言いたくない。
でも、吐き出さないとたまらない。
どっかに吐き捨てることが必要。
それはしょうがないと思ってきました。
 
 ここにも吐き出し記事がたくさんあるでしょう。
だけど、吐き出すことでスッキリして
次に合った時 当たり障りなく付き合うってどうなんだろ。
 
 ちゃんと付き合いたかったら 苦情を言う。
クレームをつけるってそういうことでしょう。
ちゃんと私に向き合って欲しいってことだよね。
 
 でもトラブルになりたくないから
本人に言うべき苦情を 他の人に言う。
そしたら、苦情だったものは悪口になる。
何も変わらない。
悪いことにその人の評判を著しく損なう。
自分が愚かな 情けない人間に見えてくる。
そして、見せ掛けの平和 上っ面の平和があるだけだ。
 
 良い関係になることを求めて苦情を言う時は
怒りをぶつけたり どちらが正しいかをはっきりさせたリする必要はない。
「自分はこんなことで困っているから何とかならないでしょうか?」
そういう謙遜な態度と温和さが必要になる。
本当に難しい。
でも、もしできたら自分自身がどれだけ成長するだろう。
 
 自分が成長したら きっと苦しみは少なくなる。
苦しいからって投げ出したら 成長はない。
 
 自分の成長を願うこと
それは自分を愛している証拠だと思う。
 
 大嫌いだった自分を やっと本気で愛せるようになったんだと思う。
自分が好きになったから 頑張れるんだと思う。
 
 
 良かった。もう、AC治ったかな・・・・
 
 
 
 
 
 
 

大好きな自分

 どうも、二週間ぶりです。
 
 この二週間の間 考えていました。
自分をすきになるって大切なことなんだなぁって。
 
 自分が好きだと人に対する対応がとっても優しくなることに気づきました。
自分が好きで、自分に優しい気持ちでいると 
人に愛着を持ち、優しくできます。
自分の失敗を優しく許せるときは 人の失敗を優しく許せます。
人にどう接するかは 自分にどう接しているかの投影だと思うようになりました。
 
 では、ぜひとも自分を好きにならなければ 損!
 
 好きになるためには良く知らなければ・・・
でも、自分がよくわからない・・・・
なんて思っていましたが・・・・
 
 どこかにいるのは理想の自分。
だから、どこまで行っても見つからない。
 
 本当の自分は ここにいて
ただそれを認めればいいだけ。
 
 人はみんな大好きな自分で生まれてくるのだと思うのです。
ただ、親や周りの大人が期待している子供じゃなかったとき
注意され、叱られ、嫌われ・・・・
大好きなはずの自分がどこかに押しやられ
周りが期待する自分になろうとする。
でも、そんな作り物の自分を好きになれるはずなんてない。
 
 だからね。
作り物自分を捨てて 素になって
素の自分を もう一度直視したら・・・・
 
 絶対にその自分は大好きな自分だと思うんだ!!
 
 自分の理想でも、他人の理想でもない ありのままの自分。
 
 たとえ、どじでも かわいい自分だと思うよ
 
 人をたくさん愛したいから 自分をたくさん愛そうと思います。
 
 

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